●とあるエルゴマンサーの憂鬱
「やっぱりこういうのはあまりキレイとは言えないわね……」
ラディスラヴァ・べチュカは自らの居住スペースにあるモニターで、インソムニア周辺の様子を観察する。
つい先日までは静かだったリジェクション・フィールドの外は、今はナイトメアにより幾重にも重なる壁が設けられていた。
それもこれも、ライセンサーが攻めてくることは容易に予想がついたからだ。
物々しい雰囲気を醸し出す荒野を「美しい」と言えるのは戦争狂くらいなものだろう。そして彼女は、決してそれではない。
<ラディスラヴァ・べチュカ>
ラディスラヴァ――正確に言えば彼女の体を使うエルゴマンサーは、あまり自ら表立って動くのが好きではない。
怠惰というわけではない。裏から手を回すという類のことなら、多少疲れることも厭わない。
たとえば、何の力もない民間人のフリをして人類に接触して工作を仕掛けたり、だ。
だが――自らが拠点としているインソムニアを攻略しようとする向きがある。これは彼女にとって歓迎していい流れではない。
更に困ったのは、自分や部下の油断もあったとはいえ、インソムニアの情報をおそらく大量に持ち帰られてしまったことだ。その中にはレイクサムナーインソムニアにしかない(つまり他のインソムニアをどうこうするにはあてにならない)特徴もいくらかあるが、だからといって許されることでもない。
(これは、このままだとザルバ様やフォン・ヘス様に顔向け出来ない……)
仮に人類の撃退に成功したところで、奴らはまたやってくるだろう。そうさせない為には徹底的に潰す必要があるのだが、生憎とこのインソムニアは距離的に孤立している。異次元からナイトメアを呼び寄せることは出来ても、他のインソムニアから援軍を望むことはすぐには難しい。
結局のところ、自分たちのことは今は自分たちだけの力でどうにかしなければならなかった。
翻って、これは一つのチャンスでもある。「情報を抜かれた」という失策があった上で人類を倒したのであれば、ザルバなどからの評価は上がる可能性は高い。
<ヘクター・ウォール>
「ラディスラヴァ、移送が完了したらしい」
モニターを眺めていると、部下であるヘクターが居住スペースに戻ってきた。
インソムニア一つに全ての機能を集約させるのは、ラクではあるがスマートではない。だからナイトメアの培養にしても、他の施設でも出来るようにはしていた。
そして今回『移送』したのは、先立って侵入していたライセンサーのうち、脱出を阻止した者たちだ。ナイトメアは捕らえた人類を気に入るとすぐに素体にしてしまいがちで、それは対象がライセンサーだったとしても同じだ。その代表例がクラインだったりする。
それ故に、IMDやライセンサーといったものの研究が進まずにいるのも確かだった。ライセンサーがナイトメアに対抗せんと力をつけている背景には、ナイトメアが求める『進化』の為の手がかりがあるかもしれない、というのは多くのエルゴマンサーの共通見解だが、ラディスラヴァは折角の機会にそれを理論的に証明することを考えたのだ。もっとも、今はそんな余裕はないが。
「……あんたがそんなに怖いカオになってるのも珍しいな」
横まで来たヘクターが、少し驚いた表情で顔を覗き込んできた。
言われて、ラディスラヴァは初めて自分の表情が強張っていたことに気づいた。少し息を吐き、緊張を緩める。
「心配してくれてるの?」
「いや別に。ただ、上司がそんなんで何かあったらめんどくせえなって思っただけ」
「それを心配って言うのよ。相変わらず可愛いんだから」
軽口を叩く。それにヘクターが憮然とするところまでいつも通りだ。
余裕がないのは自分自身もそうだったらしい。
とはいえ、何をそんなに怯える必要があったのか。
自分はエルゴマンサー、ナイトメアの中でも上に立つ者の一人だ。
戦略的には確かに遅れを取ってしまったが、まだ力で取り返せる範囲の失策だ。そう考えると、多少ではあるが前向きになってきた。
今ならライセンサーと戦っても良い気がしなくもない。
あんまり多いと、「面倒」とヘクターみたいなことを言いそうだが。
●後悔
<セレスト・アッカー>
あたし――セレスト・アッカーは今、SALF職員の後に続いてキャリアーの通路を歩いている。
ここ数日、あたしたちニュージーランドの住民を保護しているSALFの人たちはそれまでにも増して忙しそうだった。
保護する住民が増えただけではなくて、何か大きな動きがあったからだというのは明らかだった。あたしたちに接する時は穏やかな職員が、少し離れたところでは険しい表情でいたことを何度も見ている。
でも、何があったかを尋ねても明確な答えは返ってこなかった。保護した方が増えて忙しいだけ、としか言わない。
そんな中、あたしはSALFの長官のおじさんに呼び出された。
あたしがインソムニアとかいうナイトメアの拠点の情報を知っていたからだと思うけど、知っていることはもう全部話したはず。今更何だというのだろう?
疑問を胸に仮の長官室に足を踏み入れると、あたしを先導した職員は一礼してからすぐにその場を去ってしまった。
「来たか」
直前まで書類に目を通していた厳しい表情から一転、あたしを見るなり努めて穏やかな表情を浮かべようとする。
「そういうのいいから」
確かに保護対象には優しく接するべきなんだろうけど、ここ数日の職員の煮え切らない態度に苛立っていたのが思わず出てしまった。あたしのつっけんどんな物言いにおじさん――エディウス・ベルナーは一瞬驚いたような表情を浮かべた後、素になって、「ここに座りなさい」とソファーへの着席を促してくる。
別にここは断る理由はない。言われたとおりにすると、対面におじさんが座った。
「いくつか話があるのだが……先に一つ尋ねておきたいことがある。
君のご両親がナイトメアに攫われた、というのは、一体何年前の話だ?」
「え……っ?」
唐突すぎる質問に、あたしは言葉を失う。それがどうしたというのだろう。
「えっと……七年くらい前?」
生まれたときには既にニュージーランドがナイトメアに支配されていたあたしに、所謂暦を読む習慣はない。
ただ、両親は別だ。あたしの誕生日をちゃんと覚えていたし、一年が巡ってその日が来ると、その時だけはナイトメアの脅威のことなんか忘れたふうに祝ってくれた。
最後に祝ってくれたのが、ちょうど十回目だったと覚えている。それまでには「だいたい三百六十五日経つと一年」ということは身に染み付いていたから、一人になってからもなんとなく忘れずに済んでいた。
「それがどうかしたの?」
「いや……それについては、またあとでちゃんと説明しよう」
おじさんは少し考える素振りを見せてから、そんな返答をしてきた。わけがわからない。
「それより、本題だ。
君から頂いた情報をもとに、インソムニアに潜入したライセンサーが居る」
「……!?」
初耳だった。いや普通に考えれば、そんな情報をわざわざ保護している住民には寄越さないだろうけど。
「インソムニアを攻略し、このニュージーランドを解放するにあたって様々な有益な情報を得られた。その点、君には感謝してもしきれない」
表情を作らないで言うものだから、きっと偽らざる本音なのだろう。だからそんなに不快感は感じなかったけど、別に気になることがある。
「その潜入したライセンサーって、無事なの……?」
ライセンサーがナイトメアに対抗する力を持っているのはこの目でも見たけれど、敵の本拠に潜入するっていうのは危険だってくらいあたしでも分かる。
現に、おじさんはごく自然に険しい表情になった。
「何人かは帰ってきていない。中にいたボスの性質からするに、簡単には殺さないのではないかと生還者からは報告が上がっている。
実際、その潜入の後に別の施設に向かって移動するナイトメアの群体の姿が報告されている。そちらに移送された可能性が極めて高い」
「…………」
あたしは唇を噛んで俯く。
自分の与り知らないところでとはいえ、自分が持っていた情報が元で他人を危険に晒した。
そういうのは、嫌だ。
きっとSALFも突入したライセンサーも考えあってのことだろうし、怒ってもどうにもならない。
ただ情報を出すだけ出して何も出来なかった自分が悔しかった。何も出来なくて当たり前のはずなのに、こんなの初めてだ。
あたしの内心を知ってか知らずか、おじさんは話を続ける。
「移送された先に救出へ向かう手はずも整えている。インソムニアと同時に攻め込む予定だから大丈夫、と言っても君は信用はしてくれないかもしれないが、少しは希望を持ってもいいだろう。
……それより、そのインソムニアの話だ。これは君にも関係のある話になるかもしれない」
「……どういうこと?」
「攫われたニュージーランドの住民と思われる人々が、コールドスリープ状態で『保存』されているのが見つかった」
おじさんの言葉に、あたしは息を呑んだ。
●考察
「今頃長官、あの子に話しているでしょうか」
所変わってグロリアスベース。
研究室の自席にて、リシナ・斉藤は深く溜息を吐いた。
「両親はまだコールドスリープ状態にあるかもしれない、って。彼女にとっては確かに見方によっては幸福かもしれませんが……」
「それでも離れてしまっていた年月は埋まらないし、難しいもんだな」
ソファーにだらしなく腰掛けたシヴァレース・ヘッジ博士が言う。
「もっとえげつないのは、彼女の両親よりも昔に捕らえられた住民だ。場合によっては気がついたときには肉親がいない状態で目覚めるなんてこともあり得る」
「目覚めさせない方がいいとか、考えてます?」
「馬鹿言え。俺らは医者じゃない。生殺与奪を預かれる立場にないんだよ。目覚めて現実を受け入れてくれたら幸いとは思うがね」
セレスト・アッカーからもたらされた情報は、ベースの留守を預かる二人にも伝えられていた。
そもそも、インソムニアとは何か、という人類側からの推論を立てたのはヘッジである。実物の中身を知る権利は当然ある。
コールドスリープ機能があったのは、おそらく「ナイトメアは過食しない」ことが理由だろう。要するに、保存食のような扱いである。ニュージーランドの元々の人口を考えれば今なお多くが生きていても不思議ではない。
「にしても、インソムニア・コアねえ。インソムニア自体分かりやすいシンボルだが、これまた分かりやすいものを作ったこった」
上がってきた報告にあった、インソムニア・コアの機能。
異次元からの転移機能、リジェクション・フィールドを張る機能、そして霧。そのうち転移機能に関しては、かつてヘッジ自身が立てたインソムニアの役割の推測と合致する。
唯一読めないのは他のインソムニアには見られない霧の話だが――各インソムニアにはそれぞれの独自の特徴があるのかもしれない。
「ただまあ、今後の反攻にあたって最低限欲しい情報は全部もらえたようなもんだ。あとは現場の連中が成果を出すのを待つとするか」
「そうですね……」
今はコールドスリープから目覚めた人々のことを考えるよりも前に、無事にミッションを果たすことを祈るだけだ。
ベースに残った二人に出来ることは、それだけだった。