●不敵
北欧、オリジナルインソムニア。
その最奥に、三つの人影が立っていた。
「ロシアはエヌイー、いや、エンピレオが、大分ぎりぎりのところまで追い詰められているようだ」
そのうちの一人――ナイトメア司令官・ザルバが言うと、
「エルゴマンサーとしての真の姿を晒したそうではないですか。いや、人類もなかなかやるものだ」
その右腕であるフォン・ヘスが感心したかのように肯く。
「名古屋で感じた手応えは間違っていなかったようだ。レイクサムナーの一件もその確たる証拠だろう。そうは思わないか、クライン?」
問いかけられたもうひとりの側近――クラインは、普段の無表情よりも僅かながらに険しい表情で答える。
「手応えといいますか、このまま助長させていいのか、という危惧はあります」
「ほう? 我々が負けるとでも?」
フォン・ヘスがおかしそうに問い返した。
クラインは少しそれが癪に障ったものの、態度には見せずに続ける。
「勿論すぐにどうこうということはありえません。ただ、レイクサムナーインソムニアは破壊された原因は、勿論戦力の問題もありましたが、ラディスラヴァとヘクターの優れた種としての油断もあります。我々がこれまでの考えのままでいると、そのうち足元を掬われる気もします」
「無用な心配だな」
ザルバが一笑に付す。
「確かにここ最近の人類の反抗は面白い。だが、『面白い』の域をまだ超えるものではない。追い詰めようと思えば追い詰めることはいつでも出来よう」
「……それはそうですが」
確かに、まだナイトメア自体が全力を出していると言うには程遠い状況ではある。
しかして、クラインの手によってオリジナルへと帰還したラディスラヴァは言うのだ。
「力がないほど狡い手をよく思いつくものよ。ほんっと、してやられた」
狡い手、というのをよりにもよって彼女に言われるのは人類としても不本意だろうが、要は力が足りない分を知恵で補ってきたわけだ。
名古屋にしてもそうで、現地に赴いたフォン・ヘスがそれを全く理解していないわけではないはずだが……まだ『想定内』と考えているようだ。
それが正しいなら良いのだ。確かにクラインのこの苛立ちに似た感情は杞憂である。
だが、どうにも『思い込んでいる』ような気がするのは――身体の持ち主の記憶のせいだろうか。
余裕の態度を見せているザルバとフォン・ヘスをよそに、クラインの脳裏を一抹の不安が過ぎった。
●会談
最奥の間を辞したクラインは、そのまま航空型ナイトメアの待機するスペースへと向かった。
終始無言のまま、ラディスラヴァたちを迎えに行くときにも使ったナイトメアに乗り込み――発進する。
目指す先は、アフリカ。
ザルバやフォン・ヘスには理解されなかった彼女の考えを分かってくれるであろう同志がそこにいることを、クラインは知っていた。
隔離されたエアポートに航空ナイトメアを着陸させ、ポートに備え付けられた扉を開く。
すぐ目の前に設置されたエレベーターに乗り込み、深い地下へ。
次にエレベーターの扉が開いた時、目の前には一人の女性の姿があった。やや幼い顔立ちながらもパイロットスーツのような戦闘服を身に纏ったその姿は、可憐さと凛々しさを絶妙なバランスで両立させていた。ちなみにその後方にはもう一人、執事服を身に纏った青年が立っている。
「クライン様、お久しぶりです!」
クラインの姿を認めるやいなや、女性は満面の笑みを浮かべながら歩み寄ってくる。
彼女がクラインに会うことをとても嬉しそうにしているのは毎度のことで、今までは感情に任せて走って近づいてきていた。今は走らないでいるのは、彼女なりに我慢をしているのだろう。
「確かに久しぶりですね――テルミナス」
そう、クラインは彼女の名を呼んだ。
人類救済政府という組織がある。
一言で言ってしまえば、人類でありながら親ナイトメアを標榜する組織だ。
その首班の名は、テルミナス。
「ナイトメアに貢献して認められると、ナイトメアに捕食されても自我が残してもらえるので、高位の生命体に生まれ変われる」
という彼女の思想を広める。それが人類救済政府の目的だった。
<テルミナス>
クラインが今いるのは、人類救済政府のアジトの一つ。といってもテルミナスが根城にしている、言ってみれば総本山である。
「突然のご連絡で驚きましたが……一体どうしてまた、わたしたちに協力してほしいなどと」
「少しばかり人類に『理解らせる』方策を考えたのですが、ザルバ様にもフォン・ヘスにも、同意を頂けなかったものですから。貴方なら協力してくれると思いまして」
首を傾げるテルミナスに、クラインはそう答えた。
貴方なら。そう聞いたテルミナスは先程までよりもより笑みを深めて答えた。
「勿論、クライン様の言う事なら! そうでしょう、カルディエ?」
「はい」
そう肯いたのは、後方で待機していた青年だった。即座にクラインに向け一礼する。
「お初にお目にかかります。人類救済政府の幹部、カルディエと申します」
「幹部というより、もう殆ど側近です。色々と手際がいいので」
自己紹介とテルミナスの補足を聴きつつ、クラインはすぐに気がついたことがあった。
「貴方……人間ですね。それに、ライセンサーでもない」
「適合者――ライセンサーになりうる資格も持ち合わせていません。戦うには無力な僕を気に入り、側に置いてくださるテルミナス様には感謝してもしきれません」
なるほど、とクラインは思った。
本人の言う通り、戦うには『ただの人』はあまりに無力だ。それはライセンサーを相手にしたとしてもだ。それでもなおテルミナスが彼を重用するのは、それなりの理由があるのだろう。
「ところで、一体どんなお考えを持っておられるのでしょうか」
カルディエに尋ねられ、クラインは告げる。
「人類の拠点――グロリアスベースとやらを、どうにかして襲撃したいと考えています」
●姉弟
<オフィリア>
「それではお先に失礼します」
オーストリア・ウィーンのとある日の夕暮れ。
SALFウィーン支部のある建物から、一人の女性がバッグを片手に出てきた。
女性の名はオフィリア。まだ20代後半にしてウィーン支部の事務局長を務める才媛である。
もっとも、オーストリア自体はナイトメアの脅威に晒されることは少ない。だから今後を担う人材の育成の場に使われるという側面があった故の立場でもあるし、そういったポストに就いていても、基本的には常識的な時間には帰途につけるのだった。
とはいえ、これから優雅なアフターワーク、というわけでもない。
そのまま真っ直ぐに駐車場へと向かうと、そこには彼女の愛車であるスポーツカーが停められていた。
オフィリアの自宅はウィーンではなく、近郊の別の街にある。
翌日が休日でもなければ、真っ直ぐに家路につくのが彼女の常だった。事務局長ともなれば運転手の一人くらい雇っても良さそうなものだけれども、わざわざそこまで送り迎えしてもらうのも、という理由から固辞している。それが通るのも、今のオーストリアが比較的平和であることの証左だ。
無論、彼女にウィーンに住むことを勧める声は多い。
ポストの実態がどうあれ才を認められていることに違いはなく、かつ浮ついた話の一つも出てこないとなれば、下心は生まれるというものだ。ウィーン定住を推す声の中には間違いなくそれも含まれている。
それを否定するわけではないけれど、少なくとも当面の間はそういう気持ちにはなれないだろうという確信が彼女にはあった。
自分で愛車を走らせ、1時間半ほど経つと彼女が住む小さな街が見えてくる。
その中心部から少し外れたところに、彼女の住む家があった。
生まれてからの長い間を過ごしている家。大学へ通っている間だけはここには居なかったけれど、SALFに勤め始めてまもなく、片親だった母親が病気を患ったと知ってすぐさま家に戻ってきた。
その母親も1年ほど前に他界し、今は一人で暮らしている。
帰宅してからすぐさま、ありあわせの食材で夕食を作り始める。
自分一人しかいないから、味は兎も角見た目には気を遣わない。それほど時間をかけずに作り終えた夕食を、他に囲む相手が居ないテーブルに並べる。
一人で住むには広すぎる一軒家。
父親は十年以上前に亡くなっていたけれど、それでも本当は母との「二人」ではなかったはずなのだ。
「…………うん」
『そのこと』を考えても仕方がない。現実は、こうして一人きりの夕餉なのだから。
その時、玄関のチャイムが鳴った。
フォークを置いて玄関へと向かい、扉を開いた先にあった男性の姿に、彼女は一瞬戸惑った。
姿自体は、今初めて見るものだ。
でもその風貌には、どうしようもなく見覚えがある――。
決定打は、放たれた言葉だった。
「ただいま、久しぶりだね。――姉さん」
「カル、ディエ……?」
<カルディエ>
震える声で尋ねると、ああ、と男――カルディエは小さく肯く。
その肯定の言葉を聞くなり、彼女はカルディエの体を抱き締めていた。
「どこ、行ってたのよ……十年も……!!」
十年前、謎の失踪を遂げた弟――それがカルディエであり、彼の行方を探ることはオフィリアの生きる目的の一つでもあった。彼女が浮いた話に興味がない根拠もそれである。
見ない間に伸びた背丈は、今やオフィリアより頭一つ分高い。それでいて大人の余裕も持ち合わせたらしい弟は、体を震わせるオフィリアを宥めるように彼女の頭に手を置いた。
「ごめん、落ち着いたら連絡はしようと思っていたんだけど、なかなかそんな時間がなくてね。……今も、実はもうすぐこの街を離れなきゃいけないんだ」
「……仕事?」
顔を見上げ尋ねると、「そういうこと」カルディエは少し困ったように笑った。
「でもその前に、どうしても会っておきたくて。……母さんは?」
「あなたが居ない間に病気になって、それで……去年」
それを聴いてカルディエはハッとしたような顔をし、ちらりと腕時計に目を落とした。
「墓参りをしている時間はなさそうだな……」
「そんなに時間がないの?」
「ああ……そうだ。姉さん、一つ提案があるんだけど」
彼の視線は、家の脇に停めたオフィリアの愛車に向けられていた。
「結構いい車に乗ってるね……」
「いい仕事をさせてもらっているからね」
助手席のカルディエが驚いた声を上げ、ハンドルを握るオフィリアは笑って返す。
ゆっくりとひと処に留まって話す時間はない。
けれど、オフィリアもカルディエも話したいことはたくさんある。
だからカルディエは、姉の車で途中まで送ってもらいながら話すことを提案したのだ。
「姉さん、いまどんな仕事をしてるの?」
「事務員、って言っても統括するほうだけど」
へえ、とカルディエは声を漏らしたけれど、先ほどと違いあまり驚いたようにはオフィリアには見えなかった。思えば彼がまだ故郷にいた頃でも、オフィリアは彼の前では優れた姉でいようと振る舞っていたから、そのイメージのままならそう驚くほどのことでもなかったのかもしれない。
SALFに勤めていることは言わなかった。連絡先は教えてもらったし、オフィリアにも明日の仕事もある。次にゆっくり会う時にでも驚かせればいいと思っていた。
町外れにカルディエの迎えの車が来る、という話だったが、そこに行ってもそれらしき姿は影も形もなかった。
車の外に出て不思議に思いながらも待機していると、不意に、街の方が騒がしくなり始めた。
「何……?」
異変の正体にはすぐに察しが付いた。
騒がしいだけではない。悲鳴と、形容し難い声が入り乱れて聞こえ、時折低い衝撃音も響いたのだ。
まさか、と思った時、スマートフォンが鳴った。着信元は同僚だ。
「もしもし!?」
『大丈夫!? オーストリアを含む欧州南部の各所で、ナイトメアが一斉に暴れ出したって!
出没したとされている地域の中に、オフィリアの――』
そこまで聞こえたところで声が遠ざかる。
カルディエがスマートフォンをオフィリアの手から取り上げたのだ。彼はそのまま通話を切ると、スマートフォン自体の電源も落としてしまう。
そんなカルディエは、ナイトメアという単語を聴いた今もなお穏やかな表情を浮かべている。
「カルディエ……?」
「駄目だよ、姉さん。今下手に動いたら姉さんも被害に遭ってしまう。それは僕の本意じゃない」
怪訝に思ったオフィリアに、彼はそんな忠告をする。
本意じゃない。それは、つまり。
「あなた、知っていたの……!?」
「知っていたとも。だって、ナイトメアをけしかけたのは――僕も所属している、人類救済政府だからね」
「!!」
ガツン、と頭を殴られたような気分だった。
人類救済政府の存在は、オフィリアは勿論知っている。
人類でありながらナイトメアに与する者たち――その代表格たる組織。
さて、と、カルディエは穏やかな表情を浮かべたまま、スーツの懐に手を入れる。
そしてオフィリアが警戒する間もなく、彼女の側頭部に銃口を突きつけた。彼女が適合者ですらないことは、まだカルディエが姿を消す前から分かっていたことだった。
「このまま、僕が向かう場所へ姉さんにもついてきてもらうよ。実は姉さんに会ってほしい人がいるんだ。テルミナス……名前くらいは知っているだろう?」
「……人類救済政府の、首魁」
「その通り。人類を次のステップへ導こうとしている、素晴らしい人だよ。人類は皆、ナイトメアについて誤解をしているんだ。それを全世界に知らしめることは追々やるとして……まずは姉さんに、それを理解してほしい」
「……なんで? なんで私なの?」
ここは怯えておかないとまずい気がした。わざと声を震わせる。
両手を上げながら視線だけカルディエの顔へ向けて尋ねると、弟は先程からずっと変わらない――けれどどこか歪んで見える笑顔を浮かべたまま答えた。
「寂しかったんだよ、これでも」
「え?」
「人類救済政府に身を置いてからも、ずっと姉さんに会いたかったんだ」
「……カルディエ」
「最初に言った通り、僕はあの街が襲われるのを知っていた。だから姉さんが襲われないで済むように、街から離れてもらうように嘘をついたんだ。そして姉さんに人類救済政府に来てもらえば、ずっと一緒に居られるだろう? 今から逃げる、ましてSALFに連絡するなんて言わないよね? 僕だって、この引き金を引きたくない」
嘘。
カルディエはカルディエなりに、歪んでこそいるが自分を想って吐いたもの。
それなら――十年の間にどんな思想の変化があったのかは分からないが――それを止める為に、自分が出来ることはやらなければいけない。姉として、家族として、SALFの一員として。
「……分かった。話は聞くだけ聞くから、とりあえず銃は下ろして」
観念したように言うと、カルディエは心底安堵したような、嬉しそうな息を吐いて銃を下ろした。オフィリアはそれを見て右手は普通に下ろし、左手はその右腕を擦るようにして下ろした。
ばれていない、はず。
その時、遠くから別のエンジン音が聞こえてきた。
「ようやく来たか」
とカルディエが口にするからに、人類救済政府のメンバーのものなのだろう。
オフィリアはその呟きを聞いて、少しばかり複雑な気分になった。
「……迎えを遣わせたり、テルミナスに会わせたいと言えるあたり、随分発言力があるのね」
「自分で言うのも何だけど、あの人の右腕くらいにはなれているんじゃないかな」
またさらりとオフィリアにとっては衝撃的なことを言いつつ、カルディエは告げた。
「それじゃあ、ここから先は僕についてきてもらうよ」
●SALF本部
欧州南部に一斉にナイトメアが襲来したという一報を受け、SALF本部は俄に慌ただしくなった。
「ロシアの一件もまだ片がついていないというのに……!」
SALF長官、エディウス・ベルナーは歯噛みする。ここのところの人類の反抗が強まっている為か、ナイトメアも以前より積極的になっているような気もした。
ただし、ナイトメアが唐突に狙いを絞って攻撃してきた理由は未だ分からない。
いきなり大規模に攻めてきた、といえば東京や名古屋の時を思い出す。名古屋の時は正確に言えば事前にラディスラヴァの仕込みがあったので、どちらかというと形が近いのは東京の方だろう。
ただ、あの時もこちらの力を測るといった意味合いが強い進攻だったようにも思えるし、今更再びそうする理由は流石にナイトメア側にもないはずだ。
それでも、動き出さなければ無用な被害が出てしまうことには変わりはない。
エディウスはすぐに命令を出すべく、ベース全体に通ずる通信回線を開いた。
(執筆:
津山佑弥)
(文責:フロンティアワークス)