1. グロリアスドライヴ

  2. 広場

  3. 【DG】

【DG】ストーリーノベル

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大丈夫!? オーストリアを含む欧州南部の各所で、ナイトメアが一斉に暴れ出したって!
出没したとされている地域の中に――

Story 07(12/27公開)

●失態と思惑


<ザルバ>

<クライン>

<フォン・ヘス>
「エディウス・ベルナーの抹殺に失敗しました。申し訳ありません」
 北欧、オリジナル・インソムニア。
 帰還したクラインは、最奥にある空間で跪いてそう報告する。
 ちなみにテルミナスは、彼女が拠点とする人類救済政府の本拠で別れた為この場にはいない。
 本来であるならば作戦の当事者である彼女もこの場にいるべきなのだろうけれど、元はと言えばクラインから人類救済政府に協力を持ちかけたのだからクラインの責任の方が重いのは明らかだ。付け加えると、テルミナスが今この場にいると余計なことを言ってザルバの機嫌を損ねかねない気がした。
 だから連れてこなかったのだけれども、テルミナスという強力な戦力を引き連れておいて作戦に失敗した、という事実に、クラインは危機感を覚えていた。
 けれども。
「頭を上げよ、クライン」
 命令するザルバの口調は、厳かなれども怒りや険しさは感じられなかった。
 言われた通りにしてザルバの表情を見上げる。やはり特に機嫌を損ねている様子はない。
「私は然程、その失敗を大きなものだとは思っていない。そも、今回の件はお前の独断での行動だろう? まして命令違反をしているわけでもない」
「……はい」
 クラインは肯きながらも、釈然としない気持ちを抱いていた。
 処分を下されないということが意外だった、というわけではない。事ここに至って未だに人類に脅威をまるで感じていないことに苦々しさを感じていた。
 そんな思いを知ってか知らずか、横からフォン・ヘスが首を突っ込む。
「本拠を狙い撃ちする、というのはなかなかに面白い見世物だったが、どんな見世物にも終わりはあるものだ。こちらの役者が誰も失われていないというのならザルバ様も責める道理はないだろう」
「……それは、確かに」
 返しながら、フォン・ヘスもザルバ同様人類への認識が変わっていないことにクラインは一種の違和感を覚えた。その感覚が『焦燥感』であることは、自覚したくはなかったけれど。
 ザルバはそんな二人を見据えて、「しかし、だ」口を開く。
「今回の失敗は兎も角、この1年で我々の支配の礎たるインソムニアを数カ所破壊されたのも事実だ。あまり手こずっていると、外からの介入が入ってくるかもしれんな」
「外……他の派閥のことですか」
 フォン・ヘスが確認するように問うと、ザルバは肯いた。
 ナイトメアは一枚岩ではない。ナイトメアにはナイトメアの世界があり、ザルバとてあくまでいくつかある派閥のうちの一つの首領に過ぎない。派閥が違えば考え方も違うのは人間社会と同じだ。
「手柄の横取りはご遠慮願いたいものだ。その意味では、遊びすぎないように戒める必要はある。お前達も、その点は理解しておけ」
「了解しました」
 二人揃っての同意にザルバも首肯で返した後、次なる方針を打ち出す。
「私は一度“ホーム”に戻り、現状報告を行う。……クライン」
「はい」
「どうしても失態を恥じるというのなら、その間は謹慎としてこのインソムニアを出ず、指揮も執るな。それ以上私が何か処することはしない」
「……分かりました」
 体の持ち主に影響されたのかは不明だけれども、クラインはこういうところは真面目だ。謹慎と言われて拒否する理由はどこにもなかった。

 そうしてザルバはナイトメア世界へと一時帰還し、その間のオリジナル・インソムニアの防衛はフォン・ヘスが行うことになった。
 ザルバを見送った後、オリジナル・インソムニア内の自室へと戻ろうとするクラインの前に立つ人影があった。

<ラディスラヴァ・べチュカ>
「なんだかんだ言って貴女も失敗してるんじゃない」
「……ラディスラヴァ」
 そう声の主を呼ぶと、彼女――ラディスラヴァ・べチュカは妖艶に笑んだ。
 彼女はニュージーランドでの失敗以後、特に派遣されるべき場所もなくオリジナル・インソムニアに滞在していた。その失敗からニュージーランドに居場所を失った彼女たちをここに迎え入れたのは、他ならぬクラインだ。
 にも関わらず『同じ轍を踏んだ』クラインを見る目に愉悦が見て取れるのは、何となくだがクラインにも理由がわかる。
 どうにも彼女とは、ずっと昔からそりが合わない。上官の命令には素直に従うけれど、個人的な感情で言えば彼女はおそらく、自分を嫌っているだろう。
「……笑いにでも来ましたか」
 あえて問うと、ラディスラヴァは満面の笑みで口を開きかけ――噤んだかと思うと真面目な顔になった。たぶん、「ええそうよ」でも宣いかけて相手が上官であることを思い出したのだろう。
「……本音はさておき、貴女がテルミナスを連れて行ってまで失敗したのは正直意外だったわ」
 さておかれた本音はこちらもおいておくことにして、クラインは目を伏せる。
「力がない分を知略で補う……そういえば、貴女たちのときもそうでしたね」
「ええ。だからこそ二人はそんなことでひっくり返されたりしないだろうと思っていたんだけど」
「単純に、私のミスです。処分するのは長官だけなどと言わず、あのベースのすべてを対象にするつもりでいけば、あんな芝居に引っかかることはなかった」
 あえて長官だけを標的にしたのは、単に『食糧』の絶対数が減るのを極力避けたのと、人類救済政府の理想とやらを一応は慮った結果だ。合わせて付け加えるとテルミナス個人はライセンサーにあまり悪印象を抱いていないようだったこともあるけれど、何にせよそれがと甘さなった。

<ヘクター・ウォール>
「案外他を考慮するんだなアンタ。ここに来て発見……いや、それも『クライン』の影響か?」
 近くで話を聞いていたのだろう。ラディスラヴァの後方から、やはりニュージーランドを追われたエルゴマンサー、ヘクター・ウォールが姿を見せつつそう尋ねてくる。
「今回のミスも……ですが、冷徹なだけでは上には立てない、というだけです。それより、貴方たちが今ここにいるということは、ボマーも?」
「地下のプラントにいる。あいつは名古屋で手の内をばらされてるからな。僕たちのこともあって、次にライセンサーに対峙したときの為に手札を増やすんだと」
 プラントには、他の異世界で捕らえた――『まともに』生きていれば放浪者になったであろう者たちが食糧として『保管』されている。ボマーはそれらのうちいくらかを、新たな力を得るべく捕食するつもりなのだろう。
「手の内といえば、貴方は大丈夫なのですか、ヘクター」
 実戦能力はまだ一部しか見せていないラディスラヴァは兎も角、手の内を明かされているのはヘクターも同じはずだ。加えて、キモである強固かつ他者にも付与できる防御に関しては、乱発による消耗という弱点も露呈している。多人数で持久戦に持ち込まれると、今度は物理的に不利になりかねない。
 そのクラインの問には、
「まぁ……面倒くせえ話だけど、僕も色々考えてはいる。同じ失敗はしないようにするさ」
 とだけ言って、明確な答えは示さなかった。まだ「試している」最中なのかもしれない。
 そこには深く触れないことにして、クラインは息を吐く。
「何にせよ、人類に本来のナイトメアを見せつける機会は私にも、貴方たちにもまだあるでしょう。優れているのは私たち――それを、見せつけなさい」
 まるで自分にも言い聞かせるように、二人のエルゴマンサーに向けてそう告げた。

(執筆:津山佑弥
(文責:フロンティアワークス)

●不敵

<ザルバ>

<フォン・ヘス>

<クライン>
 北欧、オリジナルインソムニア。
 その最奥に、三つの人影が立っていた。
「ロシアはエヌイー、いや、エンピレオが、大分ぎりぎりのところまで追い詰められているようだ」
 そのうちの一人――ナイトメア司令官・ザルバが言うと、
「エルゴマンサーとしての真の姿を晒したそうではないですか。いや、人類もなかなかやるものだ」
 その右腕であるフォン・ヘスが感心したかのように肯く。
「名古屋で感じた手応えは間違っていなかったようだ。レイクサムナーの一件もその確たる証拠だろう。そうは思わないか、クライン?」
 問いかけられたもうひとりの側近――クラインは、普段の無表情よりも僅かながらに険しい表情で答える。
「手応えといいますか、このまま助長させていいのか、という危惧はあります」
「ほう? 我々が負けるとでも?」
 フォン・ヘスがおかしそうに問い返した。
 クラインは少しそれが癪に障ったものの、態度には見せずに続ける。
「勿論すぐにどうこうということはありえません。ただ、レイクサムナーインソムニアは破壊された原因は、勿論戦力の問題もありましたが、ラディスラヴァとヘクターの優れた種としての油断もあります。我々がこれまでの考えのままでいると、そのうち足元を掬われる気もします」
「無用な心配だな」
 ザルバが一笑に付す。
「確かにここ最近の人類の反抗は面白い。だが、『面白い』の域をまだ超えるものではない。追い詰めようと思えば追い詰めることはいつでも出来よう」
「……それはそうですが」
 確かに、まだナイトメア自体が全力を出していると言うには程遠い状況ではある。
 しかして、クラインの手によってオリジナルへと帰還したラディスラヴァは言うのだ。

「力がないほど狡い手をよく思いつくものよ。ほんっと、してやられた」
 狡い手、というのをよりにもよって彼女に言われるのは人類としても不本意だろうが、要は力が足りない分を知恵で補ってきたわけだ。

 名古屋にしてもそうで、現地に赴いたフォン・ヘスがそれを全く理解していないわけではないはずだが……まだ『想定内』と考えているようだ。
 それが正しいなら良いのだ。確かにクラインのこの苛立ちに似た感情は杞憂である。
 だが、どうにも『思い込んでいる』ような気がするのは――身体の持ち主の記憶のせいだろうか。

 余裕の態度を見せているザルバとフォン・ヘスをよそに、クラインの脳裏を一抹の不安が過ぎった。

●会談
 最奥の間を辞したクラインは、そのまま航空型ナイトメアの待機するスペースへと向かった。
 終始無言のまま、ラディスラヴァたちを迎えに行くときにも使ったナイトメアに乗り込み――発進する。

 目指す先は、アフリカ。
 ザルバやフォン・ヘスには理解されなかった彼女の考えを分かってくれるであろう同志がそこにいることを、クラインは知っていた。

 隔離されたエアポートに航空ナイトメアを着陸させ、ポートに備え付けられた扉を開く。
 すぐ目の前に設置されたエレベーターに乗り込み、深い地下へ。
 次にエレベーターの扉が開いた時、目の前には一人の女性の姿があった。やや幼い顔立ちながらもパイロットスーツのような戦闘服を身に纏ったその姿は、可憐さと凛々しさを絶妙なバランスで両立させていた。ちなみにその後方にはもう一人、執事服を身に纏った青年が立っている。
「クライン様、お久しぶりです!」
 クラインの姿を認めるやいなや、女性は満面の笑みを浮かべながら歩み寄ってくる。
 彼女がクラインに会うことをとても嬉しそうにしているのは毎度のことで、今までは感情に任せて走って近づいてきていた。今は走らないでいるのは、彼女なりに我慢をしているのだろう。
「確かに久しぶりですね――テルミナス」
 そう、クラインは彼女の名を呼んだ。

 人類救済政府という組織がある。
 一言で言ってしまえば、人類でありながら親ナイトメアを標榜する組織だ。
 その首班の名は、テルミナス。
「ナイトメアに貢献して認められると、ナイトメアに捕食されても自我が残してもらえるので、高位の生命体に生まれ変われる」
 という彼女の思想を広める。それが人類救済政府の目的だった。


<テルミナス>
 クラインが今いるのは、人類救済政府のアジトの一つ。といってもテルミナスが根城にしている、言ってみれば総本山である。
「突然のご連絡で驚きましたが……一体どうしてまた、わたしたちに協力してほしいなどと」
「少しばかり人類に『理解らせる』方策を考えたのですが、ザルバ様にもフォン・ヘスにも、同意を頂けなかったものですから。貴方なら協力してくれると思いまして」
 首を傾げるテルミナスに、クラインはそう答えた。
 貴方なら。そう聞いたテルミナスは先程までよりもより笑みを深めて答えた。
「勿論、クライン様の言う事なら! そうでしょう、カルディエ?」
「はい」
 そう肯いたのは、後方で待機していた青年だった。即座にクラインに向け一礼する。
「お初にお目にかかります。人類救済政府の幹部、カルディエと申します」
「幹部というより、もう殆ど側近です。色々と手際がいいので」
 自己紹介とテルミナスの補足を聴きつつ、クラインはすぐに気がついたことがあった。
「貴方……人間ですね。それに、ライセンサーでもない」
「適合者――ライセンサーになりうる資格も持ち合わせていません。戦うには無力な僕を気に入り、側に置いてくださるテルミナス様には感謝してもしきれません」
 なるほど、とクラインは思った。
 本人の言う通り、戦うには『ただの人』はあまりに無力だ。それはライセンサーを相手にしたとしてもだ。それでもなおテルミナスが彼を重用するのは、それなりの理由があるのだろう。
「ところで、一体どんなお考えを持っておられるのでしょうか」
 カルディエに尋ねられ、クラインは告げる。

「人類の拠点――グロリアスベースとやらを、どうにかして襲撃したいと考えています」

●姉弟

<オフィリア>
「それではお先に失礼します」
 オーストリア・ウィーンのとある日の夕暮れ。
 SALFウィーン支部のある建物から、一人の女性がバッグを片手に出てきた。

 女性の名はオフィリア。まだ20代後半にしてウィーン支部の事務局長を務める才媛である。
 もっとも、オーストリア自体はナイトメアの脅威に晒されることは少ない。だから今後を担う人材の育成の場に使われるという側面があった故の立場でもあるし、そういったポストに就いていても、基本的には常識的な時間には帰途につけるのだった。
 とはいえ、これから優雅なアフターワーク、というわけでもない。
 そのまま真っ直ぐに駐車場へと向かうと、そこには彼女の愛車であるスポーツカーが停められていた。
 オフィリアの自宅はウィーンではなく、近郊の別の街にある。
 翌日が休日でもなければ、真っ直ぐに家路につくのが彼女の常だった。事務局長ともなれば運転手の一人くらい雇っても良さそうなものだけれども、わざわざそこまで送り迎えしてもらうのも、という理由から固辞している。それが通るのも、今のオーストリアが比較的平和であることの証左だ。
 無論、彼女にウィーンに住むことを勧める声は多い。
 ポストの実態がどうあれ才を認められていることに違いはなく、かつ浮ついた話の一つも出てこないとなれば、下心は生まれるというものだ。ウィーン定住を推す声の中には間違いなくそれも含まれている。
 それを否定するわけではないけれど、少なくとも当面の間はそういう気持ちにはなれないだろうという確信が彼女にはあった。

 自分で愛車を走らせ、1時間半ほど経つと彼女が住む小さな街が見えてくる。
 その中心部から少し外れたところに、彼女の住む家があった。
 生まれてからの長い間を過ごしている家。大学へ通っている間だけはここには居なかったけれど、SALFに勤め始めてまもなく、片親だった母親が病気を患ったと知ってすぐさま家に戻ってきた。
 その母親も1年ほど前に他界し、今は一人で暮らしている。

 帰宅してからすぐさま、ありあわせの食材で夕食を作り始める。
 自分一人しかいないから、味は兎も角見た目には気を遣わない。それほど時間をかけずに作り終えた夕食を、他に囲む相手が居ないテーブルに並べる。

 一人で住むには広すぎる一軒家。
 父親は十年以上前に亡くなっていたけれど、それでも本当は母との「二人」ではなかったはずなのだ。
「…………うん」
 『そのこと』を考えても仕方がない。現実は、こうして一人きりの夕餉なのだから。

 その時、玄関のチャイムが鳴った。
 フォークを置いて玄関へと向かい、扉を開いた先にあった男性の姿に、彼女は一瞬戸惑った。
 姿自体は、今初めて見るものだ。
 でもその風貌には、どうしようもなく見覚えがある――。

 決定打は、放たれた言葉だった。

「ただいま、久しぶりだね。――姉さん」
「カル、ディエ……?」


<カルディエ>
 震える声で尋ねると、ああ、と男――カルディエは小さく肯く。
 その肯定の言葉を聞くなり、彼女はカルディエの体を抱き締めていた。
「どこ、行ってたのよ……十年も……!!」
 十年前、謎の失踪を遂げた弟――それがカルディエであり、彼の行方を探ることはオフィリアの生きる目的の一つでもあった。彼女が浮いた話に興味がない根拠もそれである。
 見ない間に伸びた背丈は、今やオフィリアより頭一つ分高い。それでいて大人の余裕も持ち合わせたらしい弟は、体を震わせるオフィリアを宥めるように彼女の頭に手を置いた。
「ごめん、落ち着いたら連絡はしようと思っていたんだけど、なかなかそんな時間がなくてね。……今も、実はもうすぐこの街を離れなきゃいけないんだ」
「……仕事?」
 顔を見上げ尋ねると、「そういうこと」カルディエは少し困ったように笑った。
「でもその前に、どうしても会っておきたくて。……母さんは?」
「あなたが居ない間に病気になって、それで……去年」
 それを聴いてカルディエはハッとしたような顔をし、ちらりと腕時計に目を落とした。
「墓参りをしている時間はなさそうだな……」
「そんなに時間がないの?」
「ああ……そうだ。姉さん、一つ提案があるんだけど」
 彼の視線は、家の脇に停めたオフィリアの愛車に向けられていた。

「結構いい車に乗ってるね……」
「いい仕事をさせてもらっているからね」
 助手席のカルディエが驚いた声を上げ、ハンドルを握るオフィリアは笑って返す。
 ゆっくりとひと処に留まって話す時間はない。
 けれど、オフィリアもカルディエも話したいことはたくさんある。
 だからカルディエは、姉の車で途中まで送ってもらいながら話すことを提案したのだ。
「姉さん、いまどんな仕事をしてるの?」
「事務員、って言っても統括するほうだけど」
 へえ、とカルディエは声を漏らしたけれど、先ほどと違いあまり驚いたようにはオフィリアには見えなかった。思えば彼がまだ故郷にいた頃でも、オフィリアは彼の前では優れた姉でいようと振る舞っていたから、そのイメージのままならそう驚くほどのことでもなかったのかもしれない。
 SALFに勤めていることは言わなかった。連絡先は教えてもらったし、オフィリアにも明日の仕事もある。次にゆっくり会う時にでも驚かせればいいと思っていた。

 町外れにカルディエの迎えの車が来る、という話だったが、そこに行ってもそれらしき姿は影も形もなかった。
 車の外に出て不思議に思いながらも待機していると、不意に、街の方が騒がしくなり始めた。
「何……?」
 異変の正体にはすぐに察しが付いた。
 騒がしいだけではない。悲鳴と、形容し難い声が入り乱れて聞こえ、時折低い衝撃音も響いたのだ。
 まさか、と思った時、スマートフォンが鳴った。着信元は同僚だ。

「もしもし!?」
『大丈夫!? オーストリアを含む欧州南部の各所で、ナイトメアが一斉に暴れ出したって!
 出没したとされている地域の中に、オフィリアの――』

 そこまで聞こえたところで声が遠ざかる。
 カルディエがスマートフォンをオフィリアの手から取り上げたのだ。彼はそのまま通話を切ると、スマートフォン自体の電源も落としてしまう。
 そんなカルディエは、ナイトメアという単語を聴いた今もなお穏やかな表情を浮かべている。
「カルディエ……?」
「駄目だよ、姉さん。今下手に動いたら姉さんも被害に遭ってしまう。それは僕の本意じゃない」
 怪訝に思ったオフィリアに、彼はそんな忠告をする。
 本意じゃない。それは、つまり。
「あなた、知っていたの……!?」
「知っていたとも。だって、ナイトメアをけしかけたのは――僕も所属している、人類救済政府だからね」
「!!」
 ガツン、と頭を殴られたような気分だった。
 人類救済政府の存在は、オフィリアは勿論知っている。
 人類でありながらナイトメアに与する者たち――その代表格たる組織。
 さて、と、カルディエは穏やかな表情を浮かべたまま、スーツの懐に手を入れる。
 そしてオフィリアが警戒する間もなく、彼女の側頭部に銃口を突きつけた。彼女が適合者ですらないことは、まだカルディエが姿を消す前から分かっていたことだった。
「このまま、僕が向かう場所へ姉さんにもついてきてもらうよ。実は姉さんに会ってほしい人がいるんだ。テルミナス……名前くらいは知っているだろう?」
「……人類救済政府の、首魁」
「その通り。人類を次のステップへ導こうとしている、素晴らしい人だよ。人類は皆、ナイトメアについて誤解をしているんだ。それを全世界に知らしめることは追々やるとして……まずは姉さんに、それを理解してほしい」
「……なんで? なんで私なの?」
 ここは怯えておかないとまずい気がした。わざと声を震わせる。
 両手を上げながら視線だけカルディエの顔へ向けて尋ねると、弟は先程からずっと変わらない――けれどどこか歪んで見える笑顔を浮かべたまま答えた。
「寂しかったんだよ、これでも」
「え?」
「人類救済政府に身を置いてからも、ずっと姉さんに会いたかったんだ」
「……カルディエ」
「最初に言った通り、僕はあの街が襲われるのを知っていた。だから姉さんが襲われないで済むように、街から離れてもらうように嘘をついたんだ。そして姉さんに人類救済政府に来てもらえば、ずっと一緒に居られるだろう? 今から逃げる、ましてSALFに連絡するなんて言わないよね? 僕だって、この引き金を引きたくない」
 嘘。
 カルディエはカルディエなりに、歪んでこそいるが自分を想って吐いたもの。
 それなら――十年の間にどんな思想の変化があったのかは分からないが――それを止める為に、自分が出来ることはやらなければいけない。姉として、家族として、SALFの一員として。
「……分かった。話は聞くだけ聞くから、とりあえず銃は下ろして」
 観念したように言うと、カルディエは心底安堵したような、嬉しそうな息を吐いて銃を下ろした。オフィリアはそれを見て右手は普通に下ろし、左手はその右腕を擦るようにして下ろした。
 ばれていない、はず。
 その時、遠くから別のエンジン音が聞こえてきた。
「ようやく来たか」
 とカルディエが口にするからに、人類救済政府のメンバーのものなのだろう。
 オフィリアはその呟きを聞いて、少しばかり複雑な気分になった。
「……迎えを遣わせたり、テルミナスに会わせたいと言えるあたり、随分発言力があるのね」
「自分で言うのも何だけど、あの人の右腕くらいにはなれているんじゃないかな」
 またさらりとオフィリアにとっては衝撃的なことを言いつつ、カルディエは告げた。
「それじゃあ、ここから先は僕についてきてもらうよ」

●SALF本部
 欧州南部に一斉にナイトメアが襲来したという一報を受け、SALF本部は俄に慌ただしくなった。
「ロシアの一件もまだ片がついていないというのに……!」
 SALF長官、エディウス・ベルナーは歯噛みする。ここのところの人類の反抗が強まっている為か、ナイトメアも以前より積極的になっているような気もした。
 ただし、ナイトメアが唐突に狙いを絞って攻撃してきた理由は未だ分からない。
 いきなり大規模に攻めてきた、といえば東京や名古屋の時を思い出す。名古屋の時は正確に言えば事前にラディスラヴァの仕込みがあったので、どちらかというと形が近いのは東京の方だろう。
 ただ、あの時もこちらの力を測るといった意味合いが強い進攻だったようにも思えるし、今更再びそうする理由は流石にナイトメア側にもないはずだ。
 それでも、動き出さなければ無用な被害が出てしまうことには変わりはない。
 エディウスはすぐに命令を出すべく、ベース全体に通ずる通信回線を開いた。


(執筆:津山佑弥
(文責:フロンティアワークス)

●犯行声明

<テルミナス>
「多くの方は初めまして。わたしは、人類救済政府の首班・テルミナスです」

 突然の声明は、ナイトメアの欧州への進攻が一段落したと思われたその矢先に行われた。
 世界中のありとあらゆる公共の放送メディアをジャックすることが出来た理由は、誰にも分からない。業界に彼女に通ずる者が居たとしても、影響がそんなに広まるはずはない。ナイトメアが何かをしたとしか考えられない程度には、人々は混乱していた。

「まず始めに、先の欧州におけるナイトメアの進攻――あちらは、わたしたち人類救済政府がナイトメアに働きかけて行ったものです」

 堂々たる宣言。
 けれど、テルミナスを名乗る『そいつ』は映像のあるメディアにて顔を出さなかったから、人々はまだ彼女の言を信じきれていなかったろう。
 白黒のモザイク映像が流れる中、一方的に突きつける言葉だけが鮮明に人々の耳に届いていく。

「ナイトメアに認められれば自我を残したままより高位な存在に生まれ変われるというのに、貢献するどころか反逆するだなんて悲しいことです。SALFやライセンサーは自らチャンスを潰しています」
「先の進攻は、それを世界中の人々にも理解していただくが為の警告行為です。あくまで『ナイトメアに認められた』人類であるわたしが独断で動かすことを許された戦力を投じたまでであり、もちろんナイトメアの本来の実力はあの程度ではありません」

 『そいつ』はそこで、少しだけ間を置いた。
 ただただ主張をノンストップで語り続けるよりも、聞き手がその意味を咀嚼する時間を設けた方が次の言葉が響く。もちろんそれもケースによるのだけれども、彼女はここではそれが効果的だと思ったのだろう。

「ニュージーランドでは侮りが過ぎ、ロシアではエヌイー様が人類を認めすぎたが故に打倒されました」

 少し下げた声のトーンは、しかし、

「しかし、本来はナイトメアの方が高位の存在であるということは未だ揺らぎません。だからといってわたしは、人類がただナイトメアに蹂躙されることを良しともしません」

 次の台詞では元通り――否、より力強いものになった。

「だからこそ、わたしたちにはナイトメアに認められることが必要なのです」

 そして今一度、自分の主張が正しいと言わんばかりに告げる。

「……世界を探せば、わたしたちと意見を共にする同志はもっと見つかるでしょう。その確信を、わたしは抱いています。そんな方々に、わたしは『行動を起こすのは今』と告げましょう」
「今ならまだ、SALFやライセンサーがどんなにナイトメアに抗っても、蹂躙されない側につくことが出来ます。生まれ変わることも、出来ます」
「一人でも多くの人々がわたしたちとともに居られることを、わたしは願っています。だからあなた方の意思を、これから見せてください」

 そこまで言って『そいつ』の声明は終わり、元の放送が流れ始めたけれど――発言の真偽以前の問題で、世界中が混乱に見舞われたのは言うまでもない。

●密告

<オフィリア>

<カルディエ>
「これは……」

 人類救済政府の幹部である弟・カルディエに囚われたオフィリアは、移送される車のラジオでその音声を聞いていた。
 囚われたといっても、やはりカルディエは彼女に手荒な真似はしたくないらしい。拘束も目隠しをされ、錠を手足にかけられるくらいで済んでいた。彼としてはこれも本当は嫌だったらしく、「まだメンバーとして正式に迎え入れられたわけじゃないから」とため息交じりに言っていた。
 だから隣に座っているそんな弟との会話も、ごく普通に出来てしまう。異常な状況に置かれていることを感じながらも、彼女は問いかけるように彼に顔を向けた。
 カルディエは目を細めて肯く。
「テルミナス様本人だよ。テレビやネットワークで顔は出していないだろうから、多くの人は半信半疑だろうけど……」
「けど?」
「すぐに信じることになるだろうね。僕たちの力は、SALFが思っているほど規模が小さいものじゃないから」
「どういうこと……?」
 思わず訝しむと、彼はくすくすと笑いながら答えた。
「多分ラジオを聞いていればそのうち分かるよ」
 さて、と、カルディエは会話を切り替えた。
「もうすぐ次の中継拠点に着く。車を乗り換えるからそのつもりでいて」
「随分念の入った移動の仕方ね。鉄道も使わないし」
 拘束されてからもはや数日が経つけれど、ここまでの移動は全て車だった。宿泊先は民家、といってもこれももちろん人類救済政府の息のかかった場所だろう。その中でだけは、入浴や睡眠といった生活時間に限り、彼女の拘束は解かれていた。
 車は中継拠点に着く度に乗り換えもしている。要は、ホテルや鉄道、その他の施設といった『足のつく』場所をとことん避けているのだ。
「普段の移動なら鉄道は使うんだけどね。テルミナス様は兎も角、僕たちはSALFに名も知られていない一般人と変わらないから」
 そう言われては、オフィリアとしても思い浮かぶ可能性は一つしかない。
「まさか、これも私がいるから……?」
「流石に荷物のように扱いたくはないしね」
 自分の為に移動をわざわざ苦しくするカルディエの姿勢に、オフィリアは何とも複雑な気分になる。
 出来ればもっと穏やかな形で再会したかったし、その時に丁重に扱われたかった。
 けれどもそれは叶わない願いだから、彼女は確認するように問いかける。
「最終的な目的地はやっぱり……」
「ああ、テルミナス様の待つ拠点だよ」
 やっぱり、と呟くオフィリアの右手首には、腕時計が巻き付けられている。
 防水機構だからといって、入浴中も、睡眠時も全く外さなかったその時計。
 その裏面にはいざというときの為の機能が備え付けられており、今も現在進行形でそれが働いていることを、カルディエはおそらく気づいていない。

●同時進行
「実にやりにくい話になったものだ……」
 SALF本部の長官室。
 エディウス・ベルナーは今までにない事態に困惑していた。
 テルミナスを名乗る人物の声明は、もちろん彼もリアルタイムで目にしていた。彼がメインで使う通信はベース内にしか届かないクローズのものなので奪われはしなかったけれど、世界中のテレビでやっている、となると見ないわけにはいかない。
 彼女の声明は実に現実味と真実味に欠けるところばかりだ。
 声を聞いたのは今回が初めてだったけれども、彼女がそういう主張を掲げている存在だということは前から知っている。問題は、どうして突然ナイトメアを利用してまで動き出したかだ。
 先の進攻も、全体で見ればあっさりと撃退したといえる。彼女は「この程度ではない」と言っていたし、正直なところエディウスも、比較的大掛かりな攻撃を仕掛けてきた割には手応えがないとは感じていた。
 進攻にしても声明にしても、何か狙いはあるはずだ。けれど、その『狙い』が分からない。
 分からないまま、次の事態が訪れた。世界各地で、彼女の主張に呼応しようとする動きが多発しているというのだ。
 その殆どが一般人による小さなものだとされているものの、『ただの』一般人であるわけがない。おそらくは人類救済政府の構成員が紛れ込んでいるだろう。
 鎮めるのは、簡単なようで難しい。
 過去の歴史にも往々にしてあったことだけれど、一度デモが起きるとそれを鎮圧するのは言葉だけでは難しい。普段は『民間』との距離がやや遠いエディウスの言葉なら尚更だ。
 過去のその手の反乱の多くは武力により鎮められたけれど、だからといってライセンサーに手を出させるわけにはいかない。
 相手は『ナイトメア』ではなく『人類』。それこそ、下手をすると余計に人類救済政府の同調者を増やす結果にも繋がりかねない。だからやるとしても、そのライセンサーなどの『自由に動ける』者に現場に赴いてもらい、武力に依らない手段で鎮めてもらうのがベター。
 ただ、数が多い。
 一箇所を鎮めただけでは収まらないし、それこそ後続の動きが起こる可能性も十分にある。
 眉間にシワを寄せて考え込んでいると、通信室から通信が届いた。
『長官、フィッシャー・コア社のレイ・フィッシャーCEO、及び紫電重工の紫電帝社長からそれぞれ通信が届いています』
「繋いでくれ」

<レイ・フィッシャー>

<紫電帝>
 答えるとすぐに、二分割されたモニター上に二人のメガコーポトップの姿が映し出された。
『長官、予想はしていたが大分お困りの様子だな』
『そりゃあそうだろう。俺たちだって自分の工場の周りで騒がれちゃ落ち着かねえ』
「お二人もあの声明は見ていましたか」
 いつも通り挑戦的な笑みを浮かべるレイと、これまたいつも通り顰めっ面をする帝。二人の態度に妙な安心感を覚えながらもエディウスが言うと、二人はそれぞれ無言で肯いた。
『言うまでもないが我が社で製造したテレビも、開発したメディアも利用されたからな』
『こちとらSALFに報告することがあったってのに、そのせいでこうやって数日遅れたんだろが』
『ソーリー。その点に関しては私の責任だ。我が社の製品に何らかのミスがあってのことではないかと原因をサーチする必要があったからな。最優先事項の順位を入れ替えねばならなかった』
 何やら言い合っている二人の様子に、エディウスは同時に通信を繋いできたことからも感づくものがあった。
 そういえば、そろそろ報告がきていてもおかしくない時期だ。
「お二人が言う報告というのはもしや」
 尋ねると、まずレイが再びエディウスを見て答える。
『イエス。我がフィッシャー社の技術の髄を尽くした戦艦――レヴィアタンは、完成の目処が立った』
『まるで自社だけの手柄みたいに言うんじゃねえ。うちのもだが、他のメガコーポの技術も使ってんじゃねえか』
『もちろんそのことも忘れていないし感謝している。だが、ベースは我が社の規格だからな』
 そうレイが言うと、帝はふん、と鼻を鳴らした。

 巨大戦艦レヴィアタン。
 レイや帝の言う通り、フィッシャー社が中心となり各メガコーポが協力をするかたちで開発・建造を進めてきた一大プロジェクトであった。紫電重工は日本各所の港で精密部品の製造・加工を行い、それをフィッシャー社に送る役割を担っていた。
 以前に名古屋が襲われたのも、その動きを不穏ととったナイトメアに目をつけられたからではないかという推測も上がっている。それでもなお、紫電重工はパーツと、秘匿とされていたレヴィアタンの存在を隠し通したのだけれど。

『ついでと言いたくはねえが、こっちの新型もだ。こっちは一足先に使い物になりそうだ』
 帝は相変わらず機嫌悪そうに、ただし自信を漲らせる表情で告げる。

 FS-X 天照。
 それが、帝が言う新型――新しいアサルトコアに冠せられた名である。
 今までにない型式であるのは、紫電重工がフィッシャー社の技術提供を受けて作った機体だからだ。
 職人気質でプライドが高い帝に技術提供を認めさせたのは、天照が元々レヴィアタンの随伴機として想定されていた為デザインの画一性を図る必要があったからというのが大きい。もうひとつ挙げるとするならそれは、災難に見舞われても『秘密』を守り通した紫電重工に借りを返さなければ、というレイの意地だ。

『テストにはすぐに回せる。何なら、今の面倒くせえ状況に試験機を使ってやっても良い』
「それはありがたい。ただ、民間人に被害を出すのは……」
『大本を断てばいいのではないか?』
 言い淀んだエディウスに、そう提案したのはレイだ。
『もちろんテルミナス自身をどうこうするのは難しいだろう。ただ、人類救済政府の拠点を叩けばあちらはあちらでコンフューズし、事態の進行を妨げることは出来るのではないか?』
「それはそうなのですが、拠点の場所もはっきりと掴めていないのが現状です。おそらくは複数あるかとは思うのですが、候補とされるどの地域も確証はないものばかりで――」
「失礼します!」
 血相を変えて飛び込んできた事務官を見て、エディウスは言葉を切らざるを得なかった。
「どうした」
「ウィーン支部のオフィリア・アーレンス事務局長が先日の進攻の直後から行方不明になっていたのですが、彼女がオープンにした通信を支部が傍受したそうなのです」
 行方不明の報告自体初めて聴くけれど、ウィーン支部も近い地域がナイトメア進攻の被害を受けていたはずだ。
 本部同様に処理に追われていたのかもしれないと考え、エディウスはひとまず叱責はしないことにする。
 おそらく肝心なのは、その傍受した通信の内容だ。
 その予想に間違いはなかったことを、すぐに知ることになる。
「傍受した通信の内容をまとめると、オフィリア事務局長は実弟にして人類救済政府の幹部を名乗るカルディエに拉致され、現在はいくつかの中継拠点を経て目的地となる拠点へと向かわされているようです」
「!!」
 その報告には、エディウスだけでなくモニター越しのレイと帝も驚きを隠せなかったようだった。
「事務局長にそんな弟がいるというのは信憑性のある情報なのか?」
「彼女の家族構成には、確かに弟の存在がありました。ただし、彼女曰く十年ほど前に失踪したと」
『……そいつが今になって目の前に現れ、そして事務局長を拉致った。その目的は何だ?』
 帝の問いに、事務官は三人の顔を順々に見渡してから神妙な面持ちで答えた。
「カルディエの発言によると……オフィリア事務局長を、テルミナスに引き合わせる為だと」

 下がってくれ、という命を受け退室した事務官を見送った後、真っ先に口を開いたのはレイだった。
『……天照を使うかどうかは兎も角、解決へ導く為のルートは見えたのではないか?』
『事務局長の身が危険だがな。ナイトメアに泳がされてるんじゃなく、単純にうまいこと隠してるんだ。一歩踏み遅れたら流石に幹部の姉でも容赦はしねえだろう』
「……彼女が正体を明かされてしまう前に、向かうであろう中継拠点を叩く。そのうえで彼女を奪還するしかない」
 その為には、彼女の通信を本部でも出来るだけリアルタイムで傍受する必要がある。エディウスは取り急ぎ、ウィーン支部へ連絡を取り始めた。


(執筆:津山佑弥
(文責:フロンティアワークス)

●対話
 SALFウィーン支部・地下。
 比較的平和な土地柄滅多に使われることのない独房で、カルディエは暗い天井を見上げていた。
 姉の素性は、彼にとっては衝撃的だった。
 けれども、怒りの感情は湧かなかった。彼の知っている姉なら、『そういう生き方』をしていても不思議ではないと、こうやってただ思考に耽っていたら、何となく合点がいったから。
 ただ、それでも呟かずにはいられない。
「このままじゃいけないのに」
 早くここを脱出しなければ、とか、姉の目を醒まさせなければ、とか。
 色々考えはするものの、如何せんまだ『認められていない』から、力がない。
「どうしてこうなっちゃったのかな……」
「それは私の台詞」
 焦燥感に包まれていた彼は、外の廊下を歩く人の気配に気づけずにいた。
 独房の扉についたガラス窓から、姉――オフィリアの複雑そうな顔が見えた。
「出て、カルディエ。少し話をしよう?」

 ライセンサーに保護されたオフィリアは、特に何か危害などを加えられていないことが確認された後、程なくして本来の勤務先であるウィーン支部に戻った。
 もちろんメチャクチャ心配されたけれど、オフィリアにはそんな自分のことをさておいてでもやらなければいけないと思っていたことがあるからである。
 カルディエは、どうして人類救済政府に入ったのか。それを自ら知りたくて、無理を言って彼をウィーン支部の独房に収監させてもらったのだ。
 彼が暴れるような人間ではないことは、自分が一番知っている。


<オフィリア>

<カルディエ>
「十年前――あの日に、一体何があったの?」
 姉弟は、ガラス張りの部屋でテーブルを挟んで向かい合って座っている。マジックミラーになっていて部屋の内側からは見えないが、外にはいつ何が起きてもいいように職員が待機していた。
 オフィリアの問いは、カルディエが姿を消した日のことを示していたけれど、
「あの日に限ったことじゃないよ」
 カルディエは首を横に振った。
「あれよりずっと前から、ナイトメアってなんだろうって思っていたんだ。ただ人類から搾取するだけだったら、わざわざ人類の言葉で人類が分かるように叩きのめしてくる必要なんかないんじゃないかって。言葉が通じなくてもさ、物理的に倒してしまえば結果それがすべてだし。それでもわざわざ優位性を説明するのは、もしかしたらナイトメアが人類に『可能性』を感じているからじゃないかって、思っていたんだ」
「…………」
 真剣な表情で見つめるオフィリアをよそに、カルディエは疲れきった顔で苦笑いを浮かべる。
「でも周りの人はナイトメアは怖い存在だとしか言わないし、僕は兎も角母さんや姉さんを巻き添えにしたくはなかったから、僕も大手を振って言えなかった。そんな僕の前に、人類救済政府の構成員が現れた。君の考えは間違ってない、なんて言われたら、そりゃあついていくさ。十年も帰れないのは流石に子供心には予想してなかったけど」
「……じゃあ、SALFが間違ってるって思うの?」
「この間、テルミナス様が色々なメディアをジャックして言っていたよね。反逆するなんて悲しいことだ、チャンスを潰しているって。あれが僕を含め、人類救済政府の総意だよ」
 疲れを見せながらも穏やかな笑みを浮かべるカルディエ。オフィリアにはそれが、ひどく悲しかった。
 人類だって、いや人類のほうがよほど同類の可能性を見ているはずだろうに、今の彼らにはその考えはないのだろう。
 とりあえず、個人的に知りたかった十年前のことは分かった。後は、「面会するなら併せて聴取しろ」と上層部に条件に出された質問をすることにする。
「テルミナスはどうして、右腕にするほど貴方を買っているの?」
 人類救済政府の潰されると困る拠点などが聞き出せれば話は早いけれど、いくら姉相手でもカルディエはそんなことは教えてくれないだろう。だから、オフィリアになら話してくれそうなところから切り込む。
 すると何故かカルディエは少し困ったような顔をした。表情を強張らせてはいないから「黙秘」というわけでもないようなだけに、オフィリアも彼の様子に首を傾げる。
「僕のことを買ってくれているのは、たぶん姉さんのおかげだろうね」
「……私?」
 肩をすくめるカルディエに、オフィリアは怪訝な顔をする。
「SALF所属の話はテルミナス様も知らなかったろうし、そういう意味じゃないよ。単純に、僕も姉さんみたいに優秀になろうと頑張ったし、あと『一緒にナイトメアに認められたい』と思っていたことを、考えてみれば度々言っていた気がするな。そういうところに人間味みたいなものを感じていたんだと思う」
「……それだけ?」
「それだけ。他にもあるかもしれないけど、僕は知らないよ」
 カルディエはあっさりと答える。
 冷徹さは参謀には必要なものではあるけれど、人類救済政府の目的は人類を滅ぼすことではなく『高位の存在に引き上げる』ことだ。冷たいだけではいけない、ということなのだろうとオフィリアは思った。
 もちろん、テルミナスが彼を評価している理由はそれだけではないとも思う。ただ、本当に知らないのか言う気がないのかは分からないけれど、オフィリアに対して先手を打った以上は聞き出すことは難しいだろう。
 一方で、『認められる』という表現に、オフィリアは少し前から違和感を抱いていた。具体的には、テルミナスがメディアをジャックして演説を行ったときから。
「思っていたんだけど、今の所ナイトメアに認められているのはテルミナスだけ?」
「そうなんじゃないかな。ナイトメアが決めることだし、はっきりとしたことは僕たちも知らないよ」
 中途半端にぼかされたけれど、大事なのはそこではないのでそのまま推測を続ける。

「認められたら高位の存在になるということは、テルミナスは既にレヴェルではなくナイトメアになっているということじゃないの?」

 認められてもすぐには『高位の存在』にはなれない可能性も、もちろんあった。
 けれど、彼の言からするとまだテルミナス以外の人類救済政府のメンバーはナイトメアに認められていない。そして、テルミナスにはナイトメアの軍勢を率いる能力がある。
 ただのレヴェルでは出来ないことでも、『高位の存在』――ナイトメアならいとも簡単に可能だ。

 その指摘を受けたカルディエは、顎に手を当て答えるべき言葉を探しているようだった。色を消したその表情からは、指摘が合っているのかどうかも窺い知ることは難しい。
 やきもきしていると――警報が鳴った。

『全職員に告ぐ! ウィーン外周に、大量のナイトメアが出没!
 ――間もなくこの街は包囲されます。速やかに市民と自身の安全確保をお願いします!』

●宣戦布告
 ほぼ同時刻。
 全世界のメディアは、再びテルミナスによるジャックを受けていた。


<テルミナス>
「人類を無闇に傷つけたり、減らすことはわたしたちの本意ではありません」
 真っ直ぐにカメラに目を向けた彼女は、険しい表情で語る。
「ただし、SALFが我々の拠点を襲い、同志を捕らえるといったことを続けるのであれば、こちらも人類がナイトメアに認められる為の足がかりを残す為には強硬手段を取らなければなりません」
「わたしたちの要求は、同志カルディエをはじめとする拘束中のレヴェルの引き渡しと、制圧された拠点の譲渡。またそのカルディエが強く望んでいる、SALFウィーン支部事務局長オフィリア・アーレンス氏の人類救済政府への引き入れです」
「応じなければ、支部だけでなくウィーンの街を襲うことになるでしょう。SALFの長官には、誠意ある返答を期待します」

 それらの放送を、エディウス・ベルナーもリアルタイムで見ざるを得なかった。直前に、ウィーンがナイトメアに包囲された旨の連絡が入ったからだ。
「いよいよもって実力行使ときたか」
 別件で執務室に居合わせたシヴァレース・ヘッジもその映像を眺め、呟く。
「回答内容自体は確認するまでもないだろうが、どう答えるつもりだ?」
 エディウスはモニターを見つめたまま、答えた。
「要求は断り、かつウィーンの街も守らせてもらう。併せ、SALFは対外的にはレヴェルを自称しているテルミナスを正式にナイトメアと断定する」
「やっぱりそう思うか。喧嘩を売ってくるにも程があるしな」
「ナイトメアの軍勢をそう何度も率いることが出来る者を、ただの人類と思うわけがない。それに」
 エディウスはここでやっとヘッジの方を見た。
「彼女の目的はあくまで『高位の存在に生まれ変わった上での人類の存続』だ。人々の可能性を無闇に奪う交換条件を出してくるとは考え難い」
「裏で誰かが糸を引いている、と?」
「恐らく。それが誰かまでは分からないが、どのみち彼女自身が考えたことでないのであれば、要求に応じたところでウィーンが無事である保証はどこにもない」
 そうしてエディウスは取り急ぎ指示を出し始め、この場にはいる必要がないヘッジは執務室から出た。

「しかし面倒くさいタイミングでの戦いになったもんだ」
 研究室に戻る。
 大抵は自分と助手であるリシナ、数人のスタッフ、それからEXISの調整に来るライセンサーだけが訪れる空間だけれども、今の時期は他にも来客が居た。フィッシャー社をはじめとする、各メガコーポの研究者たちである。
 主にナイトメアの支配から解放された地域の民間人からの志願者や、残存する世界各国の軍の合流により、SALFは戦力が増強されていた。
 巨大戦艦『レヴィアタン』や新型アサルトコア『天照』の開発も強化計画の一環だけれど、グロリアスベース自体の拡張・強化も必要で、どこかのドックに入り重点的な改造を施すことになっていた。
 その為現在グロリアスベースは、アメリカ東海岸・フィッシャー社のドックがあるニューヨーク近辺に停泊しているのである。
「こっちの強化が終わるまでに片がついてくれりゃいいんだが……」
 唐突な宣戦布告といい、気味の悪いものを感じる。
 ヘッジは少し顔をしかめた後気を取り直し、研究者たちの打ち合わせの間に入っていった。

(執筆:津山佑弥
(文責:フロンティアワークス)

●????

<テルミナス>
 人類救済政府の首班・テルミナスは、嘘を吐くということがあまり得意ではない。
 それ自体はもちろん出来る。ただあまりに嘘に嘘を重ねてしまうと、ボロを出しそうな気がする。
 自覚はあったし、故に嘘は極力嘘はつかないようにしている。
 慕っているクラインが自分をそれなりに見てくれているのはその為だという考えは勝手に抱いているものだけれど、違ったとしてもそんなに外れてはいないだろうと思う。
 人類救済政府唯一の『ナイトメア』にして、思慮深さという点は欠けている。
 そんな自分が組織のトップに在る為には、嘘を吐く、騙す為の人材が必要だった。それが、幹部だ。
 複数人居る幹部は、理想の為なら何でもするといった思想の持ち主だ。
 カルディエとて例外ではないけれど、彼には唯一、他の幹部には持ち得ない特性があった。
 家族への強い情。
 外見も人格も、ほぼ本来の『テルミナス』を模倣したとはいえ、ナイトメアはナイトメアだ。
 そもそもそこまで模倣したこと自体かのナイトメアが割と変わり者だったからなのだけれど、故にナイトメア側に付きながらもその家族愛を隠さないカルディエは、ひとえに興味の対象でもあった。
 若くして自分の右腕というところまで来ても尚抱く『姉にこの理想を理解させたい』という彼の願いを叶えさせてやりたいと思うのは、単なる享楽か、それとも――彼への情か。
 何にせよ、その為にはSALFという障害は邪魔だった。
 だからクラインがわざわざ拠点を訪れて『グロリアスベースを襲いたい』と言ってきたのは、テルミナスにとっても渡りに船だった。

 そして現在、テルミナスはウィーン北西にてナイトメアの軍勢に指示を送っている。
 その胸元で、無線機が応答を求めた。幹部であるレヴェルからの通信である。
『あちらは要求を呑むつもりはなく、ウィーンへライセンサーを派遣したようです』
「そうですか」
 素直に残念だと思った。どうやらSALFはとことん自分たちの考えを理解はしてくれないらしい。
 むしろ、わざわざ通信してきた内容がそれだけではないだろう。
 そのテルミナスの予想が当たっていたことはすぐに分かった。
『それからクライン様より、作戦の成否に関係なく、適当なところで戻るように指示がありました』
「……わかりました。貴方は一足先に拠点に戻っていてください」

 通信を切り、テルミナスはふう、と一つ息を吐く。
 海上を移動する機能を持ち、常に移動し続けるSALFの拠点・グロリアスベース。
 いかにナイトメアといえど、勢力圏外――特に洋上となると、その居所を掴むのは容易ではない。だからこそ、クラインは「どうにかして」グロリアスベースを襲いたいと言ったのだ。
 その所在地を特定する為、ナイトメア、いや、人類救済政府は餌を撒いた。
 元は各国に滞在する構成員の所在を確認する為に開発した、人の無線技術とナイトメアの特性を融合させた信号機。もちろん、人類側ではその信号を把握出来ていない。
 先の欧州南部への急襲の際、それをナイトメアの群れにくっつけた。
 それほど頑丈なものでないだけに、戦いの最中に破壊されただろう。
 けれどそれは目的を果たす為に、あえてあっさりとそうさせたのだ。
 信号機を持っていたナイトメアと交戦したライセンサーやアサルトコアに、信号そのものを付着させる為に。
 全員ではないにしろ、彼らの殆どが戻っていく先――ベースの所在を確認する為に。

 信号は把握されていない。時間が経てば自然に消えるものの、戦闘後に付着したナイトメアの体液などと一緒に洗い流されるようなものでもない。
 そういうわけで、移動し続けるベースの軌道を、少し前からクラインやテルミナスは観察していた。どこで襲えば都合が良いか、と。
 ――かくして絶好のチャンスがやってきた。
 グロリアスベースが、アメリカ東海岸で停泊しているのだ。
 一時的なものではあるだろうけれど、だからこそこのチャンスは逃せない。信号も、もうそんなに長くは続かない筈だ。

 ついでに言うとここにきて、ベースを襲うテルミナスにとっての主体的な目的が出来た。
 SALFの支部ごと巻き込まれながらも要求に応じない姿勢を示した、SALF長官、エディウス・ベルナー。
 自分たちの理想を果たす上で、かの存在はテルミナスにとって非常に邪魔なものとなった。
 ここまで来て抗うというなら、流石にテルミナスも――これは自らの意思で、牙を向けざるを得ないと思った。


(執筆:津山佑弥
(文責:フロンティアワークス)

●作戦決行直前

<テルミナス>

<クライン>
 ウィーンの戦場から離脱したテルミナスは、近くに待機させていた小型の飛行ナイトメアを駆り、ヨーロッパの上空を全速で横断した。
 目指した先は、オリジナルインソムニアがすぐ近くにある北極海の洋上。
 ずっと昔――まだ互いにそれぞれ別の姿を取っていた時から逆らえない存在と思っていたナイトメアが、そこに待っている。

「首尾はどうでしたか」
 駆ってきたものよりもずっと巨大なサイズのナイトメアに乗り換え、ブリッジにあたる部位へ着くなり、その上官――クラインに無表情に尋ねられた。
 テルミナスはん、と少しだけ険しい顔をする。
「奪還には失敗しちゃいました。やっぱりわたしも街中に行っておけばよかったかも」
「やめておくべきだと行く前にも言ったでしょう? 無為な破壊をしたくないのは貴方の本音でもあるのに、貴方がどれだけ力を抑えたら街を破壊せずに済むかは私にも分かりません。それに、そこまで抑えたらわざわざ街中に出向く意味も薄い」
 ごもっともな意見だとテルミナスは思った。クラインはテルミナス自身よりも自分の特性を理解している。
 ただ、予想の範疇の出来事とはいえ少し思うところもあった。
「それなんですが」
「?」
「加減が出来ないナイトメアはこの際仕方ないとして、ライセンサー側からも『街を守る』という大義名分のもとに、ナイトメアと戦う際に街を巻き添えにしたようなんです」
「それはそうでしょうね」
 クラインは何を今更、という顔をした。彼女なりに考えはあるのだろうけれど、それはそれとしてテルミナスはSALFについて納得がいかないことがあった。
「そもそも、わたしはそういう無意味な犠牲を出したくないから平和的解決方法を出したのに、要求は無視してかつそういうやり方をするなんて、ちょっと横暴じゃないですか?」
「……」
 クラインは黙ったまま、ややあって肯いた。続きを顎で促されたので、テルミナスは主張を続ける。
「それもこれも、SALFという組織に問題があると思うんです。わたしは幹部がいなきゃ何も出来ませんけど、SALFはその逆。ワンマンです。だから迅速に動けるんでしょうけど、それで横暴が許されるわけではないじゃないですか」
「つまり――確か、エディウス・ベルナーといいましたか。あのトップを叩けと?」
 長い主張の最後に言おうと思っていた結論を先に言われたけれど、テルミナスはむしろその『意を汲んだ』発言が嬉しかった。「はい」と喜びと決意の入り混じった強い表情で肯いた。
「処分するとか、他のエルゴマンサー候補に食わせて彼の人格もなかったことにするとか。本当は嫌ですけど、分かってくれないなら仕方ないですよね!」
 特に却下する理由もないのだろう。クラインはまた少し考えてから、
「……いいでしょう。標的は、グロリアスベースと、エディウス・ベルナーということで」
 そう宣言した。

●襲撃
「またすぐに会うことになる……か。何とも不穏だな」
 グロリアスベース最上階の廊下で、シヴァレース・ヘッジは呟いた。
 つい先程まで、彼はウィーンの事の顛末をSALF長官エディウス・ベルナーから聞いていたところだった。
 人類救済政府首班・テルミナスの目論見は失敗し、幹部カルディエは囚われたまま。
 彼の後の処遇はまだ未定だけれど、それはそれとしてテルミナスの今後の動向は注意しなければならないところだった。
「まぁ、俺は俺のやるべきことを――!?」
 やるか、と言いかけたとき、足元が大きく揺らいだ。バランスを崩し、壁に手を当てて何とか倒れるのを防ぐ。
 グロリアスベースは海上を移動するとはいえ、移動するときでもベースの上では全く揺れなどは感じない。つまり、何かがあったのだ。と思った矢先にスマートフォンが鳴った。助手のリシナ・斉藤からの連絡だ。
『教授、至急避難してください!』
「何があった!?」
『ここの位置がナイトメアに割れたようなんです! 陸上と、その空中から大量のナイトメアの群が襲いかかろうとしてきていて、あ、あと……』
「? どうした?」
 不自然に沈黙したリシナの様子を、ヘッジは訝しむ。
 ややあって、何かを聴いていたらしい彼女はかなり抑えた声で尋ねた。
『……教授、まだ最上階ですか?』
「そうだが」
『……長官も避難が必要です。というか、長官こそ避難してもらわないと大問題です』
「どういうことだ?」
「またしても宣戦布告があったのだ」
 答えたのは、廊下に出てきた当のエディウスだった。
「お誂え向きに、ベースを蹂躙しつつ私を『処分する』とな。要求を呑まなかったのが、少なくともテルミナスには相当気に食わなかったらしい」
「少なくともって、まさか」
 エディウスは少し前に言っていた。この件はテルミナスだけでなく、誰かが裏で糸を引いていると。
 その誰かであるという予感が当たっていることを、すぐにリシナが教えてくれた。
『クラインです。今度はクラインが、テルミナスと一緒に宣戦布告を叩き込んできたんです』
「……そりゃまあ、また随分と大物に狙われたもんだ」
「いつかはそうなると思ってはいたがな。そこに至るまでが思ったよりも早かったのはある」
 エディウスはそこまで言ってから、苦い顔をした。
「ひとまず、既に最低限出すべき指示は出した。奴らの思うようにさせない為にも……保身的で本意ではないが、避難するしかないだろうな」


(執筆:津山佑弥
(文責:フロンティアワークス)

●嵐過ぎ去りし後
 テルミナス、そしてクラインがSALF本部を去った後、残っていたナイトメア群も一斉にグロリアスベースから脱出を始めた。
 はたして、エディウス・ベルナーの所在に関してはついに割れぬまま。
 いずれは地下シェルターに居たことをナイトメアも結論づけるだろうけれど――。
 少なくとも次の襲撃前には、グロリアスベースは再び移動を始めているはずだ。

「種明かしをしていかなかったが……ま、する義理もないか。恐らく奴さんは、信号みたいなもんを仕込んでいたんだろうな」
 ベースが襲撃されるに至った経緯について、シヴァレース・ヘッジはそう結論づける。
「信号?」
 リシナ・斉藤が首を傾げ、ヘッジは肯いてみせた。
「発信機、といった方がいいか。やられたのはおそらく最初の欧州南部への襲撃の時だろう。あの時はナイトメアの目的が確かに不明瞭だったし、その後オフィリア・アーレンスの件があったから有耶無耶になっていた。カルディエはオフィリアがSALFの人間だと知らなかったらしいが、結果的には彼女を攫ったことで目的を上手くカモフラージュすることにもなっちまったわけだ」
「発信機……それなら、すぐに全ライセンサーやアサルトコアをチェックしないといけないのでは?」
「いや、そいつも必要ないだろう」
 ヘッジは首を横に振る。
「たとえば常時機能するような信号なら、襲撃するのは何もベースが停泊しているタイミングじゃなくたって、それこそ周りに何もないような洋上だっていいんだよ」
 今回は陸があったけれど、むしろそれだとナイトメアには都合が悪い。
 エイ型ナイトメアがいれば、空からナイトメアを降らすことが出来るのは東京で証明済みだ。対空設備を考慮しなければ、という前提にはなるものの、ベースの居場所さえ特定出来れば、別に陸地を用意する必要はないのだ。
「それでもこのタイミングで襲撃をしたのは……」
「しなきゃいけなかったんだろう、な。これも推測だが、信号には有効期限があって、それがそろそろ切れちまう、切れる前には襲撃しないと、ってところだろう」
 ヘッジは言う。
「だからチェックするにしてもひとまず全員じゃなくていい、数人と何機かに精密検査に協力してもらえば十分だ。そうと推測を立てた上であれば何かしらアシを残しているかどうかの確認も出来るし、もし今回に乗じてまだ何か仕込んでるならそれも特定出来るからな」
「そもそも、いきなり全員にやってる余裕が流石に今はないですしね……」
 リシナが険しい表情でシェルターの外に目を遣りながら呟く。ヘッジも若干苦い顔をせざるを得ない。
 ベース内からナイトメアの気配がなくなった時点でシェルターは開かれ、即座に襲撃の標的だったエディウスは指揮の為に飛び出していった。
 建設ドッグやベース、SALF本部の被害はそうすぐには復旧できるものではないことは想像に難くない。また、エルゴマンサーに対峙していたライセンサーには負傷者も多い。あくまで推測であることも踏まえると、とても精密検査を実施する、なんて本部命令を下せる状況にはない。
 しかし、それはそれとして、だ。
「一刻も早く態勢を整え直さないといけませんね。ベース強化の完了も含めて」
「まぁな。防戦一方だったとはいえ、クラインを引っ張り出させてこういう結果になったんだ。インソムニアを既に二……いや、三箇所破壊していることも考えると、そろそろ奴さんも何か考えるかもな」
 これからもっと忙しくなりそうだ、とヘッジは肩をすくめた。

●姉弟の顛末

<カルディエ>

<オフィリア>
「そう……か。クライン様も居たのに失敗したんじゃあどうしようもないな」
 SALFウィーン支部、独房。
 勾留が続くカルディエに、独房の外からオフィリアはグロリアスベースで起きた襲撃の結末を告げた。それに対する反応が、これだった。
 オフィリアにしても予想通りの反応であるけれど……どうにか、この状況は変えたい。
「ねえ、カルディエ」
「何だい?」
「テルミナスは、ナイトメアはまた貴方を奪還しに来ると思う?」
 人類救済政府の幹部であるとはいえ、いや、だからこそ、身体能力は一般人に過ぎないカルディエ自身が犯した『罪』と呼べるものは決して多くはない。強いて挙げるのであれば、オフィリアを誘拐しようとしたことくらいだ。裁きを受けるにしても、『法』の範疇だろう。
 だからメンタルの部分の処置は必要だとしても、彼が『こちら側』に戻ってくることは決して難しくないとオフィリアは思っていた。
 カルディエにしても、オフィリアが側にいることを望んでいるのだから、この揺さぶりは少しは効くのではないか――少し性格が悪いかと思いながらもそう尋ねてみたのだ。けれど、
「来ると思うよ。少なくとも、テルミナス様はね」
 カルディエは即答した。
「別に思い上がっているわけじゃない。ただ、あの方は僕たちを見捨てたりはしない。……姉さんやSALFのことだってそうさ。長官は例外だろうけどね。テルミナス様にとっては『SALFに所属している人たちを間違った方向に導いている』人だから」
「……そう」
 決して揺らぐことのない信頼を目にし、オフィリアは目を伏せる。そう上手くはいかなかったらしい。
 その時、職員が自分を呼ぶ声が聞こえた。面会の時間も終わりだという。
 いつまでもここに彼を勾留しておくわけにもいかない。ごく近いうちに、別の施設に移送されることになっていた。こうして対話が出来るのも、一旦はこれが最後になるだろう。
 でも、これだけは言っておきたい。
「私は貴方が帰ってくるのを、ずっと待ってるから。ナイトメアとか、レヴェルとか、それこそ人類救済政府の言うところの高位の存在なんかじゃない。『人として』の貴方とまた過ごす時間を、私は待ってる」
 じゃあ、行くから。
 カルディエの返事を待たず、オフィリアは踵を返す。
 ある種の決別の決意を固めるよう、少しも振り返ることなく、彼女は独房を去っていった。


 エルゴマンサーの侵入と戦闘により荒れた最上階。
 執務室に入り、外部から覗けぬよう閉じていたカーテンを開け放ち、エディウス・ベルナーは窓の外を見る。
「雪……か」
 そういえば今の時節のこの地域なら、降ってもおかしくはない。基本的には常に海上移動を続けているグロリアスベースにとって、空から降り注ぐ結晶をただ受け入れる、というのは珍しい光景だ。

 ナイトメアとの戦闘が苛烈だった1年も、間もなく終わる。
 この1年で色々なものが変わった。何より、インソムニアを破壊してナイトメアに明確に『反攻』を示すことが出来たのが大きい。
 このまま事が順調に進むとはエディウスとて思っていないけれど、せめて年の瀬くらいは静かになってくれればいいと思った。

(執筆:津山佑弥
(文責:フロンティアワークス)

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