●帰還
放浪者、そして地球に残された中でも人類に敵対する意思のないナイトメアがどうするか、というのは、戦争が終わった後の一つの今後の話に過ぎない。
多くの人々にとっては、ナイトメアの侵略に脅かされることがなくなり、一方でイマジナリードライブという技術が発展した世界での『日常』こそ、想いを馳せるべき未来の姿だった。
セレスト・アッカーは、久しぶりにニュージーランドの地に足を踏み入れた。
ひとまず大きな戦いも終わったということで、今は亡き両親に報告することも兼ね帰郷したのだけれども。
<セレスト・アッカー>
「やっぱりそう簡単にはいなくならないわよね……」
荒涼とした大地を見渡し、溜め息を一つ。
ナイトメアの脅威は去った。といっても、それは「新たな脅威が生み出される危険」の話である。
ニュージーランドからは人類に敵対するエルゴマンサーも居なくなったけれども、それにより統制が取られなくなったナイトメアはまだ結構な数が残存しているはずだ。
思わず溜め息をついてしまったのも、何もない大地を闊歩しているストームシープを見つけてしまった為だ。
「……よし」
敵の数は三体。ライセンサーとして活動してきた今なら、不意を打てれば倒せない数ではない。
もし倒しきれなくても、撤退して態勢を立て直すことは出来る。敵数が増えるようならSALFに依頼として他のライセンサーを派遣してもらうことも出来るだろう。
ナイトメアにただ苦しめられていた頃とは違う。
今はセレスト自身無力でもないし、一人でもないのだから。
足に力を込め、一気に駆け出す。
戦争が終わっても、ナイトメアに脅かされる事態が発生しうる限り、ライセンサーの戦いは続く。
●食卓
<オフィリア・アーレンス>
SALFウィーン支部事務局長であるオフィリア・アーレンスは、非番であるその日、郊外にある自宅のリビングに佇んでいた。
テーブルの上に並ぶ皿の数は、ここ数年ずっと続いていた生活のそれよりも多い。
準備をし終えた今、オフィリアはテーブルの向こうに座るべき人物がこの家に来る時を、今か今かと待ち望んでいた。
暫くして、自宅の前に車が停まる気配がした。
待ちきれず立ち上がって、玄関へと向かう。
扉を開けた向こうでは、SALFの制服を身に纏った数人の職員が車を囲い。
まさに今、車から一番最後に降りてきた影は――玄関前に佇むオフィリアを見据え、戸惑ったような、申し訳ないような、兎に角色々な感情がない混ぜになった表情になって、口を開いた。
「……ただいま、姉さん」
――『元』人類救済政府の幹部にしてオフィリアの実弟であるカルディエ・アーレンスのその表情を見て、オフィリアは穏やかに笑みを浮かべる。
「おかえり、カルディエ」
何も気に病むことはないのだと、彼に言い聞かせるように。
テルミナスの死後まもなく、人類救済政府は瓦解した。
ロシアにて、彼女を聖女と崇めた者たちによる集団心中なども画策されたりもした。けれどもそれもライセンサーたちにより阻止され、ナイトメアという拠り所も失った彼らに最早統制を取る術はなかったのである。
生き残っていた幹部たちも散り散りに逃げたらしい。勿論捕縛された者もいたけれども、残党が何やら企てているという話はSALFのネットワークにもとんと入ってこない。組織の存在が過去のものとなるには、そう多くの時間は要しないだろう。
一方で、ウィーン支部に軟禁されていたカルディエの様子も徐々に変わっていった。
テルミナスが人類に与したという情報は与えていなかったからか、ウィーン支部に移送された後も彼の黙秘とテルミナスを信じるという主張は変わってはいなかった。しかし、テルミナスがナイトメアに殺され、またナイトメアが人類に敗れたと知ると――まず茫然自失となった。
この状況でオフィリアの存在は彼にとって刺激が強く、何をするか分からない。故に接触を一時的に絶たれたので具体的な彼の様子はオフィリアも伝聞でしか知らない。譫言を宣ったり、睡眠も食事も取らず天井をただずっと見上げていたりと、かなり精神的に不安定だったようだ。
それでも徐々に現実を受け入れてきたのか……或いは、『思想』という名の洗脳が解けてきたのか。暫くすると、落ち着きを取り戻した彼の口から、人類救済政府の幹部として行ってきたことの自供が出始めた。
彼が主体となって行ったことの殆どは、後に組織の構成員となった人々の勧誘や拉致だ。
時にはテルミナスが従えていたナイトメアを借りての強硬策を取ったこともあるけれども、そもそも人類救済政府という組織自体、SALFと積極的に刃を交えようという趣旨のものではない。強硬策による被害もそれほど大きいわけではなかった。
聴取に協力的になり、また強い反省の意思もあること、そして何より身内にSALF職員がいることから、彼は暫くして釈放されるに至ったのだった。
「きっと僕たちは、傲慢だったんだ」
久しぶりの、カルディエとに至っては十年ぶりの、家族との食卓の席。
オフィリアの手料理に少しずつ口をつけながら、カルディエはそう言葉を発した。
「自分たちなら、あの人――『テルミナス』に従っていけば、人類を更に高い次元へ導いていける。そんな風に刷り込まれていたんだ。あの人自身が本気でそう出来ると考えていたのは、もちろんあるけど」
カルディエは僅かに苦笑する。
「近くで見ていても分かっていたんだけど、あの人、本当に裏表がなかったんだ。ナイトメアにとっては嘘でも、あの人にとっては嘘じゃなかったんだよ」
「強い力に『出来る』と言われたら、信じたくなる、ってことね……」
漏らしたオフィリアに、そういうこと、とカルディエは肯いた。
「……本当にごめん、姉さん。僕は結局、何も正しくなんかなかった。それなのに、姉さんを拉致したりもして……」
「申し訳ないと思ってるなら」
俯いた弟に、オフィリアは姉の顔で指を突きつける。
「これから取り返して。貴方はまだ『人類の為』に動ける。動く時間はいくらでもある」
カルディエがはっとした表情で見つめ返してくる。オフィリアは続けた。
「私はもう気にしてない。気にしていたらこんな食事用意したりしないし、そもそも私がずっと願っていたのは、貴方とこうしてまた食卓を囲むことだったんだから」
「……分かった。具体的に何をどうするか、ちゃんと考えてみる」
カルディエはそれから再び俯いて、呟いた。
「……ありがとう」
●未来
戦争が終わったところで、SALFの役割が減るわけではない。
いや、むしろ増えたと言ってもいいかもしれない。
「残存ナイトメアの討伐依頼ですね。詳細な場所と分かっている情報をお願いします」
「ナイトメアにより廃墟にされてしまった村の復興の為の後片付け……これは国に依頼します? ライセンサーを派遣します?」
「廃墟にナイトメアが住み着いてないと限らないだろ、ライセンサーに依頼しよう」
「誰かー! アフリカに送る支援物資の確認手伝ってー! このままじゃ搬出時間までに終わらないー!」
グロリアスベースのSALF本部のあちこちで、職員たちのそんな声が響いている。
彼らは、兎に角忙しく動いていた。もしかすると戦争中よりもてんやわんやかもしれない。
というのも、今やSALFは全世界的な復興の基地局の役割を担っており、グロリアスベースはそのシンボルであるからだ。お膝元で働く彼らが忙しくないわけがない。
戦争中とは別の意味で忙しくなったのは、何もSALFだけではない。
「ニーズがあればそれに応える。それがメガコーポレーションというものだ」
レイ・フィッシャーは戦争終結以後、そんな言葉をよく口にする。
元々フィッシャー社は、日用品からアサルトコアまで何でも取り扱う企業である。ただ、企業戦略は少しだけ変わった。
戦争中は政治レベルに働きかけて各国にEXISやアサルトコアの購入を促したりもしたけれども、最早その必要はなくなっている。より復興に役立つような製品や技術を、IMDの関係有無問わず提供するようになった。
もちろん、復興の最中の国にはそれでも満足に購入する資金などはない。だからそういう国には無償、或いは格安で提供している。一種の慈善事業である。
唯一の例外は、ロシアとその近辺地域。つまりノヴァ社の商圏だ。
端的に言えばノヴァ社も、商圏地域に対して同じようなことをしているのだ。戦争が契機になって生まれたメガコーポである為、人々の日常生活における浸透度合いはこれまでフィッシャー社に遅れを取っていたけれども、これからはそうも言っていられない。元々のベースである複数の大企業の技術力を再び、人々の生活へと向け始めた。
そうなると企業力では引けを取らないノヴァ社の商域で、フィッシャー社もそう簡単には勝利は出来ない。
そんなわけで経済戦略という名の新たな『戦争』が始まりつつあったけれども、それもまた平和故に出来ることなのだろう――多くの経済学者はそう語っていた。
ちなみに、IMDによって生み出されたモノの一つであるヴァルキュリアについて。
戦争中はライセンサーとなり得る存在だけが特別扱いされた節があったけれども、戦争が終わるとヴァルキュリアという存在全てに対して人間と等しい義務や権利を与えるかどうかという論議が起こった。
人権的なものはヴァルキュリアという存在が認知されてからまもなく確立されていたけれども、あくまで「迫害されない」最低限のもので、元がAIである以上生身の人間よりも下に見がちな人種はどうしても存在する。
これからますます人々の生活に溶け込んでいくことになるであろう彼らに向けられるそういった偏見が許されないものとなるよう、論議は慎重に、かつ前向きに進められたのだった。
●決意
「……長官を辞める? 本気か?」
本部にある長官の執務室。
打ち合わせがてらの雑談でエディウスが切り出した言葉に、流石のヘッジも目を丸くした。
エディウスは、うむ、と肯く。
「まだ慌ただしい今すぐにではないがな。ただ、そう遠くないうちに、とは考えている」
「どうしてまた」
問われ、エディウスは窓の外を見て目を細める。
「……ナイトメアとの戦争が終わり、SALFが『復興の為の組織』として在る今、元々軍人だった私がこれ以上トップの地位に居続けることは世界にとって望ましくないだろう、と思うのだ。勿論辞した後も助力はするが、旗手は新しい世代……IMDをどうやって人々の為により活かせるかを、より身近になって考えられる人間に任せるべきだとな」
それは、エディウスの偽らざる本心だった。
戦争が長く続いたからだろうか、それとも元が軍にいた人間だったからだろうか。どうしても、IMDをEXISに活かすことはできないか、という思考を今でも取り払うことが出来ない。
この先はそれではいけないのだとエディウスは思う。あくまで兵器であるEXISは、その生産で生きてきた企業に対しての今後の為の補償も行い、生産を停止すべきだと。アサルトコアも、少なくとも当面は今以上の進歩は必要はない。その技術力は他のことに注力すべきだ。
そして思考に凝り固まった部分が生じてしまった自分は、潔く退くべきなのだろうと。
「急に頑固親父っぽくなりやがって……」
エディウスの本音を聞き、ヘッジは最初眉を八の字にしたけれども、やがてフッと口端を歪める。
「まぁ、どのみちすぐにではないんだろ。辞めるタイミングまではきりきりと指揮を執ってもらうぞ。俺はいい加減遊びたい」
「お前は放っておくとギャンブルに興じる。そこを制することの出来る人選をせねばな」
「勘弁してくれよ」
そう言い合って、大の大人二人は声を上げて笑うのだった。
●旅立ち
――2061年、春のある日。
グロリアスベースのドッグにて、二隻の宇宙船が発進の時を待っていた。
一隻は、ペギーたちが地球に逃れてきた時に使ったものを修理したもの。
もう一隻は、新造にして非常に小ぶりの、少人数用のもの。
前者で故郷に帰るペギーの同胞はもう船に乗り込んでいる。
後者に乗り込む唯一の人物――クラインは、荷物の入ったキャリーケースを引き摺って見送る人々の前に姿を見せた。
「こんなに荷物は要らないはずですが……」
「駄目ですよ、あなたにはもう『感覚』があるんだから」
戸惑うクラインに、リシナ・斉藤はそう指摘する。
「医者も言っていました。以前の貴方だったら『知的生命体を捕食したい』という欲から、逆に所謂餓えというのはなかったかもしれない。でも、今は違うんです。それで苦しむ日が来るかもしれない。私たちに出来る支援もここまでなんですから、最悪一人でどうにかしないといけないんです」
そういうわけで、荷物の多くは非常食だ。それ以外に旅に必要なものもすでに粗方船に積み込んである。
「なるほど……それは確かに、今後のためにも無下にするわけにはいきませんね」
「……やっぱり戦争が終わってから、とっても変わりましたよ、貴方」
「?」
リシナの次なる指摘に、首をかしげるクライン。リシナの隣にいたヘッジが「くく」と笑った。
「『未来』のことを考え、願っている。そう言っているんだろう?」
「それだけじゃないです。食事にしろ何にしろ、色々なものに思いを馳せるようようになりました。……そうですね、『想像力』を得た、と言っていいと思います」
想像力。イマジナリードライブの、源。
そう伝え聞いていたクラインは、リシナの言葉に驚き、そして、笑みを浮かべた。
「……それなら、もしかしたら私以外のナイトメアの『未来』も、他の種族を捕食する以外の方法で模索できるかもしれませんね」
それはおそらく、闘う以外の第二のナイトメアへの対策になるだろう、と。
次に相見えることは、おそらくないだろうけれど。
「それでは、またいつか」
クラインはそう言って、船に乗り込む。
二隻の宇宙船が順々に空へ飛び立ち――大気圏に到達する前に次元を跨ぐ為に穴が開く。
クラインを乗せた船が穴の向こうに消え、空が元通りに戻るまで、ドッグに居た人々はその姿をずっと見送っていた。
(執筆:
津山佑弥)
(文責:WTRPG・OMC運営チーム)