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「ダメです! 死ぬことは許しません!」
猛吹雪の中、部下を抱えて叫ぶ。
――分かる。
手の中にある温もりが、失われていくのが。
それが残された命の灯火である事はすぐに分かる。
「た、隊長……」
部下の口からこぼれる言葉。
ナイトメアの前線基地に関する情報をキャッチしたのは数日前。しかし猛吹雪の中で部隊を動かせばナイトメア発見よりも前に部隊が遭難する恐れもある。
だからこそ、上官へ進言した。
しかし、上官からの言葉はいつも同じ――。
『上からの命令だ』
軍組織である以上、上官からの命令は絶対だ。あとで分かったことだが、この前線基地は功を焦った参謀の一人が不確定情報に飛び付いたのが発端だ。我々は有りもしない敵の前線基地を探すために斥候しに赴いたのだ。
「大丈夫です。必ず助けは来ますから」
部下にそう言葉をかけたが、言ってる自分が虚しくなる。
本部との連絡が途絶えて数日。
その間、猛吹雪で行軍もままならず、偶然見つけた洞窟に身を隠していた。
――事件を揉み消したい上が、捜索にストップをかけたとも知らずに。
「隊長、思うんですよ」
「何も言わなくて良いんです。もう少しだけ耐えて下さい」
懇願にも似た叫び。
部下も分かっていたのだろう。助けなど来ないということに。
だからこそ、部下は言葉を止めなかった。
「ナイトメアがいなかったら……我々の上官がもう少しまともだったら……我々は、今頃何をして過ごしていたのでしょうか」
部下の呟きに黙って耳を傾ける他なかった。
『たられば』を言っても仕方ない。
それはよく聞く話だ。だが、事ここにおいて、『たられば』で原因を見出さなければ生き残る事は難しい。
――我々は見捨てられたのだから。
「もういい……もういいから」
嗚咽混じりに懇願する。
どうしてこうなった。
来るはずのない救助を待つ裏で、軍は我が部隊をナイトメアと会敵して全滅したと報告書を捏造していたのだから。
「隊長、次はナイトメアも軍もいないところで平和に……」
部下は言葉を言い切る前に事切れた。
弛緩した体を前に怒りの炎が湧き上がる。
――もういい。
人を蹂躙するナイトメアも、理不尽な軍もいらない。
私のいないところで勝手に自滅しあえばいい。私は双方がいない世界を作り上げる。部下の無念に報いる為にも。
●
カンクンに構築された防衛線を突破した海猫隊は北上を開始していた。
カンクンで市民の救助をそこそこに北上を再開したのには、相応の理由がある。
「早期にアルタールを陥落させるにゃ?」
海猫隊隊長のニャートマン軍曹は意気揚々と隊員へ命令を下す。
SALFにとって最終目標は太平洋インソムニア『ルルイエ』である。そのためには親ナイトメア組織と思しきアルタールを陥落させて後顧の憂いを断つ必要がある。
SALF本隊もアルタール攻略に時間をかけられないという焦りが見え始めていた。
「にゃ?。敵の動きはどうかにゃ?」
「にゃ?。アルタールへ籠城するようです。にゃ?」
部下からの報告に軍曹は耳を傾ける。
アルタールは戦力をぶつけるのではなく、籠城戦へ持ち込むつもりのようだ。
アルタールの周囲は高い壁で囲まれている。この壁を乗り越えるだけでも相当な時間がかかる。
「敵は増援を待っているかもしれないにゃ?」
「にゃ?。軍曹、いかが致しましょうか。にゃ?」
部下の問い掛けに軍曹はニヤリと微笑んだ。
「予定通りアサルトコアの準備を急がせるにゃ?。それから敵の総帥は生きたまま身柄を確保を厳命するにゃ?。ルルイエの情報を知っているとすれば、そいつにゃ?」
軍曹が目指すのはアルタール総帥マーク・マイヤーの身柄確保。その為には攻略作戦を短時間で行う必要がある。
――アルタール攻略作戦。
海猫隊は課せられた責務を背負い、過酷なる戦いへ身を投じようとしていた。
●
ショロトルの治し方がわかったかもしれない。
そう聞いて、研究所に猛ダッシュで走って行ったのは地蔵坂 千紘だった。
「博士!!! ショロトルの治し方がわかったってマジ!?」
「にゃ?。ヘッジ博士は今忙しくて手が離せないから、俺が代わりに説明するにゃ?」
そう言いながら、とてとてと出てきたのはニャートマン軍曹で、猫好きの千紘は一瞬だけふにゃっとした表情になる。が、すぐに気を取り直し、
「にゃ?。軍曹、ご教示いただきたいであります! にゃ?!」
びしっと敬礼をして教えを請うた。
「にゃ?。今日初めて会うのに俺と話すときの心得を知っているとはにゃ?」
「にゃ?。軍曹は有名でいらっしゃいますので、にゃ?」
そして、ニャートマン軍曹のショロトル講座が始まった。
「にゃ?。まず、人食いのトレントが人を食べて赤い実を付けるにゃ?」
机の上にぽん、とトレントの実を取り出す。カンクンで回収されたものだ。
「そしてこれを加工して薬にするにゃ?。アルタールでは『チョコラトル』と呼んでいたようだにゃ?。これもライセンサーの協力で持ち帰ることができたにゃ?」
成分解析のために中身を出して、空になった瓶が置かれる。そのラベルには、チョコラトルと記されていた。
「これを投与することによって、筋肉の肥大化が起こり、精神に働きかけて凶暴化するにゃ?。普通の薬と同じで、量で効き目が変わるにゃ?」
「結晶になっちゃうのはどうして?」
「にゃ?。正確な機序についてはわかっていないにゃ?。ただ、大量投与すると、肉体が徐々に塩などの結晶に置き換わるみたいだにゃ?」
「なるほどね。比較的モヤシなショロトルが助かったのってそう言うことか。救急車を追い掛けられるくらい強力な固体は塩になっちゃったんだね」
「そうみたいだにゃ?。重要なのはそこにゃ?。この薬には回復手段があると言うことは、救命されたショロトルの存在で明らかだったにゃ?」
救急搬送されたショロトルは、補液の投与しか行なっていなかった。食事も水分も自力で取れなかったため、栄養失調と脱水を防ぐためだ。特別なことはしていない。
「このことから、研究所が出した答えは……」
チョコラトルは、少量なら自然排出で助かる可能性がある。
「う?ん」
結論を聞いて、千紘は唸った。
「でも、あんなでかいのに全員、薬が抜けるまで待ってられないよ。それに、排出を待ってる間に、大量投与された人は結晶化しちゃうじゃん」
「そこでだにゃ?」
ニャートマン軍曹は一つの資料を見せた。
「ナイトメア由来ということで、試しにIMDをぶつけてみたにゃ?。すると、チョコラトルはただの酒になっていたにゃ?」
「それって……!」
千紘の顔がぱっと輝いた。
「にゃ?。IMDを上手く使えば、ショロトル体内のチョコラトル成分を無毒化することも可能だにゃ?。これらの検出された成分に対して、人体の外側からでも投与できるIMD療法を模索中だにゃ?」
「博士が忙しいってそう言うことなんだね? じゃあ、アルタール攻略までに間に合えば……!」
「にゃ?人命救助もできる、アルタールの戦力も減る。良いことずくめだにゃ?」
そして、シヴァレース・ヘッジ博士は間に合わせた。
ショロトル専用IMD治療変換器「エエカトル」。
ほぼぶっつけ本番の運用になるが、ショロトルの救命に一つの希望が見えたのだった。
●
――。
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<ハオヘア>
<マーク・マイヤー>
「そなたが噂の者か。見掛けよりも貧相であるな」
それが、ハオヘアと名乗るエルゴマンサーと初めて交わした言葉だった。
軍に見捨てられる形で部隊は全滅。来るはずのない救助を待ちながら、呪詛にも似た言葉を口にして亡くなっていく。無茶な作戦立案を提案した参謀も、保身を考えて逃げ出した将軍も――すべてが恨みの対象に見えた。
そんな中で起こった出会い。
それがその後の人生を変えた。
「どうも」
「余との謁見を許可されたのだ。もっと喜ぶべきであろう?
まあ、良い。それより貴様は人でありながら人を辞めたいらしいな」
「正確には違います。私は人ともナイトメアとも関わり合いたくないのです」
明確な拒絶を示した。
人の命を軽んじる人間も、敵対するナイトメアとも関係を絶って独立した世界に生きたい。もう戦いも裏切りも沢山だ。
「はっきりと言い切ったな。しかし、人ともナイトメアとも離れて一人勝手に生きていけると思うのか?」
「…………」
ハオヘアの問いに、何も答えられなかった。
軍から追われる身である上、何も持たない状態でナイトメアが手を貸してくれるとも思えない。正直、希望を口にしたものの、それを実現する術はない。
そんな中でハオヘアは思わぬ言葉を口にした。
「良かろう」
「…………?」
「貴様が思う街を作ってみせよ。余が手を貸してやろう」
「私にはあなたに渡せる物は何もありませんが……」
「構わぬ」
ハオヘアは、そう言い切った。
何が目的だ?
何かをさせようというのか?
それならそれで構わない。生きる為だ。精々、利用者させてもらおう。
「そうですか。お言葉に甘えさせていただきます。できれば、手を貸していただける理由を教えていただけませんか?」
「余がそう決めた。人を捨て、ナイトメアを拒絶する者が、どう生きていくのか。それに興味がある。申してみよ。貴様の望む物をくれてやろう」
王を自称する者の酔狂なのか。
それでもいい。ナイトメアの力を借りるのは癪だが、新たに生まれる世界で、人ともナイトメアとも関わらずに生きていけるなら――。