1. グロリアスドライヴ

  2. 広場

  3. 【4N】

【4N】

アイコン

大きな戦いは今後減っていくことだろう。 だが、人の心や欲というもっと厄介な代物は、これからも世界を乱すかもしれない。 アフリカはその意味での最前線ということになり続けそうだ。 私も微力ながら、この新たな戦いに関わっていこうと思う。

ライセンサー:水月ハルカ(lz0004)

第八弾「楽園、陥落」(12/25公開)


「俺が言うことなんて残ってなさそうだな」
 ライセンサーたちが堂々と語りかける姿を見ながら、ガネム・ジダンは言う。

ソアリリ
「そんなことはありません。色々な経験をしてきたジダンさんだからこそ、届く言葉はあるはずです」
「……まあ、やってみるさ」
 ソアリリ(lz0035)に声を掛けられ、ジダンは壇上へ戻る。



 しかしジダンの演説は、途中まではなかなか悲惨なものであった。
 変にかしこまった言葉遣い、取り繕ったような内容、行儀はいいが上っ面だけの言い回し。聴衆の心に届くどころか耳にすら留まらない。
 だが。
「私は英雄になるために戦ってきたわけではありません。私が戦ってきたのはアフリカの平和のため……」
 そこまで言うとジダンは言葉を切り、にやりと唇を歪める。
「いや、こんなのやっぱ柄じゃねえんだ。いつも通りやらせてもらうぜ」
 それからは、『眠らぬ獅子』リーダーのガネム・ジダンがそこにいた。

「……てなわけで、ソマリアにいたしばらくの間はそのラクダの乳が俺たちの命綱だった。そういえば、それから少ししてこのケニアに来た頃、珍しく砂糖を手に入れたことがあったんだが、虫に集られてな。どいつもこいつも甘味に飢えてたものだからやけくそになってその虫を食ったら、砂糖を食べたばかりなもんだからやけに甘くて……」
 三十年間のゲリラ活動の間にはそれはもう色々あった。特に悩まされたのは飢えであり、様々なエピソードを披露するたびに観衆は沸いた。
 立場や思いは違えど、アフリカに残された人間たちも当然みな食事はする。そしてパラノマイに絶滅寸前まで追いやられ農業生産どころではない事態を経験した東アフリカは無論のこと、砂漠緑化で豊かな土地になった西アフリカでも不作はあった。
 食の苦しみは、ジダンと彼らをまずつなぐ共通言語となった。
 そこから少しずつ、彼は自分なりに話を広げていく。食うことから、喰われること。そして自分の戦いへ。

 そしてやがて、演説は終わりに差し掛かった。
「人間、ってか、人類、ってか、もしかしたらそれ以外の連中も、みんな間違うんだよ。俺だっていくらでも間違ってきたし、今この瞬間にだってきっと間違ってる」
 それは、ゲリラのリーダーとしてなかなか見せたことのない弱み。しかしそれをさらけ出さずにはこんな演説をする意味もないと、話すうちにジダンは確信していた。
「だから……何だろうな……間違いを何でもかんでも許せとは言わねえよ。そういうこと言い出したらバカは懲りもせずいつまでだって間違い続ける。謝ったら許せってのも……謝ったからもういいだろみたいな理屈をしたり顔で使い始めるクソ野郎がいるし……謝ろうが何しようがもう取り返しのつかない間違いもある……」
 悩ましげに、ジダンはがりがりと頭を掻いた。
「けどな」
 明快な答えなど出せない。
「なるべく、許せる準備はして欲しいんだ。それは相手のためじゃなくて、あんたのために」
 それでも、伝えたくて言葉を振り絞った。
「この大地を人類が取り戻した時、無意味な火種はできるだけ生まないようにして欲しい。それだけだ」



 演説は、世界各地に中継されていた。特に、西アフリカのナイトメア支配地域から保護され避難した住民が熱心に見ていた。
 アルジェリアのアルバサから避難していた住民たちが見ていた。兄と妹は寄り添って一心不乱に画面を見ていた。
 ギニアから保護された住民たちも見ていた。ナイトメアを受け入れ、時に同胞を犠牲にし、それでも最終的にはSALFに救いを求めた人々だった。
 モロッコの村から、三十年続いたナイトメア崇拝と生贄の慣習に疑問を抱いて逃れた人たちも見ていた。
 コートジボワールのとある村から避難した住民たちも見ていた。三十年前を知る者たちも、知らない子や孫の世代も、今は全員が黙って聞き入っていた。



 演説を終えたジダンは、ニジェールインソムニア陥落の知らせを受けた。
「長い戦いの終わりが来るとはな……」
 一見淡々とした反応。
 だが彼も、内心で勝利をしみじみと噛みしめていた。


 インソムニアの外、東側で負傷者搬送を手伝っていたアイシャ・サイード(lz0130)は、二階に突入していた者たちからの通信でトゥタッティーオ討伐を知った。
「勝った……のか? 我らは、アフリカを取り戻せたのか?」
 アイシャは信じられないとかぶりを振りつつ、ジワジワと押し寄せる勝利の実感に、泣きそうになってぐっと堪えた。
 どれだけ仲間が犠牲になったか。父や母も、もう帰ってこない。けれど、その死は報いられたのだ。
「やっと、おじいちゃんを連れてこられるね」
 ぽつりと呟いた言葉は、誰の耳にも残らず消え去った。

 アサルトコアで列車砲の再編成を手伝っていたアイザック・ケイン(lz0007)も、ほぼ同時にそれを知る。
 アフリカ奪還を家の悲願として、あらゆる手段を尽くし、多くの大切な人を失いながら、それでも前を向いて戦い続けたアイザックは勝利に酔うこともなく、小さく呟いた。
「長い悪夢から、僕らは目覚めたんだね」
 人類はナイトメアという悪夢に支配され、その呪いにあらがい続けた。
 アイザックは長年の重荷から解放され、万感の思いでアフリカの大地を見回す。
 そして目を瞑り、ナイトメアに殺された全ての人たちへ、哀悼の祈りを捧げた。



 地蔵坂 千紘(lz0095)は、クラーティオ(lz0140)との戦いの後始末をしている時に、インソムニア陥落の報に接した。
 リシャールが言葉を発する。千紘に話しかけるというよりは、思いが口からこぼれ出たようであった。
「アフリカの三十年は止まっていたわけじゃない。彼らにとってはここから新生活が始まる」
「うん」
 アフリカ外のライセンサーたちにとってはニジェールインソムニア攻略後の残務処理かもしれないけど、住民にはそうじゃない。
 ナイトメアとの強いられた共存によって歪んだ価値観もあるだろう。まともな教育を受けられていない世代も多かろう。それらの問題解決と並行して、統治機構を立ち上げ、法の支配を確立する必要がある。その一方で外からの介入もありそうだ。気象操作システムが稼働し続けるなら、肥沃になったサハラはメガコーポがよだれを垂らして欲しがるだろう。
「これからアフリカの復興に微力ながら手を尽くしたい。特に、コートジボワールのあの村に関わっていければと」
「クラーティオとの三十年は重いだろうね」
「わかっているさ」



「一区切り、だな」
 梅宮 史郎(lz0071)はアサルトコアのコックピット内で大きく息を吐いた。
 だが、トゥタッティーオやヒリが倒れようと、人に害なすナイトメアが滅びきったわけではない。
「まずは……逃げていった連中、特にでかいのを早々に見つけないとだな」
 疲れた体に鞭打って、史郎は取り逃がしたトウロウリュウらを捕捉・殲滅すべくその方向の友軍に通信を入れた。



 最後のインソムニアが陥落して、列車砲を開発してきた貴族連合はどうするのだろうかと、ふとグレーフィン(lz0118)は考えた。
 そして、考えるだけ意味がないとすぐに思い直す。ああいうタイプはすぐにまた何か目標を見つけては動き出すのだろうから。
 自分も、ヨーロッパへ帰る頃合いだろう。ナイトメアの駆逐が一気に進んでいる今、豪華寝台列車を復活させる目処は立ちやすくなってきた。


 水月ハルカ(lz0004)はインソムニアの外で控えていた。後詰めである。
 だが、自分が控えていても、脱出しようとするトゥタッティーオやディミトリアは止められなかったろうとわかっていた。せいぜい、自爆したインソムニア内の仲間たちをほんの少し迅速に救助できたくらいだろう。
 自分よりずっと強くなった仲間たちがエルゴマンサーたちを打倒したとの第一報を、ハルカは素直に喜んでいた。

「あなたは……ミヅキハルカさんですね」
 一般人と思しき少女が、書類のたっぷり入った封筒を抱えて、ハルカに近づいてきた。
「君はここの住民か? ナイトメアは人間の避難もさせていなかったのか?」
 ここへ来る途中にみた街は人の気配が絶えていたはずだと思いつつ、ハルカは問う。
「いえ、私が拒んでいただけです。トゥタッティーオ様が生き延びたらすぐに食べていただくために。そして負けたら、なすべきことをなすために」
 マリア・キディアバと、その少女は名乗った。
 その名はハルカも知っている。トゥタッティーオのお気に入り。『折れぬ牙』の一人。今はもういないアンジェリーナ・キディアバの姉。
「ミヅキハルカさん、著名なあなたへのトゥタッティーオ様の評価は高いです。多少融通は利かないものの、私心なく、弱者を守ろうとするライセンサー」
 言葉とは裏腹に、なおハルカを値踏みするようにマリアは見つめている。
「あなたにSALFでの窓口になってもらいたい」



「インソムニア内の気象操作システムですが、トゥタッティーオ様の死亡後は私が管理するように設定されています。私が定期的にシステムに接触し続けないと、システムは停止する仕組みになっています」
 ハルカが招いたインソムニア近くの陣地内の一角で、マリア・キディアバはそう切り出した。
「ナイトメアのかなり高度な生体認証技術が用いられており、私の代役は誰にも務まりません。また、私が薬物などで洗脳された場合にも反応しないようになっています。私が自分で設定変更することはもちろん可能ですが、今のところそのつもりはありません」
 つまりマリア・キディアバの手に西アフリカの食糧問題は握られているというわけだ。彼女の気まぐれ一つで数億人を巻き込む自爆テロが起きかねない。

「君の目的は?」
 ハルカは彼女についてよく知らない。『折れぬ牙』として行動はしていたが、アンジェリーナとの役割分担も二人の目的も、実際にこれまで確認できていたわけではない(リディア・ドレイクへ質問しても、それに関しては情報を引き出せずにいた)。ナイトメアを出し抜いて小狡く立ち回ろうとした、我欲に満ちた俗物なのか。アンジェリーナの気持ちを優先していただけで、当人はナイトメアへの狂信に駆り立てられたレヴェルなのか。悪い可能性も様々に考えられる。
「絶対に譲れないのは西アフリカ住民の、立法で可能な限りの肉体的精神的安全確保と教育・経済支援。できるなら、アフリカ全土を対象にしてもらいたく思います」
 マリアはきっぱりと言いきった。

「ジダンさんの演説も聴きました。あれに心打たれる人たちもいるでしょう。でも、信念のためならそれに沿わないだけの罪なき人をも喜んで害せる者、利益のためなら倫理を平然と無視できる者、そんな連中もいるのだと、ナイトメアに飼われていた私でも知っています」
 その目はひたとハルカを見据えていた。
「SALFにもメガコーポにも、我らの新しい飼い主になってもらうつもりはありません。あなたがたがせっかく与えてくれた自由を決して手放さないよう、我らは注意深く身を守りながら行動していくつもりです」
 つまり「経済支援」とは、メガコーポがアフリカを食い物にすることを許さない形での支援ということかとハルカは思う。
 マリアは抱えていた封筒から書類を取り出した。
「トゥタッティーオ様がまとめていた、この三十年の西アフリカ住民に関する記録の一部です。『眠らぬ獅子』のようなゲリラ以外はかなり網羅できているかと」
 ハルカが目を通すと、死亡や出生、住民の移動などについて事細かにまとめられていた。西アフリカにこれから乗り込む行政担当者たちが見たら、目の色を変えて飛びつくだろう。
「私の家にトゥタッティーオ様が集めた全データがインソムニアから転送され、保管されています。まずはこれをベースに行政を機能させ、一刻も早く混乱を収束させてください」

「それは非常に助かるが……改めて問いたい。君個人の目的は?」
「……ありません」
 ハルカの前で、マリアは初めてためらった。
「長く、トゥタッティーオ様に従ってきました。アンジェリーナに誘われて、初めてあの方に背いて。今、ここでこうしているのも、そもそもはトゥタッティーオ様に指示や示唆をされたからで……さっきは自由がどうのこうのと言いましたが、私は自分の意志で何かをしたということがほとんどありません」
 ――でも、あの方やあの子に手を引かれて動いている時はすごく楽しかった。
 マリアのその言葉は、歌声のように美しく響いた。
「あの二人ならどう考えてどう行動するかと想像すると、今の私がすべきことはこれしかないと思えます。私は、『我ら』のために、あなた方の好きにはさせません」
 トゥタッティーオの一人称は「我」だったなと、不意にハルカは思い出した。

「……私の好きにできるのなら、君の好きなようにさせたい」
「………………え?」
 ハルカの言葉に、マリアは目を丸くした。
「ベルナー長官も君の思いには賛同してくれると思う。彼は世界を救った英雄だ、そう簡単には辞めさせられもすまい。つまり、少なくともしばらくの間、SALFが君を妨げることにはならないと思う。SALFが目を光らせていれば、メガコーポへの強い牽制にもなるだろう」
「は、はあ」
「手伝わせてほしい。データを回収し活用する人間たちも、君自身の安全を守る護衛も必要だ」
 本来なら誰も手を出すわけにいかない相手。だが、ナイトメアを強く嫌忌する者にとっては格好の標的だ。ナイトメアの息のかかった者を滅ぼせるならサハラが砂漠に戻るくらい安いもの、と考えかねない。
「それらをすぐ手配するためにも、なるべく上の者に急いで話を通さねば。……それに、いずれ会わせたい者もいる。さあ、行こう!」
 マリアの手を引き、ハルカは走るように動き出す。
 目を白黒させていたマリアだが……やがて、その目に光が宿る。それは、幼女の姿をした指揮官や、病弱だが奔放な妹に振り回されていた時と同じ質の光。
(まだまだ死ねそうにはありません、トゥタッティーオ様、アンジェリーナ)
 ハルカの足取りに遅れないよう、マリアも力強く駆け出した。

(執筆:茶務夏
(文責:WTRPG・OMC運営チーム)

過去のストーリー

●緑のサハラ
「よく来てくれた、グレイ伯爵」
「お初にお目にかかります」
 ニジェールインソムニア「フォガラ」を統べる指揮官に、グレイ伯爵は頭を下げる。
「前々からの技術供与により、西アフリカの戦力は確実に向上した。今後も研究に励み、我らに力を貸して欲しい」
 指揮官は、豪奢な衣装の幼女であった。
 名はトゥタッティーオ。
 ふわりとしたソファに身を預ける姿勢はいかにも尊大。
「今はまだ、敗戦の傷も癒えておるまい。まずはよく休むがよい」
 しかし敗軍の将にかける言葉は思いの外丁重。
 それでいて、浮かべる表情には全体に物憂げなものがあった。
 それらのアンバランスさにグレイ伯爵は気づかない。バラバラな個性持つ知性体たちを捕食することで発達していくエルゴマンサーの情操には、彼自身も含めていびつなものがある。よしんば気づいたとしても、その一例と済ませただろう。
 ゆえに、言葉の意味だけを愚直に受け取る。
「ありがとうございます」
 グレイ伯爵は礼をする。虚礼に終わらぬ尊敬の念が込められている。新たに世話になる主は、悪い相手ではなさそうだ。

「珍しいか?」
 外を興味深げに眺めていたグレイ伯爵にトゥタッティーオは訊ねると、外へ連れ出した。
「はい。カイロとはずいぶん趣が違います」
 サハラという語自体が「砂漠」を意味する。なのに今や、この世界一広大な――アメリカ合衆国にも等しい面積を持つ――砂漠は、その多くを緑豊かな田園地帯に変えていた。
 陽射しは強いが、さわやかな風が吹き、適度に雲が浮かんでいる。
「砂漠は人間が暮らすに不向きな土地なのでな。フォガラの力を用いて環境を変えた」
 軽く言うものの、いかなインソムニアとはいえ、どれほどの力を注ぎ込めばこれほどの環境改変が叶うのか。
「ずいぶんと人間を大切になさるようですが、テルミナスの影響ですか?」
「あァん?」
 物憂げな顔を崩さぬ幼女は、一瞬、情の機微にまだ疎いグレイ伯爵すらも耳を疑う声を発して目を疑う表情を見せた。
「あの阿呆のことは二度と口に……いや、あの阿呆を阿呆扱いする発言ならいくらしてもよい。しかし、我とアレを混同するような発言は二度とするでない」
「かしこまりました。トゥタッティーオ様とテルミナスは古い知己と伺っておりましたので、思い込みがあったようです」
「あ奴が人間を自称し出すより、よほど前からの付き合いよ」
 表情を戻すと話し続ける。
「本来、このインソムニアはあ奴が指揮を執るはずであった。それが人間の名を名乗り自分は人間だと言い出して、おかしな組織を立ち上げ……残されたこちらはいい迷惑だ」

 そこへ、とてとてと歩み寄ってきた者がいる。
「トゥタッティーオさまー」
「おお、アンジェリーナ」
 十二歳くらいか、小柄な少女がさらに小さなトゥタッティーオに無邪気に抱き着き、抱き上げた。
 その背後から、顔立ちのよく似た年上の少女が続く。姉妹だろう。
「アンジェリーナ、失礼でしょう」
「構わぬぞ、マリア。アンジェリーナ、先日のレポートは見事な出来栄えであった。あの時攻め込んできた者たちについては我もしかと覚えたぞ」
 妹を叱った姉へ、抱き上げられたトゥタッティーオは鷹揚に言う。と、マリアと呼ばれた姉はグレイ伯爵に向き直った。
「グレイ伯爵ですね。トゥタッティーオ様の傍仕えをさせていただいております、マリア・キディアバと申します」
「……貴様ら、人間か?」
「はい……」
 伯爵の声が険を帯びた。そこへトゥタッティーオが声を挟む。
「なかなか優秀で気も利く。あの阿呆なテルミナスに心酔していたカルディエよりよほど良い」
 そして付け加えた。
「インソムニアにまで入れてはおらぬ」
 次いで、警戒心もなさげにトゥタッティーオを抱きしめているアンジェリーナに言う。
「集まりがある。うぬらはリディア・ドレイクと遊んでおれ」
「はーい」

 遠くに現れた赤髪の少女の元にアンジェリーナが向かい、その後ろをマリアが続く。
「エーゲ海にいた赤竜ですか」
「あやつはテルミナスに似たところがあるが、性格的にはあのアンポンタンよりはるかにマシだな」
 しばし沈黙が流れ。
「お伺いしたいのですが」
 伯爵が、ややためらいがちに口を開いた。
「トゥタッティーオ様にとって、人間とはどのような存在ですか?」
「餌以外の何がある?」
 即座に、トゥタッティーオは不思議そうに訊ね返した。
「餌の中に、愛玩する価値のある者も時にいる。気が済んだら喰らうし、繁殖向きとわかれば大切に育てる。特に矛盾はあるまい?」

●人の姉妹と赤い竜
 人生というものはよくわからない。
 リディア・ドレイクはそっとため息を吐く。
 エーゲ海で赤竜のナイトメアに喰われ、その赤竜の身体で意識が目覚め、ライセンサーたちと接触し……アフリカへ流れた今は、ニジェールインソムニアで暮らし、こうして現地住民の女の子と過ごしている。
 インソムニアをちらと見た。今日は西アフリカの各地からエルゴマンサーが招集されている。各地から落ち延びてきた者も混じり、今後の西アフリカ支配についてトゥタッティーオから話があるのだろう。リディアは役付きでもないからと除外されているが。

「よそ見しないで」
 アンジェリーナ・キディアバに、裾を引かれた。この少女は、ナイトメアに対してまったく物おじしない。
「すみません」
 頭を下げるが、アンジェリーナはすでにこちらを無視して端末で何かを読んでいた。自由すぎる。
「何を読んでいるのですか?」
「グスコーブドリという青年のお話を読み返しているわ。わたしの一番好きなお話なの」
「はあ」
 他愛ないやり取りをしている二人を、マリア・キディアバが愉快そうに眺めていた。この姉は、病弱な妹を深く愛している。
「ねえ」
「何ですか?」
 アンジェリーナはリディア・ドレイクをまっすぐ見つめて言った。
「わたし、トゥタッティーオ様かあなたになら、食べられてもいいわ」

●トゥタッティーオの方針
「我々は、元をただせば一介の寄生虫である」
 気だるげに、トゥタッティーオが口を開く。それはいつものことであると、ディミトリアは理解している。
「それが何の間違いでか、喰らった相手の能力や知識を手に入れ、強くなっていった」
 話しかけている相手は、ニジェールインソムニア「フォガラ」所属、普段は西アフリカ各地に配置され、支城運営の任に就いているエルゴマンサーたちである。そこにさらに、グレイ伯爵ら、カイロインソムニアの陥落によって落ち延びてきた者たちも混じっている。あるいはさらに遠くのインソムニアからはるばる逃げてきた者も。

「しかし忘れるな、我らは大したものなど産み出せぬ寄生虫である」
 このようにエルゴマンサーを大規模に招集するのは異例。
 だが彼女の主張自体は、前々から何ら変わらぬものであった。
「弱者に傲りなど不要。生き延びるために使えるものは何でも使え。手が足りなければ人間でも使えばいい」

 ディミトリアら元からの部下たちは、当然のことと肯いている。しかし他から来た者たちは落ち着かなさそうにしている。
「カイロなどとこちらとでは、いささか考え方が異なるかもしれぬ。我は、敵としての人類を侮ってはおらぬ」
 ディミトリアは、グレイ伯爵らに目をやる。
 グレイ伯爵は神妙に話を聞いている。しかしその周囲の者の中には、納得のいかなそうな顔をしている者もいた。
「この地には、阿呆のテルミナスが組織した人類救済政府の構成員も多数おる。力はないが知恵は働く便利な手駒よ。存分に使え」
 カイロインソムニアの陥落は、外的な軍事バランスを大きく乱した。
 また、それと同時に、ニジェールインソムニアは内側に多くの新たな要因も抱え込むこととなった。
 単純に考えれば戦力の増強ではあるが、果たして彼らは西アフリカの――トゥタッティーオの流儀にどれほど順応することか。
 ディミトリアはかすかな不安を感じた。

●戦略の変更
「余勢を駆って一気呵成にアフリカ西部も攻め落としたいところではあるが……」
 カイロに設けたSALFの臨時支部で、水月ハルカ(lz0004)たちライセンサーは今後の方針を検討する。

 ハルカらはモーリタニアのハヌーン・ラァーンを威力偵察してきたが、アフリカ東部と同じ感覚で手を出すと火傷しそうであった。
「強さ自体はともかく、援軍が次から次へと現れて……しんどかったわ」
 ジュリア・ガッティ(la0883)は悪夢のような光景を思い出す。
「でも、ただの烏合の衆に、今の私たちならそうそう引けは取らないはずです」
 水無瀬 奏(la0244)は言う。自惚れではなく、確かな自負として。
「私たちはオペレーターの子に会いました。現地住民の女の子です。……支城のコアを放棄してこちらを誘い込み、できる限りのダメージを与えにかかるなんて、普通のナイトメアならできない判断ですよね」
 あの子はにこやかに笑いながらも、その感情はこちらに好意的とは言い難かった。
「支城一つ一つにオペレーターが配置されていて、戦力の適切な分配と現場での的確な運用をされるとしたら……厄介極まりないでしょうね」
 あのオペレーターの少女――アンジェリーナ・キディアバのことを思い出しながら、ジュリアは評した。
 彼女がシャバニ・キディアバの親類であることとか、ライセンサーを喰ってその姿と言動を再現しているエルゴマンサーのリディア・ドレイクもいたこととか、あの偵察で印象に残った出来事は色々あったが、西アフリカの防衛思想を探る場で出す話でもない。

「また、カイロの陥落により、決して少なくないナイトメアが西アフリカ方面へ逃れていった。戦力はかなり増強されていると考えられるだろう」
「グレイ伯爵も逃げ延びたしな」
 かのエルゴマンサーと長らく戦い続けているアウィン・ノルデン(la3388)が、苦々しげに言った。最近の戦いを経て、ライセンサーたちばかりでなく伯爵の側も成長しつつあるのを感じた。再戦の際にはどうなることか。

「諸々考え併せると、警戒網の不備を突いて突破し拠点を設けて確保していくというカイロ攻略の際の速攻的な戦法は、どうも今回は使えそうにない」
 ハルカがまとめる。
「もちろん、最終的にはインソムニアを落とさねばどうにもならない。しかしその前段階として、各方向から包囲網を着実に狭めていく戦い方が必要になりそうだ」
「地道な積み上げが要求されそうだね」
 アイザック・ケイン(lz0007)は微笑みの中に、強い決意を滲ませた。
 カイロインソムニアは落とした。人類は再びアフリカに手をかけている。しかし油断できない。この手を二度と離さないためにも、慎重に動くべきだろう。

「……アズランから、その参考になるかもしれない情報を提供させてもらいたい」
 アイシャ・サイード(lz0130)が手を挙げた。
「ここへ来て、何者かからアズランへ通信があった。一方方向の通信なのだが、西アフリカ各地についての有益かもしれない情報がかなりの量送られてきている。カイロ出身のエルゴマンサーにより住民との軋轢が生じている村、長年の密告奨励により住民が疲弊しきっている村、ジャングルに潜み独自に活動を続けてきたというゲリラ組織の噂……有効活用できれば、食い入っていく手助けになると思われる」
「信用できるのか?」
「もちろん罠という可能性も大いにあるだろう。しかしそれならそれで、罠を踏み破る……そんなやり方も、今のSALFなら可能ではないだろうか」
 ハルカの懸念にアイシャは応じた。
「『折れぬ牙』というこの密告者がもし本物なら、その思いに応えたい」

●偽りの楽園
 西アフリカの各地で、今日も人は泣く。



「ほれ、手を離せ」
 村の若者に叱られようと、少年は母親の手を離せずにいた。
「まだ、七日です」
 高熱に陥り、少年の母は七日目を迎えていた。今も昏睡状態にある。
 そして村には掟がある。
 十日間、床を離れられないほど重い病に罹った者は、「処分」される。
 けれど、この三日である程度持ち直せれば、あるいは……
「だからさっきも言ったろ? よそからお越しになったナイトメア様が多くいらっしゃってな。いつもより多めに食事が必要なんだとよ」
「そんな、勝手な……」
「バカ。他の奴の前でそんなこと言うんじゃないぞ」
 少年の頭を、若者は軽く小突いた。

 家から母が連れ出されていく。
 自分もかつて、村の老人や事故で重傷を負った者が「処分」されるのを送り出した身ではある。それでも、親がもうすぐ喰われると思うと耐えがたいものがあった。
 膝から力が抜け、へたり込む。
 ほんの七日前まで貧しいながらも自分を温かく見守ってくれていた母が、もうすぐこの世から消える。
「これが現実なんだよ、おとなしく受け入れろ」
 若者に言われても、そんな気持ちにはなれなかった。



「父さん! 母さん! 私たち何も悪いことしてないのに!」
 村の治安維持は担当しているエルゴマンサーに一任されている。住民代表と人類救済政府の者たちによる評議会を設けて行政や司法を担うなどという村もあるが、熱帯雨林にほど近いこの村のエルゴマンサーの統治手法は極めてシンプル。管理者にすべてを委ね、罪人は死刑。
 そして今、新たな刑が執行されつつあった。

 いきなり引っ立てられてナイトメアに喰われる両親を見て、両腕を縛られながらも泣きじゃくる少女に、近所の男が話しかける。半年ほど前に少女に言い寄って拒まれたことのある男だ。支城のオペレーターなどを長く務め、ナイトメアの覚えがめでたい。
「お前のせいだぜ」
 そう言う男は、人の死を目の当たりにしながらにやにやと笑みを浮かべていた。
「え?」
「おとなしく俺の第四夫人になってればよかったのによ」

 その一言で、少女はすべてを理解できた。
 この村の管理者は、昨日病死したという。理非をわきまえた人で、歳は取っていたがまだ元気そうな人だったのに。
 そして今日、エルゴマンサーはこの男を新たな管理者に任命すると通達し……

「そんな、いくら何でもそこまで……そんなの許さない!」
「どうやってだ? ナイトメアのために良く尽くしている管理者の俺と、これから殺される罪人のお前。もう勝負はついているんだよ」
 村人たちは二人の会話を聞いている。しかし少女に肩入れする者など一人もいない。男の第一~第三夫人は、少女を見てくすくすと嘲る。
 男は少女を見下し、唇を歪めて笑う。死にかけている虫の足や羽をもぐ幼児のような嗜虐心が見て取れた。
「ざまぁみろ」
 愉快そうに笑う男に、少女はがむしゃらにタックルする。倒れて頭を打った男が一瞬気を失った隙に、捕えようとする者たちの手を逃れ、ジャングルを目指して走っていった。
 彼女がどれほど生き長らえるかは、誰も知らない。


(執筆:茶務夏
(文責:WTRPG・OMC運営チーム)

●SALFの観察
 SALFは西アフリカ各地で奪還に向けての行動を開始した。

「ギニアで橋頭堡の建設に成功しました」
 神無 由紀(lz0053)が報告する。寡勢ではありながら敵群を見事打倒してのけた。
「大西洋側に拠点ができたのは大きいわね。これで、ヨーロッパや東アフリカからいちいちキャリアーを飛ばすよりずっと楽になると思う」
 ジュリア・ガッティ(la0883)が言う通り、重要な存在になるだろう。

「コートジボワールでは、偵察した村でエルゴマンサーが住民をずいぶん友好的に支配していたみたい」
 オペレーターのパメラ・ハーロウが述べる。
「人とナイトメアが親し気にしてるってのは不思議な光景だね」
 桃李(la3954)が面白そうに語った。
 あの村に関しては、敵も味方も色々きな臭いところはあるけれど、まあ、ここで取り上げることではないだろう。

「チュニジアの偵察では、インベーダーと戦っているエルゴマンサーたちに遭遇したわ。現地住民の子にも会ったけど、こっちでもナイトメアの支配は行き届いているわね」
 ユリア・スメラギ(la0717)が報告する。洗脳しきったというわけではないが、家族や友人などの関係性も利用して、人から逃亡する意志を削いでいた。
「エルゴマンサーも自身の強化は図っているようで、そこは懸念だけれど……地中海側はインベーダー残党への警戒もあってか、ヨーロッパへ攻勢に出るほどの余力はなさそうね」

 その他にも、各地からの報告が集まっていく。偵察と共に攻略も始まっていて、モロッコなどである程度の成果は上がっているが……
「相手の手仕舞いの早さは、気になるな」
 一通りまとまったところで、水月ハルカ(lz0004)が思案した。
「初動のモーリタニア偵察任務における戦力運用と似たものを、各領域全体で感じる。損切りが早く、無駄に粘って損耗した末に退却というケースはかなり少ない」
「押し込んでいるように見えて、敵戦力はさほど削れてない。迂闊に前のめりになるとそのうち強烈な反動が来る……そういうことかな?」
 懸念をみごと言葉にまとめたアイザック・ケイン(lz0007)にハルカは肯いた。
「杞憂なら良いが」
「住民の問題もあるね。苦痛と恐怖で縛られていた東アフリカと違い、ここで彼らは基本的にナイトメアとうまくやれていた。SALFを解放軍と歓迎してくれるわけではないし、新たな支配者と無感動に受け入れることすらない。報告書を見るに、行く先々で静かな敵意を肌にぴりぴり感じたんじゃないかな」
 レヴェルと接触した経験などを思い起こしつつ、アイザックは語る。ハルカが肯いた。
「表立っての敵対行動まではしなくとも、非協力であるだけでもこちらは随所で遅滞を強いられるな」
「落とした場所が守るに不向きで、近隣の拠点と連携を取り合いにくいところばかりなのもしんどいわね。補給線がどこまでも伸びていくし、反転攻勢に出られたらどれほど防げることか」
 各地の進軍ルートを表示させて、来栖 由美佳(lz0048)が意見を述べる。
「まさかこれ、わざとじゃないでしょうね」

「だが一つ、こちらに有利な点は、『折れぬ牙』の伝えてくれる情報だ」
 アイシャ・サイード(lz0130)が言った。
「かの人物の伝えてくれる集落や村は、敵がこちらへ向かわせたいのかもしれないルートからは外れがちで、しかもそこでは人々が本当に苦しんでいる。……その人たちを救うことで、我々は西アフリカに地歩を固めていけるかもしれない」
「まさに、情けは人の為ならず、だね」
 アイザックがまとめた。

●トゥタッティーオの狙い
「コートジボワールにまで国連軍が来ましたよ」
 クラーティオが大蛇に乗ってインソムニアに現れると、さっそく指揮官トゥタッティーオに報告した。
「おお、よく知らせてくれた」
 トゥタッティーオはクラーティオのもたらした情報をせっせとメモに取る。
「管轄地域が気になるであろう。帰りは急ぐならイナゴで行くがよい」
「いや、蛇に乗ってきたので、そちらで」

「クラーティオ殿、であったか?」
 そこへグレイ伯爵が現れた。
「ええ、いかにも。あなたはカイロから来たグレイ伯爵でしたっけ。今はアルジェリアの方を任されていると聞きましたが」
 少し前にインソムニアへ招集された時、両者は一度顔を合わせている。
「こちらは問題ない。カイロと違って生きのいい家畜が揃っておるな」
 家畜という言葉に一瞬だけ眉をひそめつつ、クラーティオはスムーズに話を続けていく。

<トゥタッティーオ>

グレイ伯爵
「最近の国連軍と交戦経験が豊富だそうですけれど、ちょっとお話を伺えますか?」
「よかろう。我も西アフリカ独自の戦力に興味がある。よければ情報交換をせぬか? その蛇はなかなか興味深い」

 それらを眺めつつ、トゥタッティーオはインソムニアの外へ出る。



「敵は各地域で勢力を漸進させています。しかしながら、そのペースはこちらの予想よりも遅いほどで、地域間の連携など望むべくもありません。『放棄するなら、持ち堪えるに不向きで、住民の忠誠心がなるべく高い場所』……トゥタッティーオ様の狙い通りですね」
 インソムニアにほど近いオフィスでトゥタッティーオを迎えたマリア・キディアバは、整理したデータを見て感心したように言う。
「敵は成長著しいとは言え、戦力自体が急増したわけでもない。こちらが敢えて提示した割れ目を満たしても、さらにその先までひびを入れられないのなら、浸みた水もいずれ個別に枯れ果てるまで」
 一方のトゥタッティーオは、相変わらず物憂げだ。
「それでも、水を枯らすまで悠長に構えている余裕もないのだがな。どこかのタイミングで、敵を大きく跳ね除け意志を挫くような何かを仕掛けねば、最終的にじり貧となるのはこちらの方よ」
 小さな体をソファに投げ出し、何かを探すように周囲を見回し、マリアに訊いた。
「アンジェリーナはどうした?」
「リディア様と遊ぶ予定があるとかで、出ております」
「そうか」

 しばしの沈黙の後、トゥタッティーオは口を開いた。
「テルミナスの阿呆やリディア・ドレイクは、ナイトメアでありながらなぜああも喰った相手の意識に左右されるのであろうな」
「私にはわかりかねますが……思うに、トゥタッティーオ様がその名を名乗りその姿を取る理由から類推できるのではないでしょうか?」
「我の場合、この姿以外に人の姿を取れないというだけだ」
「そうなのですか」
「とある世界で喰らった、皇帝の末姫であったな。人に意思を伝えるには、人の姿を取るのが早い。名を持たぬのもそれはそれで不便であるから、この姿の持っていた名を名乗る。それだけのことよ」
「では……方向性の違いということになるでしょうか」
 バンドの解散理由みたいなことを言ってしまうマリア。
「……まあ、そんなとこかもしれんの」
 釈然としない風に、つぶやくトゥタッティーオ。

●黒と赤の竜と、少女

<リディア・ドレイク>
 アンジェリーナ・キディアバに呼ばれてインソムニア近郊を歩いていたリディア・ドレイクは、ディミトリアに出くわした。
 リディアは少し気まずかったのだが、ディミトリアの方は気にした様子もなく話しかけてきた。今はどうやらディミトリアモードになっているらしい。
「あんた、まだ人間丸ごと喰ってはいないの?」
「はい」
「いいかげん喰えばいいのに。その辺がナイトメアとしての覚悟のなさに関わってるのよ」
 そんな気軽に言われても。

 と、リディアを探しに家から出てきたのか、アンジェリーナが歩いてきた。アンジェリーナの体調には気をつけてくれとマリアにかなりきつく言われていたのだが。
「げ」
 ディミトリアはアンジェリーナを遠目に捉えてうめく。
「苦手なのですか?」
「まあね。どんな場にいても『お客さん』て感じで振る舞っていて、そのくせ妙に見透かしたようなことを言ってくる」
 ディミトリアモードの時の彼女もかなり似たようなものだと思うが、同族嫌悪だろうか。それとも黒竜モードの荒々しくも比較的素直な性格が不得意と感じるのか。
「あんたに懐くのは、何となくわかる気もするわ」
「なぜでしょう?」
「裏も何もないから、見透かす必要がなくて気楽なんじゃない? じゃあね」
 言うだけ言うと、去っていく。

●大好きな景色
「あなたって、本当に興味深いわ」
 リディア・ドレイクをまじまじと見つめながら、合流したアンジェリーナ・キディアバは言う。
「な、何がですか」
「ディミトリア様と違って、あなたの中ではリディア・ドレイクであったことと火山世界で竜の群れを率いていた赤竜であったことが、うまく同居しているのね」
 マリアにでも話を聞いたのか、自分で戦闘記録でも漁ったか、アンジェリーナは先日の一件について聞き及んでいるようだった。
「その二人の魂と、二人を喰らったナイトメア本来の魂、それらの波長が合っているということなのかしら?」
「訊かれましても、答えようが……」
 頭を悩ませていると、アンジェリーナは勝手に歩いていく。リディアはあわてて後を追った。

「はあ……こんな場所があるんですね」
 インソムニアから少し離れたところにある塔だった。眼下には緑の麦畑が一面に広がっている。緑化完了以降、この地では三期作や三毛作が珍しくない。
「それで、そろそろ下ろしていいですか?」
「ダメ」
 おんぶされているアンジェリーナは、おんぶしているリディアに偉そうに言う。階段を昇る段になって、少女はリディアの背中にしがみついてしまったのだ。
 まあ、ナイトメアになってしまったこの身では、痩せた少女一人程度重荷となるわけもない。
 優しく吹く風を味わいながら、青空の下に広がる若々しい緑をしばらく眺める。

「わたし、この景色が大好き」
 背中に負うアンジェリーナは、やがて口を開いた。ゲームのように物事を面白がる、どこか現実感を欠いているような、いつもの口調とは少し違う。
 眼下に広がるすべてを慈しむような、そんな想いさえ感じさせる声だった。
「この地に暮らす人の命を支える景色。今のこの地に、お腹を空かして泣いているブドリやネリはいないのよ」
 少しわからないところはあったが、彼女の言いたいことはたぶん理解できた。
「でも、ナイトメアが来なかったら見られなかった景色」
 一方で、付け足されたその言葉には、反発と、居心地の悪さを覚える。リディアにとってナイトメアとはいまだに自分とは別種の、人類に害なす侵略者の謂に思えてしまうのだ。自分自身もその一員であり、そいつらの根城に厄介になり、罪人の腕を喰いまでしているというのに。
「わたしにとってナイトメアって、近くにいるのが当たり前なの。人の天敵で、でも人を養ってもくれて、言葉が通じる。家畜になる前の狼や猪よりも、人にずっと近い存在。それとも人の方が、ミトコンドリアみたいにナイトメアの一部になるのかも」
「だから、共存すべきだと? その家畜はいつあなたに牙を剥くのかわからないのに? いつあなた自身が彼らを養うための『尊い犠牲』になるかもしれないのに?」
 価値観の違う相手にどれほど通じるかと思いながら、リディアは言葉を募らせる。

「そんな少し先のことについては、責任持てないたわ言ではあるわ」
 背に負う少女は、一度強く咳き込んだ後、明るく言った。
「わたし、近いうちに死んじゃうから」
(執筆:茶務夏
(文責:WTRPG・OMC運営チーム)



<トゥタッティーオ>
「生半な形では済むまいと承知はしていたが、思っていたよりもさらにしんどい」
 マリア・キディアバに与えたオフィスで、各地からの報告を取りまとめながら、トゥタッティーオは顔をしかめた。
「敢えて入れたはずの割れ目から、亀裂が本格的に広がり始めておる。不満分子は常に遍在しておる。その者らとSALFがうまく手を取り始めたら、存外簡単に情勢はひっくり返るかもしれん」
「そこまで、ですか……」
 マリアは沈痛な表情を見せた。
「ギニアに設けられた橋頭保も、存外面倒臭い。ヒリに攻撃を命じはしたが、もう少し手厚い支援をすべきであったかもしれん」
 人間は、餌である。そうでないとしても、せいぜいが上等な道具あるいはペット。
 ゆえにこそ、トゥタッティーオは人間のマリア相手になら、あけすけな愚痴や悩みを吐露できた。

「ダークネスからも連絡がないがどうしたものか。強いというわけでもないが、そう簡単に死ぬとも思えんが」
「モロッコ方面を担当なさっている方、でしたでしょうか。ご老人の姿の……」
 あまり姿を見かけたことのないマリアは首を傾げた。
「うむ。我を姫と呼ぶのはいささか腑に落ちないが、よく尽くしてくれておる」

「ところで、テルミナスの阿呆について何か最近の動きを知らぬか?」
「いえ? 何も耳に入ってはいませんが……」
「人類救済政府のアジト付近で目にしたという報告が上がっておる。グロリアスベース襲撃失敗以降、鳴りを潜めておったのが何を企んでいるのやら」
 ナイトメアと人は、厳然と違う。その境目をたやすく踏み越えて、人がナイトメアになれるなどと吹聴する浅慮が何より腹立たしい。インソムニアの指揮を押し付けられたとか、そういう不満もあるにはあるが。

「アンジェリーナの具合はどのようなものだ?」
「……少し疲れているくらいだと思います。今はクラーティオ様に診てもらっています」
「そうか」
 トゥタッティーオはソファから立ち上がると、オフィスを出る。
「他の者と話をしてくる。うぬも働きづめであろう。今はゆっくり休め」
 言いながら、トゥタッティーオは今後の段取りを考える。
 この後は報告に来たエルゴマンサーらと会う。それが済んだら各地からの情報の再検討。
 それら次第では、一つ、決断せねばならなくなるかもしれない。



 トゥタッティーオがインソムニアに赴くと、まずグレイ伯爵(lz0121)に出くわした。
「ほう、目を治したか」
「はい、良い素材を見繕うことができました」
 その言葉に、なぜか内心で何らかの感情がもたげそうになるのを無視し、トゥタッティーオは話す。
「研究に進展はあるか」
「カイロで開発しましたガルラ兵を改造しようと考えております」
 グレイ伯爵は雄弁に語り出す
「こちらで育つナイトメアは、カイロと違ってなかなか興味深い。ニジェールの戦力を取り入れることで、より強い個体になるでしょう」



 クラーティオとも顔を合わせた後、トゥタッティーオは電話で話をしていた。相手はギニア方面を任せているエルゴマンサーのヒリである。
『まことに申し訳ございません。先日の橋頭堡襲撃も、失敗に終わりました』
 今どき珍しい折り畳み電話をヒリは愛用している。それを手にして、頭を何度も下げているであろう光景が容易に目に浮かんだ。武人気質で堅い性格なのだ。
「おぬしを責めているわけではない。早急に手を打てなかったこちらにも非はある」
 位置的に、最初は軽く見ていた。だが実際に機能し始めると、こちらの構造的な隙を突くような形で見事に働き、厄介極まりない。
『SALFの戦術担当はよほど優秀なのでしょうか……よもやこちらにスパイでも送り込んでいるのでは』
「さてな。ただそのせいで、最近ではニジェール周辺でも補給のための輸送機が北から南、あるいは東から西へ飛ぶようになってな。領空侵犯もいいところよ」
 翼竜型など大型のナイトメアを配備してはいるが、ここ最近はキャリアーも堅牢になってきている。逃げに徹されると撃墜まで持ち込むのは難しい。
「なので近いうちに、一度仕掛けてみようかと思う。落とせるかどうかは博打みたいなものであるが……牽制にはなるであろう」


「西アフリカ内の、人とナイトメアの結束は決して強固なものではないぞ」
 高柳京四郎(la0389)は、ギニアでの経験を基に語った。
 重病になれば喰われるルール。村人たちがそれに逆らう素振りはなかったが、恐怖と慣れによるものに過ぎなかった。
 京四郎たちが様々な問いかけをした時の反応を見るに、洗脳や自発的な忠誠でナイトメアに従っているわけではない。
「あのヒリというエルゴマンサーがいきなり戦闘を仕掛けてこなかったのは、人と接し慣れているのか、争いより実利を取る気質なのか、それとも非戦闘員を巻き込むのを良しとしない武人タイプだったりするのか……」
 なかなかユニークな印象を残す相手だった。この先、利害が衝突すればいずれ戦いは避けられなさそうだが。

「そっちに比べると、コートジボワールはなかなか一筋縄ではいかんかもしれんね」
 柞原 典(la3876)は、クラーティオの治める村で見聞きしたことを報告していく。
 クラーティオは医学などを駆使して村人の健康と生命を守るように努めているし、その思いを村人も汲んで受け入れていた。
「まあ、あの村にしても生活の安定あればこそという感じやね。ちいとひびは入れといてみたよ」
 整った顔に、少し人の悪い笑みを浮かべる。
 それにしても、リシャールとクラーティオ、三十年前の因縁はどんな形に落ち着くのか。当事者が双方まだ生きて(?)いるわけだが、何が起きたかはいまいち見えてこない。

「コートジボワールはすごくマシな方なんでしょうね。住民感情については、エルゴマンサー、あるいは管理者の人格次第な部分が大きい気がするわ」
 陽波 飛鳥(la2616)が苦々しい顔で言った。
 コンゴで訪れた村について述べる。クズのような管理者とそれを見抜けなかった愚かなエルゴマンサーによって滅んだ村。逃げた人々はどうなったことか。


桐生 柊也

桃簾
「アルジェリアでも、支配するエルゴマンサーがグレイ伯爵に変わったことで、オペレーターの地位にあった女性が半ば投降してきましたね」
 桐生 柊也(la0503)の言葉に、伯爵を知る者からはさもありなんと言わんばかりの反応が返ってくる。
「それでも、三十年間積み重ねられてきたものは大きいと思います。奴隷制が定着した社会では奴隷自身が制度を受け入れ解放されたがらない場合もあるように、住民への説得は力押しだけでは抵抗されかねない……それは常に意識しておきたいですね」

「皆が皆、『眠らぬ獅子』のように反骨心旺盛であれば話は早いでしょうに。もっとも、それはエルゴマンサーがいい人であることを期待するよりも非現実的に思えますが」
 桃簾(la0911)がカメルーンで接触した組織を思い起こす。ナイトメアに支配され、外部からの援助も救援もない、そんなアフリカで三十年間戦い続けた戦士たち。
「それと、『眠らぬ獅子』のメンバーに訊ねてみましたが、『折れぬ牙』との関係は何もなさそうです」
「『折れぬ牙』……いったい何者なんだ」
 水月ハルカ(lz0004)は首をひねる。

「報告する意味があるかわからねーですが……一応伝えておくです」
 ギャラルホルン(la0157)が手を挙げた。
 モーリタニアでの威力偵察でライセンサーたちが遭遇した、そしてニジェールインソムニア指揮官トゥタッティーオのお気に入りともいう少女、アンジェリーナ・キディアバ。
 彼女がなぜか黒竜のエルゴマンサー・ディミトリアを伴ってナポリにやって来た、そして観光だけして帰っていったというが……これはどう解釈したものなのだろう?
「食糧問題、か……」
 アンジェリーナの語っていたというそれは確かに大きな問題ではあるが、この場で決められるようなことでもない。

 ハルカは話題を転じた。
「指揮官トゥタッティーオに遭遇したそうだが」
「可愛い子だったわよ。戦い方は、不意打ちあり、ブラフあり、けっこう何でもありっぽいけれど。戦う相手のことはかなり観察もしているようね」
 ユリア・スメラギ(la0717)は先の戦闘を思い返す。こちらのアブソリュートを予測して範囲攻撃で狙う相手を選ばれたり、アイアンウィルの使い手を時に無視されたり、こちらの打つ手を潰しにかかられた。
「そして、誰が攻撃してもダメージが通らないバリアも厄介極まりないわ」
 あれを攻略する糸口を見つけないと、いつまで経っても勝てはしないだろう。

「ヨーロッパで開発していた列車砲がアフリカでも実戦投入されるようだね」
「まずはジブラルタルと、アルジェリアでね。アルジェリアじゃ少し改修させてもらったけど」
 アイザック・ケイン(lz0007)の問いに、来栖 由美佳(lz0048)が応じた。
「使えるものは何でも使って、インソムニアを目指すとしましょ。アルジェリアにはグレイ伯爵がいるし、根城近くだから守りも堅いだろうけど」
 アルジェリアで投降したオペレーターのライラが伝えた情報を、いよいよ判明した西アフリカにおけるナイトメアの本拠地を、アイザックは口にした。
「ニジェール……」



来栖 由美佳

<リディア・ドレイク>
「はい。あの子は生まれつき病弱で、長くは生きられません」
 アンジェリーナ・キディアバについて、リディア・ドレイクにマリア・キディアバは答えた。
 インソムニアにほど近い、公園にも似た広場だ。インソムニアの力によるものか、今日も穏やかな風が吹いていて、彼方の田園地帯から瑞々しい空気を運んでくるようであった。
「しかし、私の見る限りでは非常に元気そうですが……」
 この前も、ディミトリアをお供にして人間側の地中海地域を観光していた。その疲れが出たとかで、今日は休んでいて、報告に出向いてきたエルゴマンサー・クラーティオの診察を受けているそうだが。
「才能や物怖じしない態度を評価され、トゥタッティーオ様のお気に入りとなって以降の、ごく最近の話です。それまでは寝込んでいることの多い子でした」
 リディアは、アンジェリーナが何かするたびに「これは初めて」と言っていたことを思い出す。
「トゥタッティーオ様とクラーティオ様が別世界のエリクサーなどの知識を元にお作りになった薬をお与え下さり――それとて本来の材料ではないため薬効がまったく充分でないとおっしゃっておりました――、起きられるようにはなりました。それでも、どうにか状態の悪化を食い止めているという程度です」
「人類側の医療でも――」
「無理です」
 くだらないことを言ってくれるなとばかり、断ち切るようにマリアは言葉をかぶせた。
「父もあれこれ検討し、悩み、ここにいることを決意し、アンジェリーナが少しでもより良く生きられるよう、身を削る思いで生きていきました」
 リディアは思い返す。以前モーリタニアの支城でアンジェリーナが父親について口にした言葉。あの時の言葉はどれほど正確だったのか。父親は、牙を失ったわけでも折れたわけでもなく、娘を守るために別の使い方をしていただけではないのか。

 そうなると、とリディアは考える。
 以前アンジェリーナが口にしていた「食べられてもいい」という言葉、あれも単なるナイトメアへの狂信ゆえではなく、死を間近に控えた者としての、身近で切実なものだったということでは……
「おお、ここにおったかマリア」
 いつものようにゴスロリ服に身を包んだトゥタッティーオがやって来た。



「インソムニアの気象操作を停止、ですか……」
「うむ」
 リディアの漏らした言葉に、トゥタッティーオは律義に応じた。
 広場には他に誰もいない。マリアは、その施策を取った際の領域内に及ぶ影響について試算するため、すでに自身のオフィスに戻っている。
「人間の食糧増産は、人間自体の増加にもつながる。長期的に見れば絶対必要よの。しかし現在、我らの勢力圏は予想外に削られつつある。このような局面においては、組織防衛の優先は理の当然。気象操作に回していたエネルギーを、下級ナイトメアの量産やインソムニア自体の防御力増強に振り分けていく」
 物憂げに語るトゥタッティーオ。ナイトメアの指揮官として、言っていることにおかしな点は何もない。
 だが、その決定が実現すれば……苦しむ人々が多数出ることは間違いなかった。
 アンジェリーナのことを思った。

「その決定、もう少し待っていただけませんか」

 深く考えもせず、言っていた。
 インソムニア指揮官と言ったら、SALFで言えば誰だろう。ベルナー長官? いや、それはザルバか。ヨーロッパ総支部長とか、そのくらい? 新入りに近い自分が意見するなんてとんでもないほど、立場には違いがある。ましてやナイトメア相手にこんなことを言ってしまうなんて、この場で殺されてもしかたないのかも。
 でも、言わずにはいられなかったのも本心。

「ふむ」
 トゥタッティーオは思案の表情。
「何か案があるのか?」
「多少は……」
 闇雲に反対したわけではない。もしかしたらできるかもしれないことは、話を聞きながら考えていた。ここから、より具体的に調べていかなければならないが。
「まあ、よかろう。利があり理が通るなら、検討するにやぶさかではない」

(執筆:茶務夏
(文責:WTRPG・OMC運営チーム)



<リディア・ドレイク>

<トゥタッティーオ>
 リディア・ドレイクの記憶を持つナイトメアは、別世界の赤竜としての記憶も強く持っていた。
 そして、赤竜は元の世界において火山エネルギーを利用する術を会得していた。

「……なので、ニジェールインソムニアの有する技術と資材を用いれば、充分に可能です」
 リディアはトゥタッティーオに縷々説明し、主張した。
 表情一つ変えず話を聞いていた物憂げな幼女は、一つ息を吐くと言葉を発する。
「できなくはないな」
「それでは――」
「で、それは我らナイトメアにどんな利益がある?」
 叩き切るように言った。
「インソムニアの設備と資材、お主の赤竜としての知恵、そしてSALFの協力。さらにグレイ伯爵(lz0121)の技術なども加えれば万全か。なんとも麗しい共同作業ではあるが、我らは『管轄下の人間たちを今と同じ数だけ養うのに不自由しなくなる』という以外にどんな見返りを得られる?」
「それ、は……」
 アンジェリーナの笑顔が脳裏をよぎる。緑のサハラを見て「この景色が一番好き」とリディアの背で慈しむように呟いた声を思い出す。
 しかしその思いが、この指揮官に通じるだろうか?
 トゥタッティーオは「人間は餌」とたびたび公言している。アンジェリーナを可愛がってはいても、それはペットを扱うようなものだろう。
「……もう少し、考えさせてください」
「うむ。気象操作の停止決定まで、猶予はひと月ほどあろう」



 リディア・ドレイクが退出した後、トゥタッティーオはアルジェリアにいるグレイ伯爵と連絡を取った。北部を攻略され、怒っているか沈んでいるかと思っていたが……
「かしこまりました。どちらも検討と研究を進めることにいたします。前者に関しては、SALFの用いた兵器に興味深いものがあり、導入できないものかと考えておりましたところでして、その披露の場にふさわしいかと」
 伯爵の声は、心なしか弾んでいるようでもあった。
「しかし後者は、果たして必要なのでしょうか?」
「……リディア・ドレイクを働かせるには、間違いなく必要となる」
「あの赤竜ですか。インベーダーの残党でも狩らせておればよいのでは?」
 伯爵の声が一気に温度を下げる。同輩には基本的に友好的な伯爵だが、テルミナスと近いもののあるリディアに関しては冷淡だ。
「そちらはかなり落ち着いてきたのでな。遊ばせておく余裕もない」
「……承知いたしました。ところで、前者に関しましてはそれなりの量の素材が必要となるのですが」
「……ふむ」
「気象操作の停止によって失われる数に比べれば、微々たる量と思います」
「…………許可しよう」



 その後、トゥタッティーオは電話でヒリと連絡を取った。
「二度の失態、申し訳ございません!」
 つながるなり、ヒリは謝罪してきた。
「橋頭堡攻略失敗のみならず、その隙を突かれて村の解放を許してしまいました」
 確かに、かなり大きい問題ではある。
 特に村の解放は、橋頭堡以外の拠点を作られることにもなる。
 しかしこの場合、責任はヒリのみに負わせるべきものでも、責任を追及して済むものでもない。
「気に病むな。おぬしの働きに甘えてかなり広い地域を任せてしまっているこちらの責もある。増援を送ろう。相手の勢いはなかなか止められまいが、戦力をよく束ねてまずは耐え凌いでほしい」



 次にトゥタッティーオはクラーティオ(lz0140)に会い、訊ねた。
「村の様子はどうだ?」
 クラーティオにはコートジボワール一帯を任せているが、彼にとってその中心にあるのは一つの村だ。
 トゥタッティーオにとって、人間は餌である。しかし家畜を大切に丁寧に育てる者がいるように、人間を大切に扱うエルゴマンサーがいても構わないとは以前から思っていた(そして今では、自分も他の者のことは言えない)。ゆえに、クラーティオとはこういう話題になることが多かった。
「国連軍の介入は頻繁になってきましたね」
 村人より先に、クラーティオはSALFについて口にした。
「ですが、大丈夫ですよ。まだこちらの手もすべて明かしたわけではありません。追い返して、村はいずれ元通りになります」
 少し先を見るような目で、クラーティオは言う。
「……足元は疎かにするでないぞ」
 トゥタッティーオのその注意は、どれほど届いたか。

 その後、雑談からなぜかテルミナスの話になった。いつものようにトゥタッティーオがテルミナスを罵ると、クラーティオは指摘する。
「でも、テルミナスさんのこと、言うほど嫌いでもないですよね? あのひとの作った組織をそっくりそのまま受け入れるなんて、他のどの指揮官もしてなかったわけですし」
「…………」
 一概に否定はしきれず、トゥタッティーオは黙る。クラーティオはくすりと笑った。
 悔し紛れに本音も添えて、ぼやく。
「ナイトメアなぞ、なってうれしいものでもあるまいて」
 ナイトメアなどたかが寄生虫、というトゥタッティーオの気持ちは前から変わっていない。だから、人間の意識を保ったままナイトメアになれる、というテルミナスの勧誘文句が気に食わない。
 方向性としては真逆だが、だから、フォン・ヘスの最近の行動も気に入らない。寄生虫への対抗手段を鍛え上げ抵抗力が増すくらい、どこかの世界で誰かがいずれ成し遂げたはずで、それがたまたまこの世界の人類であったということ。それでなぜいきなり殲滅などと騒いでいるのか。
「まさか恐怖に怯えているわけでもなかろうに」
 それは寄生虫の分際であまりに傲慢というものだ。
「え?」
「いや、何でもない」
 ふと訊ねてみたくなった。
「おぬしは、ナイトメアであることとナイトメアになったことに、どう折り合いをつけておる?」
 問われたクラーティオは、しばらくの間考え込んだ。
「ぼくは、そしてボクも……村のみんなを守りたい。今考えているのはそれだけです」
「……そうか」

「そろそろ時間か」
「ええ」
 インソムニア近くの邸宅へ向かうクラーティオに、トゥタッティーオは言った。
「よろしく頼む」
「できるだけのことはします」


 アンジェリーナ・キディアバは、クラーティオの診察を受けていた。
 だがそれは、斜面をゆっくりとずり落ちていくような現状を確認するだけと、どちらも正確に認識していた。
 人はもちろん、ナイトメアとて全能には程遠い。

 そんな一種の儀式が済むと、アンジェリーナはいつものようにクラーティオと世間話をする。SALFの侵攻以前から変わらないやり取りで、話題は主にクラーティオが管轄する地域、その中心にある村の人々のこと。
 しかし今、そこにはSALFという要因が加わっている。
「村の方々は不安なのではないかしら」
「どうして?」
 クラーティオは、見た目相応の少年のように、唇を少し尖らせる。
「ぼくは三十年彼らを守ってきました。今度もそうできると思ってくれているでしょう。不安なんて感じるわけがありません」
 少年が村人を大切に思っていることは間違いない。しかしそれは、時間の経過や環境の変化に左右され移ろいやすい人間の心とは隔たっている。それだけならまだしも、少年はその隔たりを無視していた。
「……そうね」
 アンジェリーナは彼の意見に抗うこともなく、話の流れをずらしていった。

「また診察しますね。次は五日後を考えています」
「あら意外と早いのね」


「少しずつだが、成果は得られてきているな」
 水月ハルカ(lz0004)は、西アフリカ解放に取り組む各地からの報告に顔を少しほころばせた。

「列車砲でジブラルタル海峡のヨーロッパ側を制圧できたよ。勢いに乗じて、そのうち海峡を渡ってアフリカ側も攻め落とす予定ー」
 夜兎 響(la0509)がまったりした口調で語る。

「ギニアじゃ、村を一つ解放することができた」
 鐘田 将太郎(la3223)がしみじみと言った。先行偵察から関わっていた村であり、村人の心の揺れ動きを間近で見てもいただけに、感慨は深い。
「少なくとも、あの村の人たちはこのままでいいとは思っちゃいなかったぜ。屈しそうになっても、救いを求めて手を伸ばす勇気は残っていた」
 将太郎は、解放戦時に村から離れていたヒリというエルゴマンサーのことを思う。あれがいたら、戦闘面でも村人の精神面でもああ簡単に解放はできなかっただろう。
 あいつがいなかった理由は、恐らく……
「ギニアの橋頭堡も、敵さんに襲われたけど守り抜いたっす!」
 白玉 纏(la0406)が元気に報告した。
「あれはあれで、本腰入れてたかどうかはいまいち定かでないっすけど……」

「アルジェリア、も北部は解放できた、けど……オペレーターの指揮が、ナイトメアを強く、してた」
 桃源 寿華(la3140)が先日の戦闘を振り返る。こちらの動きから狙いを読まれて適切に対応される。それだけで、相手の強さは跳ね上がった。
「だがこちらも、寿華の俯瞰に助けられた」
 同じ戦いに関わっていた澪河 葵(lz0067)が言う。寿華が列車の上から戦場全体を把握し皆と連携したことで、相手にしてやられるばかりではなかった。

「コートジボワールは……色々アレがナニな感じでねえ?」
 clover(la0874)は、いささか口が重い。三十年前の出来事が今に尾を引いていて他とは違う意味で厄介なことになっているというのは居合わせた全員が知っていたので、闇雲に問い質すような者はいないが。
「いやほんと、隠れてる事実や感情って他人にはなかなかわかんないもので……」
「何はともあれ、今とこれからをどうするかで考えればシンプルではあるんじゃないかな。村の人たちを説得する。同意が得られれば、あのエルゴマンサーを倒して解放するか、村人たちを連れ出すか」
 地蔵坂 千紘(lz0095)は、敢えて諸々削ぎ落として言ってのけた。

「何もかも簡単に行くようなら苦労はない。様々な困難は、産みの苦しみとでも考えるしかないだろう」
 ハルカがひとまずまとめた。
「ただ、このところ『折れぬ牙』からの密告が減ってきているのは気にかかるな……」
 梅宮 史郎(lz0071)は気遣わしげに言う。
 最初は相手を信用していなかった史郎だが、『折れぬ牙』からの通報に一つとして誤情報はなく、ましてや罠もなかった。
 管理者あるいはオペレーターなのか、身近なそういう相手から情報を得ているのか。ともかく西アフリカの内側で、ナイトメアを向こうに回して静かに戦っている。そんな仲間として、彼は『折れぬ牙』のことを心配している。
 通信が一方通行である以上、この思いを伝えることはできないのだが。


























(執筆:茶務夏
(文責:WTRPG・OMC運営チーム)

●各地の戦果
「眠らぬ獅子との接触は、今のところうまくいっているようだな」
「悪くないと思うよ。警戒心はまだ強いが、それは無理もない」
 水月ハルカ(lz0004)にアイザック・ケイン(lz0007)が応じた。

「ギニアじゃ、ヒリが治めている村から病人の解放に成功したな」
 葛城 武蔵介(la0849)が報告した。交渉の際にはあの武人肌のエルゴマンサーと言葉を交わしている。
「指揮官の信頼があるみたいで、ずいぶん広い領域を任されているみたいだった。ただそのせいで、各地で起こるあれこれにすぐには対応しきれないようでもあったな。そこが付け入る隙になるかもしれない」

「コートジボワールでは、クラーティオが執着していた村から村人を全員避難させました」
 霜月 愁(la0034)が淡々と述べた。ナイトメアと人が密接に絡み過ぎた村だ。部外者たる自分としては、何を言えるものでもない。
(村の人たちも、クラーティオも、どうなっちゃうのかな)
 clover(la0874)は、追ってきたクラーティオと交戦した際の、彼にそっと告げられた最後の一言を思い出す。レヴェルだろうがナイトメアだろうが、関わりが深まれば気にかかってしまうものではある。

「モロッコの村からは、ナイトメアの支配を良しとしない少数派の村人を救出した」
 井木 有佐(la0921)が説明した。
「ダークネスというエルゴマンサーが、能力は未知数だが恐怖をベースに人心を掌握しているようだね。多数派も一枚岩ではないと思うが……」
 考えなしに踏み入っても多数派の強い反発を招くだけと懸念される。まずは情報を集めつつ、情勢の変化を見逃さないようにするというところか。

「同じモロッコ、ジブラルタル海峡のアフリカ側であるセウタも奪回することができたわ。さすがに反撃はシビアで列車兵器も無傷とは行かなかったけど、これでヨーロッパ側からの補給ルートは確保できたし、避難を希望する住民たちもぐんと逃がしやすくなったわよ」
 ユリア・スメラギ(la0717)が報告した。

「アルジェリアは、南部まできっちり攻め落とせたようやね。グレイ伯爵(lz0121)は大して懲りもせず、まだ何か企んどるみたいやけど」
 芳野(la2976)はナイトメア越しの伯爵との対話を思い出す。人の真似をして人を理解できない、可哀想な化物。かつて彼女が落とした腕も治したようだが、いずれきっちり殺してやりたい。


clover

井木 有佐
「制空権を奪いきるには少し手間取りそうだがな」
 ハルカは、先日のキャリアー撃破を思い返す。単なる輸送用と思っていた巨大イナゴを対空砲弾に利用されるとなると、効率という点でSALFに分が悪い。
「トゥタッティーオさん本人は、やっぱりかなり強いです。最初に顔を合わせた時に見せかけていたものとは、攻撃の射程も範囲も全然違っていました。さすがに、あれ以上何か隠しているという感じはなさそうでしたけど……」
 その際に敵指揮官と交戦した水無瀬 奏(la0244)が言う。相手もキャリアー撃墜のために、隠していた切り札はだいたい使ってきたように思う。
「ただ、彼女の強さのポイントになる防御障壁は……突破する糸口が見えたかもしれません」

 西アフリカ攻略は順調に進んでいる。パラノマイを討伐した東アフリカも、ゴグマが去った南部アフリカも、失われたものは非常に大きいが、SALF主導で復興への道を進んでいる。
 アフリカ奪回はこのまま進むように思われた。

●リディアの選択

ユリア・スメラギ

<グレイ伯爵>
 指揮官トゥタッティーオに対し、リディア・ドレイクは言った。
「……エチオピアまでの人類領域を攻め落とし、ナイトメアの新たな領土とします」
 リディア自身の目的地は、エチオピアの大地溝帯。だがそこは、かつてパラノマイの支配した地であり、現在はSALFによって人類側へ奪還されている。
 かと言って、SALFに持ち掛けても通る話ではないだろうし、トゥタッティーオにもただでは手伝えないと拒まれた。
 ゆえに、リディアはナイトメアの利益を示し、再び話を持ち掛けた。
「まあ、よかろう」
 トゥタッティーオは肯いた。
「気象操作システムについてはこれよりそなたに預け、インソムニア・コアからのエネルギー供給は断つ。再稼働させたくば、エチオピアまでのパイプラインを通してみせよ」
「はい」

 それまでより、ほんの少し砕けた調子で、トゥタッティーオは口を開いた。
「先日、ザルバ様より、万一の可能性について連絡があった」

芳野

水無瀬 奏
「はあ」
「北欧のオリジナルインソムニアが陥落した場合、ザルバ様らがこちらへ落ち延びてフォガラを強化、ホームへ接続可能とするナイトメアの新たな本拠地となさるそうだ」
「え……」
「そのようなことになれば、ここはいささか手狭となろう。その意味でも、東アフリカ再侵攻はうってつけであるな」
 ――ザルバなんかのためにこの提案をしたわけじゃない。
 そうは思っても、結局、トゥタッティーオの意に沿うようにナイトメア側の利益を考慮し、人類に敵対したのは事実。
 思ったことを、リディアは腹の中に留めることしかできなかった。

 トゥタッティーオは、リディアにさらに言った。
「グレイ伯爵に話は通してある。かつての支配領域ということもあってか、侵攻に意外なほど乗り気であった」
「え……?」
 では、トゥタッティーオは、先月リディアが話した直後から、すでにこの侵攻計画を立てていたのか?

<リディア・ドレイク>

<トゥタッティーオ>
「我もあちら方面には多少の伝手がある。やってやれないことはなかろう」
 物憂げな顔にかすかに浮かぶ笑みは、かつてリディアに向けたことのない表情。
 明らかに「仲間」に向けたものであった。

●ウロボロス、出撃
「博打に付き合わせるのは申し訳ないが、このまま押さえ込まれてもじり貧になるばかり。おぬしらには力を貸してもらいたい」
 リディア・ドレイクと別れた後、トゥタッティーオはグレイ伯爵らに言った。
「家畜どもに我が新たな力を披露してみせましょう」
 伯爵は貴族然とした振る舞いで応じる。
「国連軍を討ち滅ぼせるなら、どこへなりと」
 一方のクラーティオ(lz0140)は、これまでとは異なるぎらつくような眼光を放っている。三十年間守り続けていた村人に逃げられ、その怒りはSALFへまっすぐに向かっていた。

「その列車……ウロボロスと申したか」
「いかにも」
 ニジェールインソムニアの中、非常に巨大な列車があった。いや、下にやたら幅の広いレールが敷いてあるからそう思えるだけで、姿自体は大蛇と形容するしかない。先頭車両(?)と最後尾車両に頭を有し、赤い目を爛々と輝かせている。胴体の各所にドアのようなものが備えられ、中に乗り込めるようになっていた。
「それにはオペレーターをできるだけ乗せていき、随所で降ろしていってもらおう。イナゴで先行させたナイトメアと合流すれば、かなりの力を発揮しよう」
「承知いたしました」
 輸送用巨大イナゴに乗せて超高速跳躍などさせたらたちまち死ぬぐらい脆い生き物であるが、頭脳として使わせる分には人間はなかなか使い勝手がいいと、グレイ伯爵は学んでいた。
「裏切る恐れは?」
「ないとは言わぬが、東から逃げてきた者の子孫を多く採用している。父祖伝来の地を取り戻したいという思いは強かろう」
 クラーティオの警戒に答えるトゥタッティーオ。
 ただ、言いはしないが、人類救済政府の中で信用しきれない・日の浅いメンバーも多めにピックアップしていた。テルミナスのやや不穏な動きと併せると、ニジェール近くにあまり置いておきたくない。
(先日、あのアイドルにもおかしな質問をされた。テルミナスとの関係を足掛かりに切り崩しを試したかのような。テルミナスとSALF、予想以上に接近しておるのやもしれん)
 それに、言わば根無し草の彼らの方が、故郷防衛の意識が高い現地住民よりは今回の侵攻に向いているのは間違いないだろう。
「火山から先は、南に向かってもらう。カイロなど北部を制するはさすがに奇襲でも難しかろうが、南部を固め……いや、混乱に陥らせることができればよい」
 指揮官の指示に、グレイ伯爵とクラーティオは肯いた。

「西部方面ではヒリらが凌いでおる。モロッコのダークネスともようやく連絡が取れた。この錐のごとき一撃がうまく急所に突き刺されば……ひと月ほどは乱戦状態に持ち込んで粘れるはず。その間にザルバ様らと合流すれば、まだまだ滅びは免れられよう」
 トゥタッティーオは自らに言い聞かせるように小さく呟いた。
 レールが一直線に指し示すのは、東南東のエチオピア北部火山地帯。そこまで敷設されるパイプラインを隠す狙いも、この線路にはある。

●赤竜と黒竜
 リディアがインソムニアの外を歩いていると、ディミトリアに出会った。彼女もトゥタッティーオからすでに話は聞いていたらしい。
「火山エネルギーを利用して、インソムニアの気象操作システムを独立状態で維持し続ける……か。ナイトメアがそんなエコなことやってどうすんのよ?」
「ここに住む人たちが、しばらくは飢えずに済みます」
「いや、そりゃそうだけどさ……」
 ディミトリアは、頭を軽くかいた。
「もうすぐ出撃のようなので、これで」
「あたしも行くわよ」
 その言葉は、リディアを驚かせた。
「昔の義理があるんで、付き合うだけ」
 ディミトリアは、かつて名を挙げたライセンサー。リディアは新米ライセンサー。しかし黒竜は若造で、赤竜は群れの長。なかなか複雑な間柄である。
「ありがとうございます」
「けど、あんたが死んだらすぐにこっちは逃げさせてもらうわ」
「あなたの立場なら、当然です」
「あんたって、物わかりが良すぎ。ま、逃げおおせてからも、しばらくは東アフリカ南部で転戦ってことになるだろうけど。下手に北欧へ行っても却って早死にしそうだし」

 そこへ、マリア・キディアバがやって来た。憔悴しきった表情。
 リディアを見つけて、呼ぶ。
「アンジェリーナの容体が悪化しました……あなたに来て欲しいと言っています」

●裏切り者と、半端なナイトメア
 部屋には、アンジェリーナ・キディアバとリディア・ドレイク以外、誰もいない。
「わたしを食べて」
 死に瀕した少女は真面目に訴える。だが、はいわかりましたとやれることでもない。
「あなたってば頑固ね」
「そういう問題でもない気がしますが」
「じゃあ……告白タイム……!」
 苦しげな息なのに、楽しげに話し出した。

「わたしにとって、人とナイトメアが共存して生まれたこの景色は大切。なくしたくない。でもアズランに所属して人類救済政府に潜り込み西アフリカに潜入までした父さんの、ナイトメアを倒したいし追い出したいという気持ちもわかる。あちらを立てればこちらが立たず」
 リディアが思いもよらなかったことを、いきなり言い出した。
「そこでわたしは、両方やっちゃうことにしました……!」
 少し前までなら元気に言ったであろう台詞も、今は力弱い。それでも、その内容の方が気になる。
「わたしは長生きできないから。どっちもできないとまごまごしてるうちに時間切れになるくらいなら、矛盾してても両方やっちゃう」
 きっぱりとした言葉。そこに至るまでにどれほどの葛藤があったのか(あるいはなかったのか)は悟らせない。
「トゥタッティーオ様のことも大好き。でも良くないナイトメア、ここに住む人たちに害をなすナイトメアを叩き出すために、アズランへ情報もせっせと流しちゃう。そんな裏切り者の内通者『折れぬ牙』が……わたし、アンジェリーナ・キディアバ。SALFの西アフリカ侵攻に、意外と貢献しちゃったみたい」
 にやりと笑って、リディアを見やる。
「どう? 食べたくなった?」
「出来損ないのナイトメアにそんな話を聞かせても……殺意なんて湧きませんよ」
「それもそうよね。まあ、最期に言っておきたかっただけだから」
 ただ、アンジェリーナの特殊性は理解できた気がした。いかな西アフリカとは言え、ナイトメア……特にエルゴマンサーに対して、彼女ほど大胆に接することができる人間はそう多くない。それは彼女が、ナイトメアを圧倒的強者として崇めているのではなく、場合によっては倒すべき相手と認識していたことも大きいのではないか。

 話すうちにも、アンジェリーナの呼吸は荒くなっていく。生気が失せていく。
「踊り食いとかしてみたくない? あんまり生きはよくないけど」
 笑えない。
「だいたい、なぜ私なんですか? あなたのお気に入りは他にもいますよね」
「トゥタッティーオ様はお忙しいわよね。それがもちろん大きいんだけど……」
 アンジェリーナは、リディアをまっすぐに見つめた。
「あなたが一番、お腹を空かせていそうだから」
 リディアを奥まで見通すような眼差し。
「お腹を空かせた旅人のために、兎が火に身を投げるのはありなのに、人間が身を投げるのは、なしなのかしら?」
「あなたは人間で、私は……」
 人間だとは言えない。けれど他のものとも言いたくない。リディアはかぶりを振る。
「これでもダメ? なら、もう一つの本音……こっそり期待してることも言っておくわね」
 出来損ないの悪役みたいな顔になって言う。
「あなたが、あなたを食べたナイトメアになり替われたように、わたしもナイトメアになれたらなと企んでいるの。病気とは無縁の身体、使えるものなら使ってみたいわ」

 これまで話してきたことの、どれが彼女の本心なのか。いや、本当にすべてが本心なのかもしれない。
 ナイトメアを受け入れ、しかし密かに反旗を翻し。エルゴマンサーたちと親しく接しながら、彼らの打倒につながる行動もとる。リディアの飢えを気遣いつつ、彼女になり替わりたいと思う。
 人として生きることと、ナイトメアと共にあること。その、時に相反する環境の中、矛盾を矛盾のまま生きてしまうことにした結果なのか。
 ただ、そこには一貫して、この地に暮らす人のためにという方針はある。
 そしてどうも、単に死ぬくらいならここでリディアに食べられたいという気持ちについても一向に揺るがないようで。
 それをいつまでもはね除けられるほど、リディアは強い性格ではない。
「あなたの中で、わたしも戦いたいわ。ここに生きる人たちのために」
 リディアは覚悟を決めた。

●誰がために
 リディアが部屋の外に出ると、マリア・キディアバが待っていた。
「あの子は……」
「私の中に」
 マリアがリディアを見つめる。その瞳は大きく揺らいでおり、嫌悪や怒りの感情も溶け込んでいるのは間違いなかった。
 リディア自身は、こうなっても大きく変わらない自分にショックを受けていた。
 ナイトメアにとって、人の捕食は自然なことである。それを妨げていたのはリディアの心に過ぎない。信じる宗教でタブーとされている種類の食べ物を食べてしまっても、その人体に害があるわけではないのと同じ。
「あの子の記憶は、思いは、心は……」
「……特に、思い出せません。申し訳ない」
 あの、矛盾と熱を抱えた少女の意識は、リディアの中のどこに行ってしまったのか。

 家の外へ出ようとするリディアを、マリアは引き留めようとした。
「もう少し、いてくれませんか? あの子がいなくなったこと、まだ現実感がないんです。心がふわふわと浮ついているようで……あの子を喰、その、受け入れたあなたと話をすれば、少しは落ち着いて現状を把握できるかもしれません」
「気持ちはよくわかりますが、出撃しないといけませんので」
「出撃?」
 マリアはトゥタッティーオから何も聞かされていないようだ。アンジェリーナの件で手一杯だったろうし、無理もないか。
 あるいは……アンジェリーナの密告の件、察知とまではいかずとも、警戒するようになったのかも。
 マリアは『折れぬ牙』という存在にどれほど関わっていたのだろう。訊きたい気はするが、もし無関係だったらショックを与えてしまうばかりと、リディアは何も言わずにおいた。
「……エチオピアへ、パイプラインを敷きに行ってきます。火山の力で、インソムニアの気象操作を維持し続けてもらいます」
 そう言うと、マリアは驚きつつもすぐに納得したようだ。つくづく賢い姉妹である。
「アンジェリーナが好きだったこの景色をもっと長い間守れるようにしてきます」
 マリアの瞳が潤む。しかし、何かに気づいたように彼女はリディアの袖を掴んだ。
「人類と敵対してしまうことを忌み嫌っていたあなたが、出撃するのですか?」
「それ、は……」
「つまり、あなたが直接行かねばできないことが何かあるということですね?」
「え、ええ、そのためにしかたなく行ってくるだけです」
「帰って来る当ては……いえ、そもそも帰って来るつもりはあるのですか?」
 正直に答えるわけにはいかず、黙るしかない。それが何よりの答えとなった。
「あの子を喰らったあなたまでいなくなってしまったら、あの子は本当にこの世から消えてしまいます……」
 袖を両手で掴んだまま、跪く。すがる姿は祈りの姿勢にも似ていた。

「グスコーブドリは死にたくて島に残ったわけではありません」
 そうリディアが言うと、なぜかマリアは弾かれたように顔を上げた。
「それでも、誰かの暮らしのために、その人たちのために、やらなければならないことだと思ったから、残ったのだと思います」
 ごまかしに過ぎない物言いだが、なぜかマリアには効いた。
「あな、た……」
「さようなら」
 袖を掴む手が緩んだ瞬間、リディアは振り払って家を出た。
 ドアを閉める寸前、マリアの泣く声を聞いた。

 外に出ると、アンジェリーナの護衛を務めていた影のようなナイトメアが、犬に似た形を取ってしがみついてくる。攻撃は仕掛けてこない。
「仇、という認識ではないのね」
 あるいは、アンジェリーナを喰ったことでリディアは彼女と同化した、だから次はリディアを護衛するとでも考えているのか。
 離れそうにないので、抱きかかえて出発する。

●意味の生じた布石
 その夜、ケニアのかつての首都ナイロビで、一人のライセンサーが夕食を味わっていた。

 国家が崩壊し、パラノマイによって住民のほとんどが狩られた地域である。それでも完全に殺され尽くしたわけではなく、カイロインソムニア攻略から数ヶ月を経て、社会はゆっくりと回復しつつあった。

「食後に紅茶はいかがですか? ケニア産は、昔は世界的に知られておりました」
 六十代ほどの男性が、執事服に身を包み、食事を終えたばかりのライセンサーに声を掛ける。
 建物の地下にあるこの店は、現地住民をスタッフの中心としたレストランである。雇用対策の一環――立案した者たちの中の数人のより率直な本音としては、文明社会復帰への手助け――というところ。
「ありがとうございます」
 ライセンサーは丁寧に応じた。
「それにしても、ずいぶんと手慣れていますね」
「三十年野蛮人のように暮らしていたのに、とお考えですか?」
 そのライセンサーの思考を読んだように、老人は微笑む。
「元は商社で紅茶の売買に関わっておりましてね。二十代の頃から、世界各地を飛び回っておりました。多少のマナーめいたものは心得ております」
「し、失礼しました」
「いえ、お気になさらず」

 提供された紅茶を味わう。どれほどのものかと思ったが、欧州出身の彼の舌をも満足させるほどの出来栄えだった。栽培を三十年間放置されていたとは思えない、上質な紅茶だ。
「これは……驚きです。三十年の空白を皆さんはいかに埋めたのですか?」
「空白があったわけではございません」
「え?」

「ニジェールの方に、素晴らしい取引先がございまして」

「ニジェール……ってちょっと待て!」
 老人が言うと同時、叫ぶライセンサーを無視してドアの外に他の店員たちが飛び出すと、ドアの外で激しい物音がした。乱雑に物が引き倒され、ドアにぶつかって大きな音が立つ。バリケードを作られたのかと悟る。
「パラノマイがほぼ絶滅に等しい状態まで人類を『収穫』してこの地を放棄し、辛うじて隠れ生き残っていた我々も後は野良のナイトメアに喰い尽くされるのを待つばかり」
 武器を抜いたライセンサーにも脅える様子は見せず、老人は淡々と語る。
「それを助けてくれたのはトゥタッティーオ様であった。あちらにしてみれば『空いていた土地を借り受けた』程度のことだったらしいが、我々にしてみれば間違いなく命の恩人だ」
「レヴェルか!」
 通信し、仲間たちと連絡を取ろうとする。しかし彼らも軒並み各地で何かしらの妨害に遭い対応を迫られていた。
「違う。ナイトメアなら誰でもいいわけではない。パラノマイの支配など二度とごめんだ」
 老人はゆっくりとかぶりを振る。
「しかし我々を真に滅亡から救ってくださったトゥタッティーオ様への助力なら、惜しまない。三十年前に我々を見捨てた外の世界の連中など、比べ物になるか」

 ナイロビ各地で、ケニア各地で、ウガンダ、ソマリア、エチオピア……東アフリカ南部の各地で、その夜、現地住民によるSALFへの妨害行動が同時多発で発生した。
 一つ一つは小さな、他愛ない、ライセンサーにとっては紙くずを投げられた程度のものであっても、積み重なれば足を滑らせるくらいの被害はもたらせる。
 それらに気を取られることは、ナイトメアの襲来に万全の態勢で臨めないということでもあった。

●錐のごとく、貫くもの
 ニジェールから、あるいは南のカメルーンやコンゴから、人類圏に向かって超高速で跳ぶものがある。
 ナイトメアを乗せるだけ乗せた巨大イナゴの群れだ。
 あるものはナイトメアをすぐに降ろして引き返し、あるものは満載のまま突き進む。
 降りたナイトメアはその場で暴れ出す。SALFの常駐部隊が応戦するが……

「こいつら、急に動きが良くなってきた! 連携を取ってやがる!!」
「奥にいる、馬に乗って来たあいつ……人間のオペレーターか!」
「ゼルクたちが守ってネメシスが範囲で仕留めるパターンか。幻想之騎士がないならやりやすい」
 ニジェールから馬型ナイトメアに乗って、チャドでの戦いに遅れて合流したオペレーターが呟いた。
「範囲攻撃で一度畳み掛けて幻想之壁を使いきらせろ。あのネメシスさえ落とせばもう進軍の妨げにはなれない。ああ、なるべく殺すなよ。救助にも人手を割かせたい」



 ニジェールから発進したウロボロスも、チャドの大地を疾走する。
 先頭の頭の上に立っていたディミトリアがまず気づき、報告した。
「基地に思いきりぶつかりそうね」
「行きましょう」
 リディア・ドレイクとディミトリアが、彼女の報告によって停車したウロボロスから飛び降りた。チャドに設えられていたSALF基地を襲う。
「敵襲!」
「通信が……効かない!」
 赤竜と黒竜に姿を変えた両者によって、EXIS通信は広範囲に渡って妨害を受けている。
 そして二体の竜により、基地はあえなく蹴散らされた。
 逃げて通信を図ろうとしたライセンサーたちまで残らず重体に至らしめ、念のためにめぼしい通信設備も破壊すると、再び人の姿になってウロボロスに戻る。

「露払いは順調であるな」
 改めて発進したウロボロスの先頭車両で、グレイ伯爵は悠然と腰を下ろしている。赤竜と黒竜は仕事をしっかり果たしていた。
 線路など事前に敷設したわけでもない大地の上を、かなりの速度でウロボロスが行く。進んだその後にはなぜか線路が残る。
 ウロボロス下部では、二つの複雑なメカニズムが正確に作動していた。
 一つは線路構築。アルジェリアでSALFの使用した列車砲、そのイメージレールに着想を得て、何もないところに高速で線路を敷きながらその線路の上を行くシステムを編み出した。
 そしてもう一つは、いささか実現に難産した。二条のレールの間、その地下に、パイプラインも敷設しながら進んでいくのだ。レールを敷く際に均す必要があって地面も多少掘り返すので、どうにかカモフラージュはできている。
「難儀はしたが……トゥタッティーオ様のおっしゃっていた通り、赤竜を働かせる役には立つであろう」
 グレイ伯爵はクラーティオに向き直る。
「貴公の使う蛇がなければこのアイデアは生まれなかった。資材の提供にも感謝する」
 パイプラインに用いているのは、クラーティオの扱う蛇型の抜け殻などであった。やすやすとは腐らず朽ちず、パイプラインが稼働すれば通過するエネルギーのごく一部を利用することで長期に渡って生き続ける。軽くて運搬も容易だ。
「…………」
 クラーティオは、これまでのにこやかさをかなぐり捨てたように俯いている。

 高速で東へ進むウロボロスは、随所で人間のオペレーターを降ろしていく。彼らは後を追ってきた馬型に乗って、イナゴに乗った雑魚どもが南北で広げつつある戦場で指揮を執るために進んでいく。
 東アフリカ南部に深々と突き立てられた傷口は、次第に広がりつつあった。

●各様の対処法
「エチオピア?!」
 ハルカの驚きに、報告を改めてまとめながらソアリリ(lz0035)が応じる。叩き起こされたライセンサーたちが続々と集まってきて、耳を傾けた。
「ナイトメアの大軍による夜襲です。ニジェールからチャドへ侵入、スーダンを超え、エチオピアにまで達しました。規模としてはこの侵攻軍が最大ですが、南部のカメルーンから中央アフリカ共和国、またコンゴ民主共和国から南スーダンやウガンダに展開している軍勢もあります」
「ちょっと待った、二国を突っ切ってもうエチオピアって、なんでそれだけの距離を進んできてこれまで連絡がなかったんだ?!」
「駐留部隊は対応しきれていないのかい?」
 梅宮 史郎(lz0071)とアイザックが疑問を呈する。
 ナイトメアと人類の力関係は、すでに昔とは違っている。無防備な土地ならまだしも、解放して間もない東アフリカでは各地に駐留部隊を展開していた。それらがしっかり備えている以上、よほどの大戦力でも注ぎ込まない限りそう簡単に突破を許しはしないはずだが。
「エチオピアへの侵攻軍は、進軍のスピードが非常に速いことに加え……EXIS通信の妨害がなされている模様です」
「抜かった! ディミトリアか!」
 ソアリリの説明に、ハルカが呻く。
「夜間ということもあって目撃はなかなかされません。そして進路上にあった駐留部隊の基地は赤竜と黒竜に入念に壊滅させられ通信機器も破壊されたと、救援部隊に重体者が語ったとのことです」
「それにリディア・ドレイクまで……」
「ついさっき、エチオピアのダロル火山近郊で赤竜と黒竜を目撃したと、現地にいたアズランのメンバーから連絡があった」
 アイシャ・サイード(lz0130)が言った。そのメンバーはライセンサーではなく、通常のスマホで連絡を取ってきたのが幸いしたようである。
「以前にも竜の目撃情報を入手していたので、調査のため赴いていたそうだ」
「火山……そんなところで一体何を?」
「SALFにも、同様の通報があったようです。また、それ以降は敵軍本体は南へ進路を取っている模様ですね」
 首を傾げるハルカにソアリリが情報を加える。

「さらに、侵攻ルート上に位置するチャドやスーダン、エチオピア、あるいは中央アフリカや南スーダンやケニアでも現地住民が一斉に呼応、SALFに対する妨害工作を試みており、その対処にも追われています」
「それも対応がままならない一因か……!」
 一般人がEXIS装備を肌身離さぬライセンサーに危害を加えられるものではない。それでも、道路を塞げば車は使えなくなるし、通信設備に破壊工作を仕掛けられれば連絡も容易に取れない。そうした極めて地道な積み重ねが各国各地で山をなし、SALFがナイトメアに適切に対処するための貴重な時間を奪っていった。

「それと、ナイトメア側はオペレーターが各戦場で指揮を執っている模様です」
「オペレーターの指揮を受けたナイトメアは極めて厄介な敵でした」
 エリーヌ・ペルグラン(la3172)が言った。
「こちらの情報を分析し、用心深く振る舞う。オペレーター一人一人に指揮官の教育が行き届いているかのようですわ」
 カメルーンの戦闘で大きな働きを見せたものの集中攻撃を受け重体になったエリーヌの言葉には重みがあった。

 ともあれ、動くしかない。
「まずは、エチオピアのダロル火山を優先してくれ! 先陣切って暴れてたはずの赤竜と黒竜がその近辺に留まっている。何を企んでいるかを突き止めた上で、討伐を!」
「そちらが最優先だけど……敵軍の本体はまた別にいるんだよね。火山の方を済ませたら、南へ方向転換したらしいそいつらも極力早く足を止めないと」
 史郎と地蔵坂 千紘(lz0095)が言う。緊急招集された面々が戦場へ向かって動き出す。
 そんな中、ハルカはぽつりと呟いた。
「『折れぬ牙』からの連絡はなかった。よほどの極秘作戦だったのか、一部勢力による突発的な暴走か……」
 他の可能性も考えられる。が、それを口にする者はいなかった。



 アイザックは急ぎライセンサーを招集してキャリアーに飛び乗った。
 敵のEXIS通信の妨害と通信機器の破壊によって、SALF内部での連絡が厳しい。スマホでのいささか貧弱な通信がメインとなり、関係各所からひっきりなしに届く情報に、アイザックは眉をひそめる。
 特にケニアなど東アフリカ南部で、多数のレヴェルが蜂起していると聞いたのが気になった。
 アフリカ中央部に詳しい『眠らぬ獅子』のジダンなら、何か知っているかも知れないと、急ぎ連絡をとる。

 スマホによるテレビ通話の向こうで、ガネム・ジダンがこぼした。
「ああ……そういうことか」
「思い当たることが?」
 東アフリカ南部は眠らぬ獅子も何度か出向いている。情報収集のためでもあるし、西アフリカ側のジャングルで討伐されそうになってほとぼりを冷ますために逃げ込んだこともあったという。
「あの辺は住民の大半がさらわれた後、沿岸部に支城がある以外は、野良のナイトメアがうろつくような不毛の地だった」
「パラノマイなら、人間をさらった後の土地は捨てそうですね」
「ああ、それでも人類が全滅したわけじゃない。ある時を境に見る見る状況が良くなった。土地も人も豊かになり、まっとうな生活を送れるようになった。それは幸運あるいは人のしぶとさによるものと思っていたが……」
「そこに、関わっていたものがいる?」
「たぶんな。話に聞く西アフリカの指揮官なら、いかにも手を打っておきそうだ」
 パラノマイが捨てた地を、トゥタッティーオが拾った。その恩義ゆえに、忠誠心の高いレヴェルが多数いてもおかしくない。
「人類救済政府とは別口なんですね。説得が厳しそうだ」
「キャリアーとかいう足を貸してもらえないか? 俺たちは多少なりとも彼らと面識がある。外から来たあんたたちよりは宣撫に向いていると思うぜ」
「すぐ手配しますが、少し時間をください。通信妨害のせいで情報収集に困っていて、アズランの手を借りるほど忙しいので」
「あの嬢ちゃんも頑張ってるんだな。こっちも負けちゃいられない」
「SALFは敵への対処に全力を尽くします」
「そちらも頼んだぜ」

(執筆:茶務夏
(文責:WTRPG・OMC運営チーム)


「リディア・ドレイクは、どう、してる……?」
 吉良川 鳴(la0075)は水月ハルカ(lz0004)に訊ねた。ダロル火山で投降を促したエルゴマンサーのことはどうしても気にかかる。
「おとなしいものだ。隔離場所を動きもせず、こちらが質問しに行けば、答えられる範囲で答えている」
 将来的な処遇がどうなるかははっきりしない。それがハルカとしても気がかりではあるが……悪いようにはしたくないものだと思わずにはいられなかった。
 黒竜ディミトリアは取り逃した。それでも、あの戦いは得るところもあったのだと、改めて鳴は思う。
「『折れぬ牙』からの連絡は、あれ以降途絶えたな。マリア・キディアバがどうなっているかは、さすがに把握しようもない」
「そう、か……」
 そちらも懸念ではあるが、インソムニア指揮官のお気に入りという立場では逃げることもできまい。インソムニア攻略の際に救出できることを願うばかりだ。

「グレイ伯爵(lz0121)は、あと一歩で倒せたのかもしれませんが、取り逃がしたのは惜しいですね」

来栖・望

LUCK
 エチオピア侵攻の本隊を追って伯爵と交戦し、盾で力強くぶん殴っていた来栖・望(la0468)が言う。
「次こそは必ず決着をつけましょう」
「クラーティオ(lz0140)とウロボロスに関しては、こちらはあのままでは決定打を与えられそうにはなかった。増援が来るまで粘られていたら、かなり危なかったかもしれん」
 近いが別の戦場にいたLUCK(la3613)はそう戦いを振り返る。
「三十年越しの決着はつけねばな」
 リシャールに言うと、老いたライセンサーは肯き返す。罪は認めた。だがその償い方は、一通りではない。
「あれをきっかけに、東アフリカ南部はこの数週間かなりの混乱に陥った。ディミトリアが逃げる直前に言ったように、ここへザルバらが来ていたらナイトメアは大きく息を吹き返しただろう」
 ハルカにラックが言う。
「だが、そうはならなかった。ザルバは倒れた」
「その通り。そして、当てにしていた本隊が来なかった今、混乱はどうにか抑え込みつつある」
 夜襲の優位性は半日も続かない。人間のオペレーターは厄介だったが、連戦となれば疲労も生じ、大抵の場合はまともな拠点を作りきるより早く増援の来たSALFに制されていく。最も根深い問題は拠点作りなどにも関与した現地住民の感情だが、とにかくナイトメアを減らすことによって、表面的には対処できつつあった。

「カメルーン北部の村も解放できたわ。ニジェールまではもう少し」
 城壁を登り、敵を叩き落とし、落ちそうになった仲間をホーリーストリングで引っ張り上げ、とその攻略で活躍したミラ・ケートス(la0103)が言う。

「西部もどうにかなりつつある。ヒリはなかなかの強敵だが、一人で治めるには任された領地がでかすぎた」
 リベリアでかのエルゴマンサーと一戦交えた高柳京四郎(la0389)が言う。リベリアだけでなく、ギニアビサウにシエラレオネ、同時多発で攻め込んだ結果、相手を最終的には退却に追い込めた。
 その際に焦土戦術を取られたのは、ヒリの性格からして意外だったが。
「ヒリがてんやわんやなその隙に、ギニアも解放させてもらったぜ」
 五代 真(la2482)は自分が関わった村を思い出した。最初は病人を救出することしかできなかったが、最終的には村人全員を解放できたのだ。感慨深い。

「モロッコの村も、マンティコアを倒してみせたことでダークネスの束縛から解かれてきた人が増えてきました。きっともうすぐ、みんな……」
 皆月 若葉(la3805)が、村での出来事を思い出した。ナイトメアを信奉し続けるか否か、考えを違えていたがゆえに離れ離れになっていた者たちがいたが、その再会を手助けすることができた。

 各地からニジェールインソムニアを包囲するように、SALFは進みつつある。
 後方支援も輸送網などが整備されてきた。
 また、投降した赤竜リディア・ドレイクからインソムニア「フォガラ」についての情報もある程度は得ることができた。……彼女自身がインソムニアにあまり寄りつかなかったせいで、万全な情報とは言い難いが。
「機は熟しつつある。インソムニアを落とす」
 ハルカは決然として言った。

「だがそれだけでは、終わったと言えない」
 アイシャ・サイード(lz0130)は、東アフリカ南部で何度も聞いた声を思い浮かべた。パラノマイに滅ぼされかけ、トゥタッティーオに救ってもらったその間、お前らアフリカの外にいた人類は何もしていなかった……。彼らの不信は想像以上に根強かった。
「ナイトメアによって歪まされたアフリカ……そこで生きてきた、様々な立場の人々。なるべく多くの人に届くメッセージを発せられる、誰かの声が必要だ」
「その誰かとはきっと……かつて彼らを見捨てた僕らの中にはいない」
 アイザック・ケイン(lz0007)が呟いた。



「……柄じゃねえんだがな」
 ゲリラ組織『眠らぬ獅子』のリーダーであるガネム・ジダンは、渋面を作った。
「それでも、あなた以外にいないと思う」
 アイシャは、彼の目をじっと見つめて言った。
 三十年、ナイトメアに支配されたアフリカで戦い続け生き延びた。それは、たぶん彼自身が思っている以上にすさまじいことなのだ。そんな人間の語る言葉は、きっと強い力を持つ。
「SALFが最大限のサポートをします。どうかお願いします」
 アイシャの隣でアイザックも頭を下げた。
「……わかった、わかった。大したことが言えるとも思えないが、やってみるさ」

 その後、調整を進め、ジダンの演説はケニアのナイロビで開かれる運びとなった。


「直接顔を合わせるのは久しぶりとなるな」

<トゥタッティーオ>
「トゥタッティーオ様、数々の失地、申し訳ございません」
 ニジェールインソムニア指揮官に、久方ぶりにインソムニアまで戻ってきたエルゴマンサーのヒリは頭を下げた。ギニアやその周辺を奪還された件でトゥタッティーオに謝罪する。
「増援までしていただきながら……」
「気にするな。よくやってくれた」
 そして、情報をすり合わせる。

「それでは、人間の住んでいた場所が砂漠に戻るという話は誤りだということですか?」
 トゥタッティーオからの話に、ヒリは頬をかすかにひきつらせる。
 インソムニア防衛へエネルギーを回すために、気象操作システムが停止することは、あらかじめトゥタッティーオから伝えられていた。
 それゆえヒリは、将来砂漠に戻ると予測される場所に人間たちを残すと死亡する者が増えると判断し、該当する村を焼いて生活基盤を破壊してでも、まだまだ砂漠になりそうにない場所への強制移住を強行したのだ。
「誤りではないのだが……リディア・ドレイクが最後に一働きしたのでな」
 気象操作システムは確かに停止した。
 しかしそれは一時的なもので、エチオピアの大地溝帯から火山エネルギーが供給された今現在は、システムは再起動して気候を維持している。
「人類側が、ナイトメアの技術など認められるか!とパイプラインや装置を破壊でもしない限り、砂漠に戻ることはしばらくなかろう」
「申し訳ございません。先走りました」
 改めて詳しく説明を聞いたヒリは素直に自身の非を認め、トゥタッティーオに再び謝罪する。
 ヒリの管轄する場所は広く、処理せねばならない事柄は膨大だった。そして頻繁にトゥタッティーオと連絡が取れたわけでもない。良かれと思ったヒリの独断が悪い方向に作用してしまっていた。
「気に病むでない。それよりも今後を考えねばな」



「死にたくない者は、SALFに投降せよ」
 西アフリカ各地から戻ってきた――敗走してきたと言ってもおかしくはない――エルゴマンサーたちが全員集まったところで、開口一番トゥタッティーオは言った。
「すでに投降し、さらには協力関係さえ結んでいる者どももいる。少なくとも、問答無用で殺されることにはなるまい」
 その先については、まだ何とも言えないのが実情だが。

 ただ、その勧めに応じる者はあまりいなかった。
「国連軍に頭を下げるくらいなら、死んだ方がマシです。ここで戦います」
 最初にクラーティオがきっぱりと言った。
「……家畜に投降など、ありえません」
 グレイ伯爵も強い語調で言う。

「トゥタッティーオ様はいかがいたします?」
 ヒリが問うた。
「全員が投降すると言うなら我もついていったがな。ザルバ様がいなくなり、他の名のある者たちも動向が定かでない今、一応我はこの世界のナイトメアの責任者ということになろう。ならば不利な立場を選んだ者を手助けするまでよ」
「私は、そのご判断に従います」
「この老いぼれも、姫様にどこまでも付き従う所存ですぞ」
 こちらも久方ぶりにインソムニアに戻ったダークネスが加わった。

「私は、やばくなったら勝手に逃げますよ」
 東アフリカ南部から引き返してきたディミトリアが、しれっと言う。
「ただ、それは今じゃありません。本当に陥落するまでは、付き合わせてもらいます」
「それでよい」
 トゥタッティーオは鷹揚に肯いた。
「いずれライセンサーたちはここへ攻め寄せるであろう。耐え抜くことはできまい。しかし、フォガラは失われても、奴らの手によって陥落はせぬ。陥落させぬ」
 含みを持たせた言葉を口にした。

 一同が迎撃に備えてそれぞれに動き出す。その際、指揮官は老いた姿の配下に告げた。
「ダークネス、話がある」



 トゥタッティーオはダークネスに、『眠らぬ獅子』とガネム・ジダンについて説明した。
「そしてその者が、近々演説をするらしい。場所はケニア……恐らくは首都のナイロビであろう」
 東アフリカ侵攻の際につながりが明らかになったためだいぶ失われたが、まだかすかに残る伝手から得た情報だ。
「三十年間もこの地で生き延び、我らに逆らい続けた者がいたとは……このダークネス、そのような想定はしておりませなんだ」
 ダークネスが、呆れとも感嘆ともつかぬ表情を浮かべる。
「気にすることはない。我もだ」
「かような者の言葉が、この地で我らに隷従してきた者どもへ与える影響は、座視できぬものがございます」
「うむ」
 ダークネスは、戦闘能力に秀でたエルゴマンサーとは言い難い。しかし人心掌握には長けている。最近は担当していたモロッコから東アフリカ側へ移動してもらい、各地で住民の動揺を掻き立てさせてもいた。
 ジダンの演説の危険性を、恐らくここにいる誰よりも、一番よく理解しているだろう。
 ゆえにトゥタッティーオは言う。
「手を打ってきて欲しい」
「かしこまりました、姫様」
 と、そこへグレイ伯爵がやって来た。
「お話を伺いましたが……」


「ずいぶんバラエティ豊かになったものよのう」
 インソムニア周辺に展開する巨大ナイトメアの群れを見て、トゥタッティーオは感慨深げに言う。
 東アフリカ、ロシア、さらには中国やニュージーランド……各地でインソムニアが陥落した際に落ち延びてきた残存勢力。それらが一堂に会した格好になっている。
 率いるのは、ヒリに任せることとした。
「頼んだぞ」
「お任せあれ! 下賜された物もございます。何もできぬまま倒れるということにはならぬでしょう」
「倒れられては困る。これは生き延びるための戦いなのだからな」



 地下格納庫ではクラーティオが待機していた。ウロボロスにいつでも乗り込めるようにしている。
 思い詰めた顔をしている。大切にしていた村を失って以来、ずっとああだ。
 トゥタッティーオは声を掛けようとして、迷った。
 いなくなった者のことなど気にするな、これから先のことを考えよ、新たに大切にできるものを見つけてはどうだ、すぐに思いつくのはそんな言葉。だが、彼にとっての村人たちとは、自分にとってのアンジェリーナにも等しかろう。
 もし、したり顔で今自分が言いそうになっていたことを自分が言われたら、例え相手が上役でも殴る。
「おぬしが死んで喜ぶ者なぞ、おぬしの敵しかおらん。生きよ」
 その言葉は、どれほど届いたか。
 クラーティオが村人について楽しげに語ることはもう二度とないのだなと、今になって痛切に悟った。



 一階中央広間には、ディミトリアがいた。
 と、ディミトリアは神妙に頭を下げてきた。
「……あの者の投降を許したこと、ご迷惑になっていることはお詫びいたします」
 赤竜リディア・ドレイクについての謝罪。
「構わぬ」
 だがトゥタッティーオは即答した。
「強力なのに、普通にしていては人類と戦えないエルゴマンサー。それを一度限りとは言え使うことができた。北欧の情勢次第では巻き返せる素地も、あれによって作れていた。多少の情報漏洩ごとき、悪い代償ではない」
 幼女は美女を見上げ、不敵に微笑んだ。
「我もおぬしも、生き汚い。せいぜい粘れる限りは粘ってみせようではないか」
「それは、言われるまでもなく」
 ディミトリアはにやりと笑う。



 確認を終えると、トゥタッティーオは一度インソムニアを出た。


「あるいはいっそ、ザルバ様がもう少し早く死んでおればな」
 マリア・キディアバを前に、トゥタッティーオは言った。
 アンジェリーナの死後、マリアは体調の不良を訴え、家にこもるようになっていた。それもあり、トゥタッティーオはしばらく彼女と会っていなかった。この家を訪れたのも、こうなって以来初めてだ。
「リディア・ドレイクを窓口にして、気象操作できるインソムニアを明け渡せば、和解交渉の糸口くらいは掴めたかもしれん」
 しかし、マリアに会わないまま終わってしまうのも、嫌だった。
「まあ、そうなったとて、人を喰わずにいられるナイトメアなどごくわずか。結局は殲滅戦になる可能性が極めて高かったろうがな」
 また、こうして内側に溜まっていたものを吐き出すのは、気分転換としては悪くない。聞かされるマリアはいい迷惑だろうが。
「ふふ」
 けれど、マリアはうっすらと笑った。
「トゥタッティーオ様がこうしておしゃべりしてくださるのも久しぶりですね」
「…………」
 アンジェリーナがいた時は、いつものことだったのに。
「す、すいません」
「いや、いい」
 マリアに気遣われてしまうというのは、つまり自分よりマリアの方が立ち直りが早いということだろうか。

 それからも取り留めもない話を続けていると、不意にマリアが言った。
「どうして逃げないのです?」
 心底不思議そうに、訊いてくる。
「トゥタッティーオ様お一人なら、人類の追跡を逃れて生き延びることもできるのではありませんか? 他のナイトメアを率いるなど、やめてしまって」
「それは……」
 できなくはない、とは思う。しかし考えはしなかった。なぜか。
「みっともない、という思いが一番近いかの」
 口にしてみて、それが一番しっくりくると実感した。
「指揮官と呼ばれ、部下を使って人類を襲い家畜に仕立て、同じナイトメアであろうと意に沿わぬものは殺しもしておいて、さらに人類の反撃後は部下を山と死なせ……それでおめおめ隠れて生きるのは、違う」
「真面目なのですね」
「そういうわけではない。喰らってきた者の猿真似しかできぬ、とんだ無能よ」

 マリアにいつになく踏み込まれ、トゥタッティーオも一つ言っておこうかと思い定める。
「アンジェリーナの期待に応えるには、我ら……いや、我こそが、無能に過ぎた。クラーティオやヒリについても我がもっとうまくやれていたら、あ奴の眼鏡に適ったかもしれん」
「……わかって、いたのですか?」
 マリアが一気に顔色を変えた。
「ペットの甘噛みなど厳しく罰するにも当たらん。そう思えばこそ途中で気づいても見逃していた。結局は、そこを足掛かりにしてSALFにしてやられたわけだが……」
 この話、アンジェリーナに直接したらどんな反応だっただろう。マリアのように青ざめたか、あるいは平然と笑ってみせたか。

 ついでに、と前々から思っていたことも口にしてみた。
「うぬは前に、我とテルミナスについて『方向性の違い』と言うておったな。まさにそれよ。クラインやテルミナスと我は、進化の方向性が違っていた」
 これも伝手をたどって得ていた情報。両者がザルバとの決戦において人類と共闘し、テルミナスは死んだと、そこまでは知っている。
「あ奴らは、寄生虫であることをやめたのだな」
 テルミナスを何度となく罵ってきたのは、結局のところ嫉妬も大きかったのだろう。自分とは何かが本質的に違うとわかっていたのかもしれない。
 負けるかも殺されるかもと、それくらいはあの阿呆にも理解できていたはずだ。それなのに、ザルバに立ち向かった。立ち向かうことができた。
「我と違って」
 想像力も創造性もない寄生虫、と前にライセンサーの一人に自身を語ったことがある。それは事実であり、変えようもないことであり、ゆえに卑下することでもないと思っていた。
 しかし、変わろうとして変われた者たちがいた。
 新たに知ったその事実が、トゥタッティーオの憂いを濃くする。
 自分はたぶん、この先どんな道を辿ろうとそんな風にはなれないのに。
 部下のエルゴマンサーたちの前では考えないようにしていたことが、この空間では思考をあっさり埋めていく。前からここは愚痴を吐き出す場ではあったけれども、今は、もういない者への感情が心をかき乱すせいもあるのか。
 すると。
 俯いていたトゥタッティーオは持ち上げられ抱きかかえられていた。
 アンジェリーナがいつもそうしていたような無雑作で親密な手つきではないが、それをこわごわ真似るかのように。
「あなたがいなければ、私の母と父は出会いませんでした」
 抱き上げたマリアが後ろから、静かな口調で言った。
「私が生まれることも、アンジェリーナが生まれることも、ありえませんでした。それは、誰にも否定しようのない事実です」
 それに付随してどれほどのことが起きていたか、とトゥタッティーオ自身が思いはするが……マリアの言わんとすることに、水を差す気にはなれなかった。



 夕暮れの赤が、部屋の中を染めるようになった。
「決戦は、近いのですよね?」
 トゥタッティーオがマリアの腕から抜け出して帰ろうとすると、マリアは言った。
「であろうな」
「なら、私を食べてくれませんか?」
「いきなり何を言う」
「いきなりではありません。アンジェリーナがああなってから、今度トゥタッティーオ様がお出でになった時にはお願いしようとずっと考えておりました」
 その表情は真剣だった。
「アンジェリーナがいなくなり、彼女を食べたリディア・ドレイクもいなくなりました。私に生きている意味など……」
 リディア・ドレイクはまだ生きている。しかしトゥタッティーオは、それを今マリアに言うほど親切でもない。
「SALFの攻勢を乗りきれたら、ここに戻ってきて喰わせてもらおう」
 それはどれほどの可能性かと、内心では考えつつも表には出さない。
「ただ、戻ってこなかったら……その時、うぬにはしてもらわねばならぬことがある」
 そしてここへ来た目的の一つ、いくつかの書類を渡した。

(執筆:茶務夏
(文責:WTRPG・OMC運営チーム)

●ナイロビの熱いクリスマス
 陽動のため出撃したグレイ伯爵(lz0121)は良い仕事をしてくれたと、ダークネスは思う。
 彼がSALFの目を惹いてくれたおかげで、ニジェール近くの警戒網を容易に抜けられた。その後はトゥタッティーオのシンパによる目こぼしを受け、大型ナイトメアを乗り継ぎ、ケニアはナイロビの近くまでどうにか辿り着けた。

「私にできるのはここまでです」
 ダークネスと手下のマンティコアらを自身の敷地内に匿い、演説会場近くの警備状況を取りまとめて報告し、老人はダークネスに言った。ケニアの顔役の一人。前回の動乱時にも表立っての行動は控えさせ、SALFも強くは警戒していない。
「よくやってくれたのう」
 マンティコアの一体が食欲を示したが、ダークネスは止めた。従順な者をわざわざ殺すのは悪手もいいところだ。
「おぬしのこと、トゥタッティーオ様にお伝えしておこう」
「いえ、結構です」
 だが老人はそう言うと、ためらいがちに口を開いた。
「あの方に恩義を感じてはいます。だからここまで手伝わせてもらいました。もちろん、今から通報などもいたしません。しかし……」
 予想外なまでの、抵抗感。人間の心が、こんな立場の者からも離れつつあると改めて認識する。
「ふむ」
 一瞬、さっき止めたマンティコアに喰わせようかとも思った。しかしやめた。再び状況がひっくり返った時、手駒として使う余地はある。
「ともあれ、わしは感謝しておるぞ」
 そう言って、下がらせた。

 警備状況についてまとめさせた紙を手に、ダークネスは思案する。予想していたほどに厚いものではなかった。
「よもや、フォガラに人員を割いておるか……? いや、それをわしがここで考えてどうなるものでもない」
 演説開始まではあと少し。どのように仕留めるべきかを考える。
「ただ不意を襲って殺すだけならば、わしが一人で接近するのが一番妥当かもしれぬが……」
 ダークネスはまだライセンサーと直接接触したことはない。支配していたモロッコの住民らから容姿の情報は伝わっていようが、高齢の男と言う以上に特徴と言えるほどのものはない。観衆に紛れて接近することは可能。大した強さでもないがそれでもダークネスはエルゴマンサーであり、自分が殺される前にジダンに致命傷を与えるくらいはできるであろう。
「だが、それでは揉み消される懸念もある」
 ダークネスの攻撃手段はライセンサーのスキルに似ている。人類内の異常者の犯行かのように扱われては台無しだ。ジダンを単に殉教者にしてしまう。
 ジダンをはっきりとナイトメアの手で殺し、この地の混沌を収めさせないようにする。それにより、インソムニアを失ったナイトメアが隠れ潜む余地を作り続けねば。
「三十年生き延びたのは偶然に過ぎぬこと、とことん知らしめてやろうではないか」
 先月の西からの侵攻時にこの敷地に隠されていた巨大イナゴたちに近づく。
 モロッコへSALFが攻めてきた当初、ダークネスが遺跡に身を潜めていたのは闇雲に命を惜しんでのものではない。ここがその使い時と踏んだ。



 ナイロビの演説会場には多くの者が押し寄せていた。アフリカ外の催しに比べればそれほどすさまじい数とも言えないが、パラノマイによって減らされたケニアの総人口を考えれば驚くほどの人出だった。
(ケニアの関心の高さ……いえ、それだけでもなさそうです。東アフリカ南部各国、あるいは解放された西アフリカやアフリカ南部から来た人たちすらいるのかも……)

ソアリリ
「人類救済政府や、トゥタッティーオ支持者には注意しなければいけませんね」
 中継こそがメインと想定していたソアリリ(lz0035)が警戒を強めた。
「こりゃまた、暇な連中が多いもんだ。久しぶりのまともなクリスマスなんだから、家にいりゃいいのによ」
 当のガネム・ジダンは落ち着き払って見えたが、新聞を逆さに読みそうになっていた。
「落ち着いてください。ジダンさんの経験してきたこと、思うことをただそのまま話してくださればいいですから。そして発声する時は……」
 オペレーターのソアリリはしゃべって説明するのが仕事だ。ゲリラを三十年率いたリーダーが相手ではあるが、自分の経験を伝えてみる。
「お、おう」
 時間となり、彼は登壇する。

「私は――」
 だが、ジダンが第一声を発した直後。
 会場近くの駐車スペースに巨大なイナゴが三匹降ってきた。幸い下敷きになった人たちはいなかったが、観衆に向いていたジダンを背後から半円状に囲むような位置に着地したそれらから、マンティコアがわらわらと降りてくる。
 そしてその中に、老人の姿をした者も。
「かくれんぼがうまかっただけの者が何を語る? おぬしが何を言おうと、人類がナイトメアより強くなろうと、かつてこの大陸で起きたことはなかったことにできぬ」
 混乱し始めた会場の中、そのしわがれた声は不思議とよく響いた。

●蛇の出撃
 列車砲の長距離砲撃が、インソムニアを揺らして外壁に穴を空けた。

<トゥタッティーオ>
「攻めるのは、今日であったか」
 トゥタッティーオは思わず呟いた。
 ジダンの演説と同じ日とは。そちらへ向かわせたダークネス、そして陽動のため出撃したグレイ伯爵はどうなっているだろうか。
「そうとわかっておれば、伯爵に戻って来いと言う必要もなかったのだが」

 少し時間を置いて、もう一発、着弾する。突き破られたバリアはエネルギー体なので修復されていくものの、かなり堅固なはずの外壁には今回も穴が空いた。さしたるダメージというわけではないが、従来は生身でバリアを突破せねばどうにもならなかったインソムニアに損傷を与えていることは事実。
「人類の長距離攻撃もずいぶんと進歩したものよ」
 よくもまあこれほどのものをこしらえた。

「無視するわけにはいきませんね」
 クラーティオ(lz0140)が立ち上がった。
 安全な状態から攻撃にかかるのは戦闘の基本である。こちらが何も手を打たなければ遠距離からただなぶり殺しにされかねない。伯爵に頼んでウロボロスをわざわざ攻撃的に改造したクラーティオにしてみれば、それはさぞ我慢ならない状況だろう。
 そしてトゥタッティーオとしても、これはこれで予定が狂う。さすがに遠距離からちまちま削ってくるだけとは思えないが。
「段取りは、すでに打ち合わせた通りに。インソムニアが崩壊したら、混乱に乗じてまずは逃げ延びよ」
 ウロボロスに乗り込むクラーティオに、トゥタッティーオは言った。

●ヒリと改造キャリアー
「始まったか……」
 ヒリはコックピットの中で、大量のアサルトコアによる猛攻がインソムニア西側から始まったのを見て取った。
 ヒリの近くには、キャリアーがある。あちこちを歪に改造された異形のキャリアー。

 先日、トゥタッティーオが二隻のキャリアーを鹵獲した。そのうち、主動力部が無事だった方を改造し、ナイトメアが動かせるようにしたのがこれである。
 ヒリが乗っているのも、そこに積まれていたアサルトコアだ。乗員脱出前にかなり破壊されてはいたが、パーツを寄せ集めることで一体分はまかなえた。

「インソムニア突入への支援、にしては、突入する者が少なすぎるようだが」
 東側からは長距離砲撃、西側からアサルトコアで押し寄せてヒリを封じつつ、生身の者たちの突入を援護する。理屈としてはおかしくないが、肝心の生身の人員がずいぶん少なかった。
「考えられるとしたら、東側からさらに……いや、今はここに集中せねばな」
 ヒリは目の前の戦場に向き直る。インソムニアへ侵入させる分にはむしろ構わないのだ。それにトゥタッティーオとて何も備えていないわけではないのだし、自分が案ずるには及ぶまい。

 大型ナイトメアを指揮し、ヒリは戦う。

●第二列車砲と、ウロボロス二号
「列車砲が一つとでも思っていたか?」
 列車砲開発にこれまで注力してきた貴族連合の一人が笑う。
 イマジナリーレールで道なき道を突き進む、第二の列車砲。それがライセンサーたちをたっぷり載せて、ニジェールインソムニアに向かって疾駆していた。
 第一の列車砲による長距離砲撃は、ウロボロスとエルゴマンサーをおびき寄せる囮として機能してくれたようだ。あちらにはそれを任せ、インソムニア攻略はこの第二列車砲の仕事となる。こちらには長距離砲を積んでいないが、それだけが列車砲の存在意義でもない。

 インソムニアを取り巻くように近代的な都市が展開していた。オペレーターの教育などもしていたし、地域によっては医療なども充実していた。それらを育むには機能的な都市が最も効率的だったのだろうか。ただ、戦況の悪化ゆえ人々は避難させたのか、そこは無人の街と化していた。
 しかしインソムニア直近の周囲となると、舗装などはむしろなくなって剥き出しの荒地になっている。人間の住みやすさなどまったく考慮されていない、人外のものどもの棲み処。
 周辺警護の大型ナイトメアがいたが、速射砲で仕掛け、あるいは物ともせず撥ね飛ばし、第二列車砲はインソムニア東側に突進!
 そして停車した列車から我先にとライセンサーたちが降りていき、インソムニアへ突撃していった。

 一方、列車砲近くに留まる者たちもいる。内部へ攻め入った彼らが傷ついた場合に救助し、またインソムニア内に囚われているかもしれない一般人も救出し、それぞれ護衛する必要がある。敵増援にも備えねばならないだろう。
 それに、突入時に列車砲がいささか損傷してしまった。イマジナリーレールを展開する先頭のバリアー車や人と物資を大量に積んだカーゴ車は無事だが、砲撃用のアサルト車が何両か。この処理も必要になりそうだ。
「壊れたならばせっかくだ、使い切ってしまおう。キャリアーとは別の使い道ができるのだし」
 先ほどの貴族、ライセンサーでもある彼が指示を飛ばした。一部が壊れただけの車両を平然と破棄命令。回収することなく橋頭保に使おうとする。



 それよりほんの少し前。
 トゥタッティーオは地下格納庫で、タコ型の工兵どもにあるものの最終調整を指示していた。
「ウロボロスが一体とでも思っていたか?」
 そこに控えていたのは、先ほど出撃したウロボロスと同型の巨大ナイトメア。その名はアンフィスバエナ。
「あちらほどの機動性はまだ得られてないが、防衛戦に使う分には問題あるまい」
 調整が完了したらすぐに東側へ出撃させるよう命じ、指揮官は階上へ戻る。

●決着の時
 一階の中央広間にはディミトリアがいる。今はまだ、黒竜ではなく人間の美女の姿だ。近くに影犬が寝そべっている。インソムニアへ戻ってきた際にはかなりの傷を負っていたが、今はすっかり回復したようだ。
「こちらも盤石のように見えるな」
「どこの牧場か動物園かという感じではありますが」
 苦笑する彼女の周りには、スリープバードとストームシープがわんさと群れていた。いずれもライセンサーの動きを封じるにはうってつけの存在。これらが侵入者を抑え、黒竜が炎や直接攻撃で沈めていく。シンプルではあるが、悪くはなかろう。

「ここはそう簡単に通しはしません。しかし二階の四部屋は……」
 一番目立つのは無論一階の広間だが、リディア・ドレイクがインソムニアの構造について話さない理由もあるまい。なので、トゥタッティーオの部屋に通じる二階の四方も侵入ルートは割れていると踏んで手を打っておいた。
「案ずるな。ダークネスやグレイ伯爵の配下を一部借り受けている」
 マンティコアやガルラ兵、さらにクラーティオの率いる蛇やヒリの手下も置いた。いずれも突破は容易ではない。ゆえに、ライセンサーは数を投じざるを得まい。
「来てくれればくれるほど、都合がいいですからね」
 ディミトリアが笑む。
「攻め込んできた連中がひっくり返っている間に、こちらは悠々と逃亡開始。さぞ面白い見物となるでしょう」

 主動力部を破壊して鹵獲した、もう一隻のキャリアー。その自爆装置を利用する。
 キャリアー一隻の自爆で崩壊するほどインソムニアは脆い構造でもないが、爆破の際の衝撃が周囲に与える影響などを最大限高めておくようあれこれ調整することで、可能とした。
 もちろん壊さぬ部分もある。すべて破壊したら脱出などかなわないのだし。

「図らずもこれは、アンジェリーナがやってみたことと似ているな」
 たまたま一度だけオペレーターを務めた時、彼女は支城のコアの防衛を放棄して、丸裸になったそこへライセンサーたちをおびき寄せた。その時は狙い通りに増援が押し寄せて包囲、しかしリディア・ドレイクもいたものだからそれ以上の戦闘とはならず、そこで手打ちとなったものだが……
「今回は、どう終わるか」



「さあ、来るがよい」
 そして戻った二階の部屋で、トゥタッティーオは相手の到来を静かに待つ。



(執筆:茶務夏
(文責:WTRPG・OMC運営チーム)

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