●各地の戦果
「眠らぬ獅子との接触は、今のところうまくいっているようだな」
「悪くないと思うよ。警戒心はまだ強いが、それは無理もない」
水月ハルカ(
lz0004)にアイザック・ケイン(
lz0007)が応じた。
「ギニアじゃ、ヒリが治めている村から病人の解放に成功したな」
葛城 武蔵介(
la0849)が報告した。交渉の際にはあの武人肌のエルゴマンサーと言葉を交わしている。
「指揮官の信頼があるみたいで、ずいぶん広い領域を任されているみたいだった。ただそのせいで、各地で起こるあれこれにすぐには対応しきれないようでもあったな。そこが付け入る隙になるかもしれない」
「コートジボワールでは、クラーティオが執着していた村から村人を全員避難させました」
霜月 愁(
la0034)が淡々と述べた。ナイトメアと人が密接に絡み過ぎた村だ。部外者たる自分としては、何を言えるものでもない。
(村の人たちも、クラーティオも、どうなっちゃうのかな)
clover(
la0874)は、追ってきたクラーティオと交戦した際の、彼にそっと告げられた最後の一言を思い出す。レヴェルだろうがナイトメアだろうが、関わりが深まれば気にかかってしまうものではある。
「モロッコの村からは、ナイトメアの支配を良しとしない少数派の村人を救出した」
井木 有佐(
la0921)が説明した。
「ダークネスというエルゴマンサーが、能力は未知数だが恐怖をベースに人心を掌握しているようだね。多数派も一枚岩ではないと思うが……」
考えなしに踏み入っても多数派の強い反発を招くだけと懸念される。まずは情報を集めつつ、情勢の変化を見逃さないようにするというところか。
「同じモロッコ、ジブラルタル海峡のアフリカ側であるセウタも奪回することができたわ。さすがに反撃はシビアで列車兵器も無傷とは行かなかったけど、これでヨーロッパ側からの補給ルートは確保できたし、避難を希望する住民たちもぐんと逃がしやすくなったわよ」
ユリア・スメラギ(
la0717)が報告した。
「アルジェリアは、南部まできっちり攻め落とせたようやね。グレイ伯爵(
lz0121)は大して懲りもせず、まだ何か企んどるみたいやけど」
芳野(
la2976)はナイトメア越しの伯爵との対話を思い出す。人の真似をして人を理解できない、可哀想な化物。かつて彼女が落とした腕も治したようだが、いずれきっちり殺してやりたい。
「制空権を奪いきるには少し手間取りそうだがな」
ハルカは、先日のキャリアー撃破を思い返す。単なる輸送用と思っていた巨大イナゴを対空砲弾に利用されるとなると、効率という点でSALFに分が悪い。
「トゥタッティーオさん本人は、やっぱりかなり強いです。最初に顔を合わせた時に見せかけていたものとは、攻撃の射程も範囲も全然違っていました。さすがに、あれ以上何か隠しているという感じはなさそうでしたけど……」
その際に敵指揮官と交戦した水無瀬 奏(
la0244)が言う。相手もキャリアー撃墜のために、隠していた切り札はだいたい使ってきたように思う。
「ただ、彼女の強さのポイントになる防御障壁は……突破する糸口が見えたかもしれません」
西アフリカ攻略は順調に進んでいる。パラノマイを討伐した東アフリカも、ゴグマが去った南部アフリカも、失われたものは非常に大きいが、SALF主導で復興への道を進んでいる。
アフリカ奪回はこのまま進むように思われた。
●リディアの選択
指揮官トゥタッティーオに対し、リディア・ドレイクは言った。
「……エチオピアまでの人類領域を攻め落とし、ナイトメアの新たな領土とします」
リディア自身の目的地は、エチオピアの大地溝帯。だがそこは、かつてパラノマイの支配した地であり、現在はSALFによって人類側へ奪還されている。
かと言って、SALFに持ち掛けても通る話ではないだろうし、トゥタッティーオにもただでは手伝えないと拒まれた。
ゆえに、リディアはナイトメアの利益を示し、再び話を持ち掛けた。
「まあ、よかろう」
トゥタッティーオは肯いた。
「気象操作システムについてはこれよりそなたに預け、インソムニア・コアからのエネルギー供給は断つ。再稼働させたくば、エチオピアまでのパイプラインを通してみせよ」
「はい」
それまでより、ほんの少し砕けた調子で、トゥタッティーオは口を開いた。
「先日、ザルバ様より、万一の可能性について連絡があった」
「はあ」
「北欧のオリジナルインソムニアが陥落した場合、ザルバ様らがこちらへ落ち延びてフォガラを強化、ホームへ接続可能とするナイトメアの新たな本拠地となさるそうだ」
「え……」
「そのようなことになれば、ここはいささか手狭となろう。その意味でも、東アフリカ再侵攻はうってつけであるな」
――ザルバなんかのためにこの提案をしたわけじゃない。
そうは思っても、結局、トゥタッティーオの意に沿うようにナイトメア側の利益を考慮し、人類に敵対したのは事実。
思ったことを、リディアは腹の中に留めることしかできなかった。
トゥタッティーオは、リディアにさらに言った。
「グレイ伯爵に話は通してある。かつての支配領域ということもあってか、侵攻に意外なほど乗り気であった」
「え……?」
では、トゥタッティーオは、先月リディアが話した直後から、すでにこの侵攻計画を立てていたのか?
<リディア・ドレイク>
<トゥタッティーオ>
「我もあちら方面には多少の伝手がある。やってやれないことはなかろう」
物憂げな顔にかすかに浮かぶ笑みは、かつてリディアに向けたことのない表情。
明らかに「仲間」に向けたものであった。
●ウロボロス、出撃
「博打に付き合わせるのは申し訳ないが、このまま押さえ込まれてもじり貧になるばかり。おぬしらには力を貸してもらいたい」
リディア・ドレイクと別れた後、トゥタッティーオはグレイ伯爵らに言った。
「家畜どもに我が新たな力を披露してみせましょう」
伯爵は貴族然とした振る舞いで応じる。
「国連軍を討ち滅ぼせるなら、どこへなりと」
一方のクラーティオ(
lz0140)は、これまでとは異なるぎらつくような眼光を放っている。三十年間守り続けていた村人に逃げられ、その怒りはSALFへまっすぐに向かっていた。
「その列車……ウロボロスと申したか」
「いかにも」
ニジェールインソムニアの中、非常に巨大な列車があった。いや、下にやたら幅の広いレールが敷いてあるからそう思えるだけで、姿自体は大蛇と形容するしかない。先頭車両(?)と最後尾車両に頭を有し、赤い目を爛々と輝かせている。胴体の各所にドアのようなものが備えられ、中に乗り込めるようになっていた。
「それにはオペレーターをできるだけ乗せていき、随所で降ろしていってもらおう。イナゴで先行させたナイトメアと合流すれば、かなりの力を発揮しよう」
「承知いたしました」
輸送用巨大イナゴに乗せて超高速跳躍などさせたらたちまち死ぬぐらい脆い生き物であるが、頭脳として使わせる分には人間はなかなか使い勝手がいいと、グレイ伯爵は学んでいた。
「裏切る恐れは?」
「ないとは言わぬが、東から逃げてきた者の子孫を多く採用している。父祖伝来の地を取り戻したいという思いは強かろう」
クラーティオの警戒に答えるトゥタッティーオ。
ただ、言いはしないが、人類救済政府の中で信用しきれない・日の浅いメンバーも多めにピックアップしていた。テルミナスのやや不穏な動きと併せると、ニジェール近くにあまり置いておきたくない。
(先日、あのアイドルにもおかしな質問をされた。テルミナスとの関係を足掛かりに切り崩しを試したかのような。テルミナスとSALF、予想以上に接近しておるのやもしれん)
それに、言わば根無し草の彼らの方が、故郷防衛の意識が高い現地住民よりは今回の侵攻に向いているのは間違いないだろう。
「火山から先は、南に向かってもらう。カイロなど北部を制するはさすがに奇襲でも難しかろうが、南部を固め……いや、混乱に陥らせることができればよい」
指揮官の指示に、グレイ伯爵とクラーティオは肯いた。
「西部方面ではヒリらが凌いでおる。モロッコのダークネスともようやく連絡が取れた。この錐のごとき一撃がうまく急所に突き刺されば……ひと月ほどは乱戦状態に持ち込んで粘れるはず。その間にザルバ様らと合流すれば、まだまだ滅びは免れられよう」
トゥタッティーオは自らに言い聞かせるように小さく呟いた。
レールが一直線に指し示すのは、東南東のエチオピア北部火山地帯。そこまで敷設されるパイプラインを隠す狙いも、この線路にはある。
●赤竜と黒竜
リディアがインソムニアの外を歩いていると、ディミトリアに出会った。彼女もトゥタッティーオからすでに話は聞いていたらしい。
「火山エネルギーを利用して、インソムニアの気象操作システムを独立状態で維持し続ける……か。ナイトメアがそんなエコなことやってどうすんのよ?」
「ここに住む人たちが、しばらくは飢えずに済みます」
「いや、そりゃそうだけどさ……」
ディミトリアは、頭を軽くかいた。
「もうすぐ出撃のようなので、これで」
「あたしも行くわよ」
その言葉は、リディアを驚かせた。
「昔の義理があるんで、付き合うだけ」
ディミトリアは、かつて名を挙げたライセンサー。リディアは新米ライセンサー。しかし黒竜は若造で、赤竜は群れの長。なかなか複雑な間柄である。
「ありがとうございます」
「けど、あんたが死んだらすぐにこっちは逃げさせてもらうわ」
「あなたの立場なら、当然です」
「あんたって、物わかりが良すぎ。ま、逃げおおせてからも、しばらくは東アフリカ南部で転戦ってことになるだろうけど。下手に北欧へ行っても却って早死にしそうだし」
そこへ、マリア・キディアバがやって来た。憔悴しきった表情。
リディアを見つけて、呼ぶ。
「アンジェリーナの容体が悪化しました……あなたに来て欲しいと言っています」
●裏切り者と、半端なナイトメア
部屋には、アンジェリーナ・キディアバとリディア・ドレイク以外、誰もいない。
「わたしを食べて」
死に瀕した少女は真面目に訴える。だが、はいわかりましたとやれることでもない。
「あなたってば頑固ね」
「そういう問題でもない気がしますが」
「じゃあ……告白タイム……!」
苦しげな息なのに、楽しげに話し出した。
「わたしにとって、人とナイトメアが共存して生まれたこの景色は大切。なくしたくない。でもアズランに所属して人類救済政府に潜り込み西アフリカに潜入までした父さんの、ナイトメアを倒したいし追い出したいという気持ちもわかる。あちらを立てればこちらが立たず」
リディアが思いもよらなかったことを、いきなり言い出した。
「そこでわたしは、両方やっちゃうことにしました……!」
少し前までなら元気に言ったであろう台詞も、今は力弱い。それでも、その内容の方が気になる。
「わたしは長生きできないから。どっちもできないとまごまごしてるうちに時間切れになるくらいなら、矛盾してても両方やっちゃう」
きっぱりとした言葉。そこに至るまでにどれほどの葛藤があったのか(あるいはなかったのか)は悟らせない。
「トゥタッティーオ様のことも大好き。でも良くないナイトメア、ここに住む人たちに害をなすナイトメアを叩き出すために、アズランへ情報もせっせと流しちゃう。そんな裏切り者の内通者『折れぬ牙』が……わたし、アンジェリーナ・キディアバ。SALFの西アフリカ侵攻に、意外と貢献しちゃったみたい」
にやりと笑って、リディアを見やる。
「どう? 食べたくなった?」
「出来損ないのナイトメアにそんな話を聞かせても……殺意なんて湧きませんよ」
「それもそうよね。まあ、最期に言っておきたかっただけだから」
ただ、アンジェリーナの特殊性は理解できた気がした。いかな西アフリカとは言え、ナイトメア……特にエルゴマンサーに対して、彼女ほど大胆に接することができる人間はそう多くない。それは彼女が、ナイトメアを圧倒的強者として崇めているのではなく、場合によっては倒すべき相手と認識していたことも大きいのではないか。
話すうちにも、アンジェリーナの呼吸は荒くなっていく。生気が失せていく。
「踊り食いとかしてみたくない? あんまり生きはよくないけど」
笑えない。
「だいたい、なぜ私なんですか? あなたのお気に入りは他にもいますよね」
「トゥタッティーオ様はお忙しいわよね。それがもちろん大きいんだけど……」
アンジェリーナは、リディアをまっすぐに見つめた。
「あなたが一番、お腹を空かせていそうだから」
リディアを奥まで見通すような眼差し。
「お腹を空かせた旅人のために、兎が火に身を投げるのはありなのに、人間が身を投げるのは、なしなのかしら?」
「あなたは人間で、私は……」
人間だとは言えない。けれど他のものとも言いたくない。リディアはかぶりを振る。
「これでもダメ? なら、もう一つの本音……こっそり期待してることも言っておくわね」
出来損ないの悪役みたいな顔になって言う。
「あなたが、あなたを食べたナイトメアになり替われたように、わたしもナイトメアになれたらなと企んでいるの。病気とは無縁の身体、使えるものなら使ってみたいわ」
これまで話してきたことの、どれが彼女の本心なのか。いや、本当にすべてが本心なのかもしれない。
ナイトメアを受け入れ、しかし密かに反旗を翻し。エルゴマンサーたちと親しく接しながら、彼らの打倒につながる行動もとる。リディアの飢えを気遣いつつ、彼女になり替わりたいと思う。
人として生きることと、ナイトメアと共にあること。その、時に相反する環境の中、矛盾を矛盾のまま生きてしまうことにした結果なのか。
ただ、そこには一貫して、この地に暮らす人のためにという方針はある。
そしてどうも、単に死ぬくらいならここでリディアに食べられたいという気持ちについても一向に揺るがないようで。
それをいつまでもはね除けられるほど、リディアは強い性格ではない。
「あなたの中で、わたしも戦いたいわ。ここに生きる人たちのために」
リディアは覚悟を決めた。
●誰がために
リディアが部屋の外に出ると、マリア・キディアバが待っていた。
「あの子は……」
「私の中に」
マリアがリディアを見つめる。その瞳は大きく揺らいでおり、嫌悪や怒りの感情も溶け込んでいるのは間違いなかった。
リディア自身は、こうなっても大きく変わらない自分にショックを受けていた。
ナイトメアにとって、人の捕食は自然なことである。それを妨げていたのはリディアの心に過ぎない。信じる宗教でタブーとされている種類の食べ物を食べてしまっても、その人体に害があるわけではないのと同じ。
「あの子の記憶は、思いは、心は……」
「……特に、思い出せません。申し訳ない」
あの、矛盾と熱を抱えた少女の意識は、リディアの中のどこに行ってしまったのか。
家の外へ出ようとするリディアを、マリアは引き留めようとした。
「もう少し、いてくれませんか? あの子がいなくなったこと、まだ現実感がないんです。心がふわふわと浮ついているようで……あの子を喰、その、受け入れたあなたと話をすれば、少しは落ち着いて現状を把握できるかもしれません」
「気持ちはよくわかりますが、出撃しないといけませんので」
「出撃?」
マリアはトゥタッティーオから何も聞かされていないようだ。アンジェリーナの件で手一杯だったろうし、無理もないか。
あるいは……アンジェリーナの密告の件、察知とまではいかずとも、警戒するようになったのかも。
マリアは『折れぬ牙』という存在にどれほど関わっていたのだろう。訊きたい気はするが、もし無関係だったらショックを与えてしまうばかりと、リディアは何も言わずにおいた。
「……エチオピアへ、パイプラインを敷きに行ってきます。火山の力で、インソムニアの気象操作を維持し続けてもらいます」
そう言うと、マリアは驚きつつもすぐに納得したようだ。つくづく賢い姉妹である。
「アンジェリーナが好きだったこの景色をもっと長い間守れるようにしてきます」
マリアの瞳が潤む。しかし、何かに気づいたように彼女はリディアの袖を掴んだ。
「人類と敵対してしまうことを忌み嫌っていたあなたが、出撃するのですか?」
「それ、は……」
「つまり、あなたが直接行かねばできないことが何かあるということですね?」
「え、ええ、そのためにしかたなく行ってくるだけです」
「帰って来る当ては……いえ、そもそも帰って来るつもりはあるのですか?」
正直に答えるわけにはいかず、黙るしかない。それが何よりの答えとなった。
「あの子を喰らったあなたまでいなくなってしまったら、あの子は本当にこの世から消えてしまいます……」
袖を両手で掴んだまま、跪く。すがる姿は祈りの姿勢にも似ていた。
「グスコーブドリは死にたくて島に残ったわけではありません」
そうリディアが言うと、なぜかマリアは弾かれたように顔を上げた。
「それでも、誰かの暮らしのために、その人たちのために、やらなければならないことだと思ったから、残ったのだと思います」
ごまかしに過ぎない物言いだが、なぜかマリアには効いた。
「あな、た……」
「さようなら」
袖を掴む手が緩んだ瞬間、リディアは振り払って家を出た。
ドアを閉める寸前、マリアの泣く声を聞いた。
外に出ると、アンジェリーナの護衛を務めていた影のようなナイトメアが、犬に似た形を取ってしがみついてくる。攻撃は仕掛けてこない。
「仇、という認識ではないのね」
あるいは、アンジェリーナを喰ったことでリディアは彼女と同化した、だから次はリディアを護衛するとでも考えているのか。
離れそうにないので、抱きかかえて出発する。
●意味の生じた布石
その夜、ケニアのかつての首都ナイロビで、一人のライセンサーが夕食を味わっていた。
国家が崩壊し、パラノマイによって住民のほとんどが狩られた地域である。それでも完全に殺され尽くしたわけではなく、カイロインソムニア攻略から数ヶ月を経て、社会はゆっくりと回復しつつあった。
「食後に紅茶はいかがですか? ケニア産は、昔は世界的に知られておりました」
六十代ほどの男性が、執事服に身を包み、食事を終えたばかりのライセンサーに声を掛ける。
建物の地下にあるこの店は、現地住民をスタッフの中心としたレストランである。雇用対策の一環――立案した者たちの中の数人のより率直な本音としては、文明社会復帰への手助け――というところ。
「ありがとうございます」
ライセンサーは丁寧に応じた。
「それにしても、ずいぶんと手慣れていますね」
「三十年野蛮人のように暮らしていたのに、とお考えですか?」
そのライセンサーの思考を読んだように、老人は微笑む。
「元は商社で紅茶の売買に関わっておりましてね。二十代の頃から、世界各地を飛び回っておりました。多少のマナーめいたものは心得ております」
「し、失礼しました」
「いえ、お気になさらず」
提供された紅茶を味わう。どれほどのものかと思ったが、欧州出身の彼の舌をも満足させるほどの出来栄えだった。栽培を三十年間放置されていたとは思えない、上質な紅茶だ。
「これは……驚きです。三十年の空白を皆さんはいかに埋めたのですか?」
「空白があったわけではございません」
「え?」
「ニジェールの方に、素晴らしい取引先がございまして」
「ニジェール……ってちょっと待て!」
老人が言うと同時、叫ぶライセンサーを無視してドアの外に他の店員たちが飛び出すと、ドアの外で激しい物音がした。乱雑に物が引き倒され、ドアにぶつかって大きな音が立つ。バリケードを作られたのかと悟る。
「パラノマイがほぼ絶滅に等しい状態まで人類を『収穫』してこの地を放棄し、辛うじて隠れ生き残っていた我々も後は野良のナイトメアに喰い尽くされるのを待つばかり」
武器を抜いたライセンサーにも脅える様子は見せず、老人は淡々と語る。
「それを助けてくれたのはトゥタッティーオ様であった。あちらにしてみれば『空いていた土地を借り受けた』程度のことだったらしいが、我々にしてみれば間違いなく命の恩人だ」
「レヴェルか!」
通信し、仲間たちと連絡を取ろうとする。しかし彼らも軒並み各地で何かしらの妨害に遭い対応を迫られていた。
「違う。ナイトメアなら誰でもいいわけではない。パラノマイの支配など二度とごめんだ」
老人はゆっくりとかぶりを振る。
「しかし我々を真に滅亡から救ってくださったトゥタッティーオ様への助力なら、惜しまない。三十年前に我々を見捨てた外の世界の連中など、比べ物になるか」
ナイロビ各地で、ケニア各地で、ウガンダ、ソマリア、エチオピア……東アフリカ南部の各地で、その夜、現地住民によるSALFへの妨害行動が同時多発で発生した。
一つ一つは小さな、他愛ない、ライセンサーにとっては紙くずを投げられた程度のものであっても、積み重なれば足を滑らせるくらいの被害はもたらせる。
それらに気を取られることは、ナイトメアの襲来に万全の態勢で臨めないということでもあった。
●錐のごとく、貫くもの
ニジェールから、あるいは南のカメルーンやコンゴから、人類圏に向かって超高速で跳ぶものがある。
ナイトメアを乗せるだけ乗せた巨大イナゴの群れだ。
あるものはナイトメアをすぐに降ろして引き返し、あるものは満載のまま突き進む。
降りたナイトメアはその場で暴れ出す。SALFの常駐部隊が応戦するが……
「こいつら、急に動きが良くなってきた! 連携を取ってやがる!!」
「奥にいる、馬に乗って来たあいつ……人間のオペレーターか!」
「ゼルクたちが守ってネメシスが範囲で仕留めるパターンか。幻想之騎士がないならやりやすい」
ニジェールから馬型ナイトメアに乗って、チャドでの戦いに遅れて合流したオペレーターが呟いた。
「範囲攻撃で一度畳み掛けて幻想之壁を使いきらせろ。あのネメシスさえ落とせばもう進軍の妨げにはなれない。ああ、なるべく殺すなよ。救助にも人手を割かせたい」
*
ニジェールから発進したウロボロスも、チャドの大地を疾走する。
先頭の頭の上に立っていたディミトリアがまず気づき、報告した。
「基地に思いきりぶつかりそうね」
「行きましょう」
リディア・ドレイクとディミトリアが、彼女の報告によって停車したウロボロスから飛び降りた。チャドに設えられていたSALF基地を襲う。
「敵襲!」
「通信が……効かない!」
赤竜と黒竜に姿を変えた両者によって、EXIS通信は広範囲に渡って妨害を受けている。
そして二体の竜により、基地はあえなく蹴散らされた。
逃げて通信を図ろうとしたライセンサーたちまで残らず重体に至らしめ、念のためにめぼしい通信設備も破壊すると、再び人の姿になってウロボロスに戻る。
「露払いは順調であるな」
改めて発進したウロボロスの先頭車両で、グレイ伯爵は悠然と腰を下ろしている。赤竜と黒竜は仕事をしっかり果たしていた。
線路など事前に敷設したわけでもない大地の上を、かなりの速度でウロボロスが行く。進んだその後にはなぜか線路が残る。
ウロボロス下部では、二つの複雑なメカニズムが正確に作動していた。
一つは線路構築。アルジェリアでSALFの使用した列車砲、そのイメージレールに着想を得て、何もないところに高速で線路を敷きながらその線路の上を行くシステムを編み出した。
そしてもう一つは、いささか実現に難産した。二条のレールの間、その地下に、パイプラインも敷設しながら進んでいくのだ。レールを敷く際に均す必要があって地面も多少掘り返すので、どうにかカモフラージュはできている。
「難儀はしたが……トゥタッティーオ様のおっしゃっていた通り、赤竜を働かせる役には立つであろう」
グレイ伯爵はクラーティオに向き直る。
「貴公の使う蛇がなければこのアイデアは生まれなかった。資材の提供にも感謝する」
パイプラインに用いているのは、クラーティオの扱う蛇型の抜け殻などであった。やすやすとは腐らず朽ちず、パイプラインが稼働すれば通過するエネルギーのごく一部を利用することで長期に渡って生き続ける。軽くて運搬も容易だ。
「…………」
クラーティオは、これまでのにこやかさをかなぐり捨てたように俯いている。
高速で東へ進むウロボロスは、随所で人間のオペレーターを降ろしていく。彼らは後を追ってきた馬型に乗って、イナゴに乗った雑魚どもが南北で広げつつある戦場で指揮を執るために進んでいく。
東アフリカ南部に深々と突き立てられた傷口は、次第に広がりつつあった。
●各様の対処法
「エチオピア?!」
ハルカの驚きに、報告を改めてまとめながらソアリリ(
lz0035)が応じる。叩き起こされたライセンサーたちが続々と集まってきて、耳を傾けた。
「ナイトメアの大軍による夜襲です。ニジェールからチャドへ侵入、スーダンを超え、エチオピアにまで達しました。規模としてはこの侵攻軍が最大ですが、南部のカメルーンから中央アフリカ共和国、またコンゴ民主共和国から南スーダンやウガンダに展開している軍勢もあります」
「ちょっと待った、二国を突っ切ってもうエチオピアって、なんでそれだけの距離を進んできてこれまで連絡がなかったんだ?!」
「駐留部隊は対応しきれていないのかい?」
梅宮 史郎(
lz0071)とアイザックが疑問を呈する。
ナイトメアと人類の力関係は、すでに昔とは違っている。無防備な土地ならまだしも、解放して間もない東アフリカでは各地に駐留部隊を展開していた。それらがしっかり備えている以上、よほどの大戦力でも注ぎ込まない限りそう簡単に突破を許しはしないはずだが。
「エチオピアへの侵攻軍は、進軍のスピードが非常に速いことに加え……EXIS通信の妨害がなされている模様です」
「抜かった! ディミトリアか!」
ソアリリの説明に、ハルカが呻く。
「夜間ということもあって目撃はなかなかされません。そして進路上にあった駐留部隊の基地は赤竜と黒竜に入念に壊滅させられ通信機器も破壊されたと、救援部隊に重体者が語ったとのことです」
「それにリディア・ドレイクまで……」
「ついさっき、エチオピアのダロル火山近郊で赤竜と黒竜を目撃したと、現地にいたアズランのメンバーから連絡があった」
アイシャ・サイード(
lz0130)が言った。そのメンバーはライセンサーではなく、通常のスマホで連絡を取ってきたのが幸いしたようである。
「以前にも竜の目撃情報を入手していたので、調査のため赴いていたそうだ」
「火山……そんなところで一体何を?」
「SALFにも、同様の通報があったようです。また、それ以降は敵軍本体は南へ進路を取っている模様ですね」
首を傾げるハルカにソアリリが情報を加える。
「さらに、侵攻ルート上に位置するチャドやスーダン、エチオピア、あるいは中央アフリカや南スーダンやケニアでも現地住民が一斉に呼応、SALFに対する妨害工作を試みており、その対処にも追われています」
「それも対応がままならない一因か……!」
一般人がEXIS装備を肌身離さぬライセンサーに危害を加えられるものではない。それでも、道路を塞げば車は使えなくなるし、通信設備に破壊工作を仕掛けられれば連絡も容易に取れない。そうした極めて地道な積み重ねが各国各地で山をなし、SALFがナイトメアに適切に対処するための貴重な時間を奪っていった。
「それと、ナイトメア側はオペレーターが各戦場で指揮を執っている模様です」
「オペレーターの指揮を受けたナイトメアは極めて厄介な敵でした」
エリーヌ・ペルグラン(
la3172)が言った。
「こちらの情報を分析し、用心深く振る舞う。オペレーター一人一人に指揮官の教育が行き届いているかのようですわ」
カメルーンの戦闘で大きな働きを見せたものの集中攻撃を受け重体になったエリーヌの言葉には重みがあった。
ともあれ、動くしかない。
「まずは、エチオピアのダロル火山を優先してくれ! 先陣切って暴れてたはずの赤竜と黒竜がその近辺に留まっている。何を企んでいるかを突き止めた上で、討伐を!」
「そちらが最優先だけど……敵軍の本体はまた別にいるんだよね。火山の方を済ませたら、南へ方向転換したらしいそいつらも極力早く足を止めないと」
史郎と地蔵坂 千紘(
lz0095)が言う。緊急招集された面々が戦場へ向かって動き出す。
そんな中、ハルカはぽつりと呟いた。
「『折れぬ牙』からの連絡はなかった。よほどの極秘作戦だったのか、一部勢力による突発的な暴走か……」
他の可能性も考えられる。が、それを口にする者はいなかった。
*
アイザックは急ぎライセンサーを招集してキャリアーに飛び乗った。
敵のEXIS通信の妨害と通信機器の破壊によって、SALF内部での連絡が厳しい。スマホでのいささか貧弱な通信がメインとなり、関係各所からひっきりなしに届く情報に、アイザックは眉をひそめる。
特にケニアなど東アフリカ南部で、多数のレヴェルが蜂起していると聞いたのが気になった。
アフリカ中央部に詳しい『眠らぬ獅子』のジダンなら、何か知っているかも知れないと、急ぎ連絡をとる。
スマホによるテレビ通話の向こうで、ガネム・ジダンがこぼした。
「ああ……そういうことか」
「思い当たることが?」
東アフリカ南部は眠らぬ獅子も何度か出向いている。情報収集のためでもあるし、西アフリカ側のジャングルで討伐されそうになってほとぼりを冷ますために逃げ込んだこともあったという。
「あの辺は住民の大半がさらわれた後、沿岸部に支城がある以外は、野良のナイトメアがうろつくような不毛の地だった」
「パラノマイなら、人間をさらった後の土地は捨てそうですね」
「ああ、それでも人類が全滅したわけじゃない。ある時を境に見る見る状況が良くなった。土地も人も豊かになり、まっとうな生活を送れるようになった。それは幸運あるいは人のしぶとさによるものと思っていたが……」
「そこに、関わっていたものがいる?」
「たぶんな。話に聞く西アフリカの指揮官なら、いかにも手を打っておきそうだ」
パラノマイが捨てた地を、トゥタッティーオが拾った。その恩義ゆえに、忠誠心の高いレヴェルが多数いてもおかしくない。
「人類救済政府とは別口なんですね。説得が厳しそうだ」
「キャリアーとかいう足を貸してもらえないか? 俺たちは多少なりとも彼らと面識がある。外から来たあんたたちよりは宣撫に向いていると思うぜ」
「すぐ手配しますが、少し時間をください。通信妨害のせいで情報収集に困っていて、アズランの手を借りるほど忙しいので」
「あの嬢ちゃんも頑張ってるんだな。こっちも負けちゃいられない」
「SALFは敵への対処に全力を尽くします」
「そちらも頼んだぜ」
(執筆:
茶務夏)
(文責:WTRPG・OMC運営チーム)