●砂漠の闇に巣くうもの
──人類に捨てられた地・アフリカ。
2028年。アフリカ・カイロ防衛戦にて、国連軍はナイトメアとの戦いで致命的な敗北を喫し、アフリカの統治権を放棄した。
アフリカから押し寄せるナイトメアを押しとどめるため、SALFは地中海沿岸にヨーロッパ戦線をしき、人類とナイトメアの戦いは地中海へと舞台を移し、今日まで続いていた。
それから30年。
彼の地がどうなっているか、確かめようとSALFは幾度となく偵察隊を派遣したが、ろくな情報も手に入らないまま、手をこまねき続けている。
しかし、この30年の間、確かにアフリカに人類は存在していたのだ。その証拠に闇ルートでアフリカへ物資は流入し続けている。
地中海に出没する不審な船舶を拿捕してみれば、食料品や衣料品・医薬品がでてくることがあった。
人類救済政府の人間だけでなく、アフリカの鎖に囚われた人々がいるのだ。
だが、彼らがどんな暮らしを強いられているのか、誰も知らない。
草も生えない砂漠が、延々と続き、遠くに微かにピラミッドが見えるエジプトのとある場所。
昼は眩しい程の日差しが降り注ぐのに、夜となると極端に冷え込んだ。
砂漠の夜の静けさの中、不気味な音が鳴り響く。
ボギリッ。イヤな異音と共に、声にならない悲鳴があがった。
猿ぐつわを噛まされた男は、涙を流しながら許しを請うように上を見上げた。
しかし見られた軍服の男は、眉1つ動かさず、次の指の骨を折った。
ボギリッ。機械的に骨を折りながら、軍服の男は静かに呟く。
「テルミナスめ。人間とナイトメアは共存できるなどと、戯れ言を抜かしおって、この体たらくとは。今まではクライン様の顔を立ててきたが、家畜どもの本拠地を制圧せずに逃げ帰るとは。あの方の実力も地に落ちたものだ」
軍服の男──パラノマイは、アフリカのとあるインソムニアの管理を任されていた。司令官とはいえ、上には逆らえぬし、愚か者の同族と足並みを揃えなければならない。
人間の協力者を大量に抱えるテルミナスは、力尽くでヨーロッパを襲って制圧することを良しとしなかった。
テルミナスだけなら無視したが、上位種であるクラインのお気に入りとなると、遠慮せざるをえない。故に今までヨーロッパへの攻勢はほどほどに抑えてきたのだ。
「人間など所詮は家畜。生かして自由にせず、さっさと全て刈り尽くし、次の世界へ行けば良いものを。手ぬるいことをしているから、家畜が増長するのだ」
今拷問している男も、どこからか──恐らく人類救済政府の馬鹿な人間だろう──噂を聞いたようだ。
アフリカの外でSALFが善戦していると。それで逃亡を企てた。
「家畜には躾けが必要だ」
パラノマイは多数の人間を集め、男の骨を折っていく姿を見せつけていた。
カチカチと歯を鳴らし、必死で声をだすまいと堪える人間達を見下ろし、告げる。
「骨を折った程度で、人間はすぐ死にはしない。だが酷い苦痛を味わうだろう」
猿ぐつわを噛まされた男の首を無造作に掴み、放り捨てると、群がるようにナイトメアが食らいついた。
「いいか。貴様らは家畜だ。大人しく従えば、我らが喰らうその日まで、苦痛を感じることなく生きられるだろう。この男のように、我らに逆らおうとすれば、生きたまま苦痛を味わい死んでいく。それを忘れるな」
そう言って、汚れたと言わんばかりに手袋を投げ捨てる。
パラノマイが人々を見渡すと、皆が怯え、震え、哀願するように頭を下げる。
その姿を見て、表情1つ変えずに頷き、立ち去った。
人間は野生動物と違って、知性がある。いつか殺されると解って素直に従うはずもなく。だからこそ徹底的にその心を折り、刃向かう気を起こさせない躾けが必要なのだ。
パラノマイは管理するインソムニアに戻り、部下や同族の協力者を呼び集めた。机の上に広げた地図を見下ろし、淡々と話し始める。
クラインはグロリアスベースの襲撃に失敗し、その咎を受け、北欧のインソムニアから出てこられないらしい。
もはや邪魔立てする者はいない。
「インソムニアをいくつか落とし、人間は増長している。そろそろ躾けをして、自分達の立場をわきまえさせねばなるまい」
ザルバはホームに戻って不在だと聞いているが、あまりやり過ぎれば不興を買う恐れがある。
オリジナル・インソムニアに敬意を払って、ヨーロッパの北側は残しておくべきだろう。
ナイフを取り出して振り上げ、地中海の中心に突き落とし、告げた。
「ヨーロッパには熟れた果実のように、大量の家畜がいる。浚って、我らの管理下におき、資源とする」
「我が主のご命令とあらば、謹んでお受け致します。今こそ我らが正義を、広く示す時!」
甲冑姿のエルゴマンサー・レッドフィールドは、喜び勇んで、真っ先に動き出した。
他の者達は、仕方なく、あるいは淡々として、あるいは苦々しく、それぞれの思惑で動き出す。
ただ一人、グレイ伯爵(lz0121)はその場に留まった。
「グレイ。あれはいつできる?」
「もう少しお時間を。それに材料が足りません」
「足りない材料は浚った人間を使えばよい。とにかく急げ。時間が無い」
「では、家畜を浚って参ります」
主へ恭しく礼をすると、グレイ伯爵はそのまま与えられた任務へと歩き出した。
一人になった所で、パラノマイは地図を見下ろし、アフリカの要所を指でなぞる。
この30年、この地を完璧に支配下に置いてきた。例え家畜が力を付けたとはいえ、それだけで我らが負けるはずもない。
だがインソムニアが複数落とされたというのも事実である。その勢いに乗って攻め込んでくるかもしれない。
ならば先手を打って戦いをしかけ、人の心を折って、反抗の芽を摘み取る。
「人間など、我らナイトメアの敵ではない。ナイトメアの敵はナイトメア。早急に資源を確保し、体制を整えねばなるまい」
襲撃は速やかに終わらせ、既成事実で押し切る。
クラインが自由になった時、人間が刈り尽くされたとしても、後の祭りなのだから。
地図の上、エオニア王国のど真ん中に、ナイフは突き刺されていた。だが狙ったわけでは無く、パラノマイが適当に差した所がたまたまエオニアであっただけだ。
5年前多数のナイトメアに襲撃するよう命じたが、その時はそれが都合がよかったに過ぎない。
わざわざ名前を記憶する必要もない。パラノマイにとってエオニアはその程度の国という認識だった。
●大規模襲撃発生
「東部の港にナイトメアが出没したようです。至急応援をと!」
「西部の村がナイトメアに襲われているそうです!」
「南部の海で漁をしていた漁船からナイトメアの目撃情報が!」
次々と報告されるナイトメアの出没情報に、SALFエオニア支部は騒然としていた。
「エオニア支部だけでは、人手が足りません。他支部に応援要請は頼めますか?」
アイザック・ケイン(
lz0007)の問いに、エオニア支部司令・ヨルゴス・アンドレースは眉間に皺を寄せ、首を横に振った。
「どうやら付近の支部でも同様にナイトメアが出没しているらしくてな。他を応援している余裕はないと」
ヨルゴスは他支部から送られてきた情報を、モニターの地図に映して見せた。それを見てアイザックも顔色を変えた。
「シチリア、エオニア、ギリシャ、トルコ、キプロス……被害が東地中海沿岸一帯に集中していますね」
「ああ。ヨーロッパでも北部やスペインの方は被害がないようでね、そちらに応援要請はしているが、距離があるから時間もかかる」
「昨年の欧州の襲撃事件の再来でしょうか?」
「また人類救済政府やテルミナスが関わっているのかどうか……ケイン君。君はどう思う」
そう問われ、アイザックは悩むように顎先に手を置いた。
「情報が足りないので、ただのカンですが……少し性質が異なる気がします。現在報告を受けている内容から、敵の狙いは『人間を浚う』ことのように見えます」
「脅すための襲撃というより、人間を浚うためか。浚われた人々がどうなるか……」
そこまで言ったところで、ヨルゴスはその先の言葉を飲み込んだ。どう考えても酷い最後になる想像しか出てこない。
今被害にあっている国の人々は、今も不安に駆られているだろう。その全てを助けたいと願うくらいにヨルゴスはお人好しである。
しかし、エオニア支部の司令として、まずはエオニアを守り抜かなければいけない。
「エオニア国民の様子はどうなっているかね」
「やはり衝撃は大きいです。欧州の襲撃事件の時より、エオニアで発生する事件が多いですし、何より5年前の悲劇があります。またあの悲劇が繰り返されるのではと、パニックで交通事故も多発しているようです」
エオニア支部はナイトメアを倒すための対応で手一杯で、人々の心のケアまではできない。
きっと、今、王女は懸命に国民の為に動いてるのだろう。小さな体で国を背負う、哀れな王女の手助けができないことに、少しだけ心を痛めた。
「緊急事態だ。支部司令の権限内で許可できることなら、全て許可する。使えるものは何でも使いたまえ」
「はい。わかりました」
アイザックはすぐに思考を切り替え、仕事に戻った。今は自分の成すべき仕事を全力でやるべきだ。
●アフリカを夢見て
クレタ島の首府イラクリオ。島内最大の街に相応しい活気に溢れている。
そんな賑やかな街から離れ、路地裏をくぐり抜けた先に、古びた雑居アパートがあった。
一人の少女が地図を睨みながら、仲間からの報告を受けていた。
「地中海の各地でナイトメアの襲撃が増えている。しかも人間を浚っているのか」
「イベリア半島の方は被害がないらしいです」
まだ10代の少女に三十前後の男は敬語で問いかけた。
少女の名はアイシャ・サイード。アフリカンゲリラ・アズランのリーダーだ。
カイロ防衛戦で国連軍は敗北しアフリカの統治権を放棄した。
その後の二年間、最後まで抵抗を続けたのがアフリカンゲリラ・アズランだ。彼らの生き残りはヨーロッパへと逃げ延び、このクレタ島を拠点に、ひっそりと活動を続けていた。
元々はアイシャの祖父がリーダーだった。しかしずいぶん年を取って、皆を率いる程、活動的に動けなくなった。祖父からリーダーを引き継ぎ、同胞を束ねるアイシャは16歳であるのに、ずいぶん大人びていた。
「被害はイタリアより東地中海沿岸のみ……これはアフリカからの攻勢?」
「人類救済政府の人間も、慌ててるらしいですよ」
人類救済政府の内部に仲間を潜り混ませている。重要な情報は入ってこないが、小さな噂話程度は拾えた。
「人類救済政府の人間が知らなかった? テルミナスがまた関わってる線は薄そうね」
「アイシャさん。どうします?」
褐色肌の腕を組んで、悩むようにアイシャは俯いた。
アズランがいくら情報を集めたところで、ナイトメアと戦う力はない。アイシャは適合者だが、SALFに登録していない。故に武器はない。
結局SALFの力を借りるしかないのだ。
「もう少しSALFを見定めていたかったけれど……時間が無い」
悔しげに親指の爪を噛んで、窓の外を眺めた。アパートの前で子供達が固まって何か遊んでいる。あの子達の親は、アフリカ内部に潜入調査に行ったきり、帰ってこなかった。
アイシャの両親も……そこまで考えてぎゅっと記憶に蓋をする。
このアパートには多くのアフリカ難民が身を寄せ合って生活していた。
クレタの至る街に、地中海沿岸の街に、アフリカ難民達はひっそりと住んでいる。30年前、故郷をナイトメアに奪われ、ヨーロッパに移り住んだ人々だ。
上手く環境に適応し幸せに暮らす人もいるが、新天地に居場所がなく今も苦労し続けている人も多い。
アズランの目標は、ナイトメアからアフリカの大地を取り戻し、彼らを故郷に連れ帰ることだ。
そのためにどんな手段を使ってでも、アフリカの内情を探り出す。危険を承知でアフリカに偵察に行き、人類救済政府の内部にスパイを送り込む。いつ消されるかもわからないのに。
そんな犠牲を積み重ね、勝ち得た情報は、ナイトメアとの戦いに役立つ。そう信じて皆が命を賭けている。
──皆の苦労に報いるためにも、賭けにでる。
「レティムノの集会に立ち会ったライセンサー……確かアイザック・ケインだったか?」
「はい。何でもライセンサーなのに、人類救済政府のレヴェルと取引していたとかで」
「それぐらい、このクレタではありふれたことだ」
そう、ありふれたこと。正義の組織であるSALFの人間が、レヴェルと癒着し、不正を働く。
本来あってはならないことだが、長年クレタ支部に不正が蔓延していた。ライセンサーの中にはアフリカ難民を差別し、犠牲にしても構わないと思う輩もいた。
昨年の秋、クレタ島でおきた大規模襲撃で、クレタ支部の不正が明らかとなり、支部長は交代したが、今でも混乱は続いている。
アイシャはそんな酷いライセンサーばかり見て育った。だからSALFを信用しようとしていなかった。
同胞達も似たような想いでいるのだ。この30年、SALFはヨーロッパを守るだけで、アフリカを取り戻そうという気概がないと。
「でも変な奴なんですよ。俺達アフリカに帰りたい奴らが、人類救済政府に入るのを止める為に、自ら不正を告白して、エオニア支部に左遷されたって」
レヴェルと癒着するのは、私利私欲のため。自己保身に走り、罪が露見しないように、証拠をもみ消す輩はいくらでもいるが、アフリカ難民の為に、自ら罪を告白するのは、確かに変わり者だった。
「それにその時一緒にいたライセンサー達は、アフリカを絶対取り戻すって言ってました。ニュージーランドやロシアのインソムニアを攻略した。アフリカだって取り戻せるんだって」
インソムニア攻略の噂はアイシャも聞いている。しかし所詮、遠い外国の話。SALFが本気でアフリカ奪還を目指してるとは思えなかった。
しかし、その集会に参加した同胞達は、口々に『彼らなら信用できる』と言っている。
「アイザック・ケインは、今エオニア支部にいるのだったな。アズランのリーダーとして、私が直接会いに行って交渉しよう。我らアズランの悲願、アフリカ奪還のために」
この襲撃が今後も続き、ヨーロッパが壊滅的な打撃を受ける前に、動き出さねばなるまい。
●小さな決意
エオニア王国の王宮内部も上を下への大騒ぎ。
担当官僚達はエオニアの各所に細かく指示を出していく。警察に避難誘導、消防隊に事故現場の救助、病院に負傷者治療。だがやってもやっても追いつかない。
パルテニア・ティス・エオニス(
lz0111)は、自分の無力さをぎゅっと噛みしめていた。
本来、こういう緊急事態こそ、国主として指揮を取らねばならないはずだ。しかし、パルテニアはまだ10歳と幼くて、実務は官僚達に任せるしかない。何かしたくても、じっと報告を待つしかできない。
「エレクトラ。せめて不安な国民へ、励ましの言葉なりかけてやりたい。ネットで我の動画を映して中継とやらはできぬか?」
「はい。すぐに準備させていただきます。王女からのメッセージを見れば、国民も少しは不安が和らぐでしょう」
エレクトラが退出し、1人ぽつんと取り残されたパルテニアは、緊張を解いて、ぽろぽろと涙を流した。5年前の恐怖を思いだし、体が震える。
怖い、苦しい、辛い。でもそんな弱音を自分が口にしたら、民が不安になる。だから我慢しないと。泣くのは1人の時だけにしないと。
「……大丈夫。きっと、ライセンサーが助けてくれる」
そうだ。彼らがいるのだから、すぐにナイトメアはいなくなる。
パルテニアにとって、エオニアの国民にとって、ライセンサーは英雄であり、憧れだ。
彼らを信じて、しばらく我慢すればいい。
誰かが戻ってくる前に、泣き止まないと。ハンカチで涙を拭って、背筋を伸ばし、深呼吸する。
「我はエオニアの王女。堂々と振る舞わねば」
(執筆:
雪芽泉琉)
(文責:フロンティアワークス)