プロローグ
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侵略、開始
北ヨーロッパ、某地域。
黒い柱を歪に繋ぎ合わせたような形状の建造物が、今日も不気味なほど静かに屹立している。
人類が『不眠症』の名を冠した、ナイトメアの要塞『インソムニア』――これはその、オリジナルである。

<オリジナルインソムニア>
天気さえ良ければ、遥か遠くから見ても高くそびえる柱の先端が見えることもある。見たところで、人々は天気の良さに晴れ晴れとするどころか暗鬱な気持ちになるだけだが。
その光景が直径三キロにも及ぶこの要塞の巨大さを物語っているものの、それすらも地上に見えている『一部』に過ぎないとの説もある。
何にせよ、この存在はナイトメアの脅威の象徴であり勢力の根源だ。
それを分かっているから、現地の人間はおろかナイトメアに立ち向かおうとする人々すらもうかつには近寄れずにいた。
もちろん、実際にインソムニアを利用しているナイトメアは、相手が近寄って来なかろうと此方からは襲いかかる。
何故なら。
「……劣った種は、優れた種の糧になる為に存在するのだ」
オリジナル・インソムニア内のどこか、少なくとも人の手は容易には出せぬ空間。
広く、天井も高いその場所で、赤毛の男の風貌を持ったナイトメアが宣う。
「糧となることこそが種の幸せであるだろうに、その理由を説明しないとこの世界のモノたちは理解しないのだろうか?」
芝居がかった仕草で両手を広げ、愚かさを嘆くように、厳かに、
「否、本当は理解っているのだ。抗うのは、その存在証明の為なのだろう」
謳うように、エルゴマンサー――フォン・ヘスは持論を述べる。
「そうだろう?」
彼は大仰に振り返ると、その独白を聞いていた存在に声をかける。
「彼らがどう考えていようと興味はありません」
答えたのは、美しい銀の長髪を靡かせる女性だった。
その身に纏うのは、SALFの制服。
「結局のところ彼らは我々にとっての食物に過ぎないのですから」
「君がその姿でそれを言うのは、なんというか皮肉なものを感じるな、クライン」
フォン・ヘスにそう言われ、女性の姿を持つナイトメア――クラインは小さく肩を竦める。『彼女』もまた、エルゴマンサーの一人である。
「食事の材料一つにその気持ちを確認するなど、それこそ滑稽なことでしょう?」
淡々とクラインが述べる持論に、フォン・ヘスは少しつまらなさそうな顔をする。
「君はもう少し、支配者としての余裕を見せてもいいと思うがね」
その指摘に、クラインが何か返そうとする前に――
「そうだ。抗おうと思うほどの力も持たぬ者を喰らうのに比べれば、余程有意義な食事の時間だろう?」
「……いらっしゃいましたか、ザルバ様」
部屋の奥から一人の男が姿を現し、それに気づいた二人は恭しく頭を下げる。
地球におけるナイトメアの司令官――ザルバは、空間に設けられた彼の為の玉座に腰掛けると二人に「頭を上げよ」と声をかけた。
二人が命に従うと、ついでザルバは側方に設置している巨大なモニターに世界地図を映し出した。
人類側が把握しているのと同様の、現状の人類とナイトメアの勢力圏を示している。もっともこちらの地図は、今後のナイトメアの侵略方針をも指し示してはいたが。
その地図のうち、いくつかの都市が赤く点滅していることに部下二人はすぐに気がついた。
「この光点は一体?」
「なに、『抗おうとする』力を効率的に削いだ方が、最終的には支配への近道となるだろう? その為に反抗の気配がする標的をいくつか選んでみたのだ」
「なるほど……」
「……これを私達に見せるということは、このうちのどこかを堕としにいけ、ということですか」
クラインの問いに、ザルバはそうだと肯く。
「二人揃って赴く必要もあるまいがな」
「私が行きます」
ザルバが付け足した言葉に、即座に反応したのもまたクラインだった。ザルバもフォン・ヘスも、反応の速さに少しだけ驚いた。
「その役割に対する真面目さは、捕食した人間の影響かね?」
「ないとは言いませんが、どちらにせよ反乱分子は早めに刈り取るべきです」
そう語るクラインの表情には、終始一切の変化が見られない。
元から――今の姿を取る前から、フォン・ヘスに比べると真面目ではあった。実際のところ影響があるかどうかは当人すらも分からないが、些事である。
「では、まずはクラインに任せるとしよう。標的に目星はついたか?」
「それでは――」
ザルバに促され、クラインは光点に示されたうちの一つの都市の名を告げた。
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見えざる標的
ある夏の日の東京を襲ったのは、文字通りの『悪夢』だった。
「おい、なんだアレ」
最初に気がついたのは、東京ゲートブリッジを走行中の乗用車に乗っていた一般市民である。
太平洋上の遥か遠くの空に、黒い点がいくつか見えたのだ。
水平線の向こうから現れるように徐々に姿を増やしながらも、その点は猛烈な速さで此方へと接近するかのように大きくなっていく。
最初に現れた黒点がある程度大きくなると、人々はその異変に気づき始めた。
「アレは……ナイトメア……!?」
漆黒のエイの姿を取ったそれは、しかしながらサイズはとても目視で測れるものではないほどに巨大だった。
人々が呆気にとられているその刹那の間にも、後続の黒点もその真の姿を顕にしていく。
象る姿形は異なれども、どれも共通して言えるのは、総出でこの街の空を黒く覆い尽くさんと言わんばかりのそのサイズ。
やがて先頭を往くエイだけは徐々にその加速を緩め、埋め立てられた大地よりも少し離れた海上に留まった。しかし他のナイトメアはそのエイを追い抜いて東京の空へ辿り着く。
その道程の最中に散開した上空のナイトメアは、やがて速度を緩めると――まるで子を産むかのように、東京の街へと『ナニカ』を大量に解き放った。
「う、うわあああああああ!?」
「逃げろ!」
「逃げろってどこへ!?」
――そうして、街には混乱、悲鳴と絶叫が溢れかえることになる。
「いや、参ったねコレは」
洋上の浮かぶ人工島、グロリアスベース。
日本の首都へのナイトメアの大侵攻の報は、当然すぐさまこの人工島にあるSALF本部にも届いていた。既に一部のライセンサーは、東京へと向かっている。
それから程なくして、島内の大ホールに多くのSALF職員とその時ベースにいた全てのライセンサーが集められた。状況の分析がある程度完了した、ということらしい。
ホールの壇上には、気怠そうな雰囲気を纏う白衣の中年男性がマイクの前にいる。その少し後方には、此方は逆に見るからに生真面目そうな女性が立っていた。
「真夏の夜の夢って言葉でも知ってるのかね奴さんは。夢って言っても悪夢だが」
「冗談にもなっていませんから、早く説明してください!」
「わかったわかった」
女性――部下であるリシナ・斉藤の催促を受け、男性――もはや人類に必要不可欠になったEXISの研究の第一人者であるシヴァレース・ヘッジ博士は肩を竦めた後、それよりも真面目な表情になってマイク越しに話を切り出した。
「ほとんどの者は知っていると思うが、こうしている今も、東京がナイトメアの大規模な襲撃を受けている。
突然仕掛けてきた奴さんの狙いはよく分からん……と言いたいところだったが、ここだけの話心当たりがないわけじゃない」
ヘッジの言葉に、ホールがざわめきに包まれる。マイク越しにヘッジが一つ咳払いをすると、それを機にざわつきがやや収まった為、彼は話を続ける。
「まーだまだ実験段階で、正直お前さんたちが目にすることになるかどうかも分からん代物だが……東京でちょっとばかり、対ナイトメアの新システムってのを研究開発している」
先程よりも更にホール中がざわついた為、ヘッジの後方からリシナが「静粛に! 静粛にお願いします!」と声を上げた。
場がある程度静まってから、ヘッジは再度口を開いた。
「で、ナイトメアの連中の襲撃場所ってのが――工場だとか、研究施設だとか、システム開発会社だとか。そういうのが狙われている傾向が結構ある。
実際そのシステムの開発阻止が狙いだとして、アチラもどこでどういうシステムやらパーツを研究開発してるのか分からないから手当たり次第なんだろうがな」
ヘッジはここで言葉を切り、ひときわ険しい表情を浮かべた。
「念の為ちゃんと言っておくが、本当に狙いがその開発阻止にあるかどうかは確信は持てない。あくまで可能性の話だ。だから、このことは民間には公表しない。開発関係者の不安を変に煽るのも癪だしな。
そうじゃなくても、東京で多くの人命が危険に晒されているのは間違いない。
この際奴さんの狙いを態々探る必要はないから、まずは街を救けてきてくれ」
そこまで言ったヘッジが後方のリシナへと目配せすると、彼女は一つ肯いてから宣った。
「ただ今から、各オペレーターにナイトメアの出没エリアを送信します。
ライセンサーの皆さんはオペレーターの情報提供のもと、速やかな状況の解決をお願いします!」
(執筆:津山佑弥)
(文責:クラウドゲート)
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