巨躯のロボットが空を駆る。
鉄腕が構える突撃銃が、異世界よりの侵略者“ナイトメア”へと向けられた。
青い空をつんざく銃声。
想像の力“イマジナリードライブ”が込められた弾丸が、邪悪な侵略者を打ち砕く――。
――というのが数時間前の出来事。
「はぁ~、疲れたーーー」
太陽が既に沈んだ空の下、一人の青年――ユーゴ・ノイエンドルフが肩を回した。そのままの動作で、清廉な制服の第二ボタンまで開けてしまう。制服に刻まれている三角形の紋章がくしゃりと揺れた。
この三角形こそ、SALF――Special Assault Licensor Force――ナイトメアに対する事件を包括的に取り扱う国際組織の証。ユーゴはその隊員である。今日も今日とて、ナイトメア退治の為に任務を請け負っていたのだ。
「……制服を着崩すな、みっともない」
そんなユーゴの隣、物申したのは銀髪の青年。ユーゴとは対照的にカッチリとSALF制服を着込んだ彼、SALF士官である鬼道流月の眼差しは鋭い。
「えー。作戦報告中はちゃんと着てたんだから、もういいだろー?」
手をヒラヒラするユーゴは、流月の言うことを聞く気はないようだ。一応、流月は立場としては上官なのだが、ユーゴの調子はいつでもこんな感じである。
それに対し流月はいっそう眉間のシワを深くすると、「そう言う問題では――」と口を開くが。
「SALF規律によると、ある程度の制服の改造は認められています」
まるで読み上げ機械のような流暢さで、二人の間にいる少女がそう言った。凛と表情の変わらない顔は、まるでAIを埋め込んだ人型ロボット“ヴァルキュリア”のようだが、彼女――水月ハルカは列記とした人間である。
「な? ほら、」
思わぬ支援に、ユーゴは得意顔で流月の顔を覗き込む。
「ハルカもそう言ってるぜ?」
「少なくともユーゴの制服着用に関しては、軍法会議に処するものではないことは確かかと」
どこまでも不真面目な部下と、どこまでも生真面目な部下にそう言葉を重ねられ。
上官は観念したかのように溜息を吐いたのだった。
そんな三人の隊員が歩くのは、SALF本部敷地内の居住区である。
巨大人工島を改修して造られたここには、隊員の為の寮や歓楽エリアまで設置されているのだ。
もう、今日の任務はない。つまり今のユーゴ達は帰り道の真っ只中、という状況だ。
「腹へったなー」
夜でもあちこちの建物に電気が灯っている景色を見渡し、ユーゴが呟く。
「疲れただの空腹だだの、我慢のできない奴だな」
「欲求に素直で何が悪いってんだよ」
流月の言葉に、ユーゴは悪びれない。そのままユーゴは「ああそうだ」と何か思い出したかのように視線を巡らせた。
「この辺りに、うまい屋台があってさぁ。ラーメン。寄って行かねえ?」
「僕はさっさと帰りたいのだが? ハルカもそう思うだろう」
即答したのはやはり流月だ。同意を求めるようにハルカへ振り返る。軍人めいている気質の少女は、視線だけでユーゴを見やった。寄り道には賛同しかねる――そんな目線を送ったものの。
――ぐう。
「……」
ハルカの唇がわずかに歪んだ。夜で暗くて分かりづらいが、そこはかとなく顔も赤いような気もする。
今の音は? なんて、乙女に問い正すのも可哀想だろう。ズバリ腹の虫なのだから。
「二対一だ。決まりだな!」
ユーゴだけは快活に笑って、二人の肩をガッシと掴んだ。
●
『我らの希望を掴み取れ!』
『SALFでは入隊者を随時募集しております。連絡先はこちら……』
対ナイトメア人型兵器“アサルトコア”――巨大ロボットを背景に、いい笑顔で彼方を指差しているSALF隊員の真新しいポスター。勇ましいフォント。
件のラーメン屋台は、そんなポスターが貼られている掲示板の傍らにあった。
「……でさ、その時、流月とハルカが支援してくれて――」
屋台のチープな椅子に座り、注文品を待つユーゴは、店の親父に今日のナイトメア討伐任務のことを饒舌に話している。親父は調理の手は休めることなく、客の話に相槌を打っている。
「時に、ハルカ」
真ん中にユーゴが座っているものだから、少し身を逸らして流月がハルカに呼びかけた。背筋を伸ばしたままの少女は、視線を上官に向ける。
「お前は、こういう――屋台というものに来たことはあるのか?」
「ありません、鬼道殿」
生真面目なハルカは、任務がない日は午後五時には帰宅を終えているような女だ。流月は姿勢を戻して溜息を吐く。上流階級の出である彼もまた、屋台というものは初めてだったのだ。ハルカが経験者なら、それとなく作法だの聞こうと思ったのだが……。
(ヘタを打つと、ユーゴの馬鹿に何を言われることか)
流月は神経質に指を組む。対照的にハルカは物静かな表情ながら興味津々といったところで、手際よくラーメンを作っていく親父の手元をジッと見ている。「なんて計算された無駄のない動き……」と称賛まで呟いている。
その間に、ユーゴの話は佳境に入ったようで。
「それで! そこを俺がババーン! ナイトメアをぶっ飛ばしたってわけだっ!!」
青年は手振りと擬音付きで臨場感たっぷりに、今日の出来事を締めくくった。「ごくろーさん」と店主がニコヤカに笑い、次いで「おまちどう」と三人の前についに注文品が並べられた。
「……!」
ハルカは、やってきたラーメンをつぶさに見つめる。アッサリ鶏ガラ醤油ラーメン、チャーシュー乗せ。濃い黄金色のスープ、敷き詰められた立派なチャーシュー。メンマ、モヤシ、ネギ、味玉子、ノリ。立ち上る湯気がそれらの香りのハーモニーを引き連れて、空腹をギュッと切なく焦らすのだ。
「これが……」
湧き上がる唾液をグッと飲み込み、ハルカは逸る手で割り箸を取った。表情筋こそあまり仕事をしていないが、その瞳は満天の星空のようにキラキラ輝いている。ラーメン、ハルカとて知識としては知っているし、食べたこともある。だが不思議だ、屋台で食べるというただそれだけで、何十倍にも特別に感じるのだから。
「……頂きます」
そう呟いて、スープから持ち上げる縮れ麺。スープをまとって金色に輝くそれを、ふうふうと冷まし――ずずっ。
「! …… !! ……!!!」
口いっぱいに頬張る、アッサリながらも奥深くて存在感のある幸せ。ハルカの肩がわなないた。分厚いチャーシューも一口。スープの染み込んだそれは、ジューシーで柔らかくて口の上でとろけるじゃないか。なんだこれは。ハルカの中のラーメンという概念が根底から突き崩される。口が、胃が、細胞が、「美味しい」――と、力の限り叫んでいた。次の一口が、止まらない。
とまあそんな光景は、店主からすれば料理人冥利に尽きるものである。気を良くした親父は、「お嬢ちゃん良い食べっぷりだねえ!」とカラアゲをサービスしてくれたのだった。
「あっ、いいなぁ」
ユーゴは野菜たっぷりのコッテリ豚骨ラーメンをすすりつつ、カラアゲを横目にそう言った。味の染み込んだ白菜をチャーシューと一緒に噛み締めつつ、それを飲み込むやセットで頼んだチャーハンをかきこむ。ちなみに餃子も頼んでいて、もう半分以上食べている。
「おっちゃん、俺にもサービスしてくれよ~~」
プッハーとチャーハンを先に完食したユーゴが、口元の米粒を指で拭いつつ、若干しなだれるような物言いで店主を見た。すると店主は笑顔でこういった。「ツケ払いな」。
「……」
ニコッと笑みを返すユーゴ。そのまま流れるように流月を見やる。猫舌の彼は運ばれてきたラーメンが冷めるのをじっと待っているようだ。ちなみに流月のラーメンはごく普通のシンプルなものである。
「……流月~」
ユーゴの視線と声に、しかし流月は無視を決め込む。
「代金の支払いを渋るのはよくない」
ここで正論を叩き付けたのは、カラアゲをはふはふしながら食べているハルカだった。「ウス……」とユーゴはうなだれると、手持ちを確認するためにポケットからサイフを取り出した。バリバリと音がしたのはマジックテープである。
「やすっぽいサイフだな……」
ともすれば中学生が持っているような。いや、今日日の中学生ですら持ってないかも。ようやっと一口目をチマチマすすり始めた流月が呟く。とたん、ユーゴがいたずらっぽい笑みを浮かべ、
「え? 流月サマが俺にブランドのオサイフを恵んでくれるって?」
「アホか!」
流月は噛みつくように返した。ついでにメンマも噛み締めた。味わい深くておいしかった。ユーゴがウザイのはさておき、ラーメンについてはまあ悪くないんじゃないか……と思う流月であった。
――遠く、呼び込みの声が聞こえる。
夜は更けゆく。ライセンサー達があちこちでワイワイ飲食しているのは、この場所では珍しい光景ではない。
ラーメン屋台の外では、ベロンベロンに酔っぱらったライセンサー二人組(アサルトコアのパイロット服のままだ!)が、「もう一軒いぐぞ~~~」と上機嫌な千鳥足で通り過ぎていく。サンドイッチマンのバイトをしているライセンサーが、懸命に声を張り上げている。アルバイターのライセンサーは世間の想像以上に世界にいる。
静かな瞬間は刹那もない。飲食店のネオンが踊り、数多の人が行き交い続ける。その情景は、どこにでもある歓楽街の様子によく似ているかもしれない。
そう、ライセンサーとて人間だ。イマジナリードライブという特別な力を持ち、ナイトメアという化け物と渡り合う超人ではあるが、彼らは確かに――どこにでもいる、人間なのだ。
人間だから、お腹が減る。
お腹が減るから、ご飯を食べる。
それはありきたりな日常のワンシーン。
「……ふう」
ハルカはスプーンを置いた。落とした視線の先にはからっぽの皿がある。たったいま食べ終わった料理の名は杏仁豆腐――ガッツリ系の後に食べる、トロンとなめらか、そしてサッパリとした味わいのコンビネーション。業務用のものではなく手作りとのことだ。甘さは控えめでくどくなく、杏仁豆腐だけで十皿は食べられそうである。
最後にデザートを食べきったのは流月だった。ユーゴは一番最初に食べ終わって、爪楊枝をくわえたまま後頭部で手を組んで、戦友達が腹を満たしていく様を上機嫌に眺めていた。
「な? うまいだろ?」
ユーゴが楽し気に笑う。
「俺、ここの杏仁豆腐をバケツサイズで食べてみたい」
「確かに……」
ハルカが頷いて同意を示す。
「自分の胃袋のサイズを把握していないのか貴様ら」
それは流石に無理だろう、と流月はジト目だ。
「いやほんと、大食いの奴とかSALFにいっぱいいるし。ライセンサー用にやってみたら? 目玉商品になるかもしれないぜ?」
爪楊枝を置いて、ユーゴが店主に言う。
「あっ……でも繁盛し過ぎたら、俺達が食べに来れなくなっちゃうな……」
提案しておきながら、大行列を思い浮かべたユーゴは「それは困る」と肩を竦めるのだった。親父はカラカラ笑っていた。
「……さて」
ややあって、プラスチックグラスに残っていた氷水の残りを一気に飲み干し、流月が立ち上がる。
「ごちそうさまでした」
高級そうな革財布を取り出した流月は、そんな言葉と共に店主へ目をやった。上官として部下どもの分も(ユーゴの分を払うのはいささか癪だったが)支払う。案の定ユーゴは「さっすが流月ちゅわわわわ~ん」と鬱陶しい反応を見せつつ上官に縋りついた。やっぱりコイツの分は払うんじゃなかった。流月は額を抑えるのだった。
まあ、さておき。ユーゴとハルカも席を立つ。そして店主へ笑みを向けて、高声を揃えるのだ。
「ごちそうさまでした」
●
「はー、おいしかったー! やっぱラーメンって最高だな」
屋台から出て、夜の居住区内を三人は歩く。店が並ぶ区画を抜けて、寮がそびえる場所に出れば、先ほどのような華やかな賑やかさは遠のいた。疎らな街灯が夜を照らしている。
「うむ……」
ホクホク顔のハルカが頷く。弾むような気分のまま顔を上げれば月が見えた。ついでに、寮の誰ぞのベランダに、干しっぱなしの洗濯物も見える。そういえばあれ、昨日も干しっぱなしだったような……とハルカは思いつつ、視線を下ろした。
ライセンサーの仕事は昼夜を問わず、多忙の者はとことん多忙だ。あのように家事がおろそかになってしまう者も珍しくはない。まあ、単にあの部屋の住人がズボラなだけかもしれないけれど。
そんなことを考えると、明日も任務があることをハルカは改めて思い返す。戦友達を見やった。明日も、彼らと戦場を駆ける。
(ユーゴは、少し不真面目なところもあるけれど)
ここぞという時は必ず決めてくれる、好機を必ずものにする、そんな絶対的な頼もしさがある。
(鬼道殿は、いささか神経質で心配性だけれども)
その冷静な判断と、現実を見極める観察眼は、指揮下にて安心感を与えてくれる。
「ハルカ!」
と、そんな時。振り返るユーゴが、いつものような天真爛漫な笑みを浮かべて。
「焼き鳥屋の屋台がこの近くにあるんだけどさ、寄ってく?」
ピッと親指で向こう側を指差す。その方向からは、なんとも食欲を刺激する香りが漂ってくる――。
「……悪くない」
ハルカが答える。「おい」とすぐに声を挟んだのは流月だ。
「まさか、まだ食べるのか貴様ら」
「いいじゃんいいじゃん? 流月も行こうぜ!」
「もうこんな時間だぞ、明日も任務が――」
「腹が減ってはなんとやらだ! 俺についてこーい!! ハルカも行くぞ! 全速前進ッ!!」
――賑やかな声が、夜に弾む……。
『了』
(執筆:ガンマ)