●尽力してきた理由
北米インソムニア『ミラーキャッスル』突入から数時間。
ジョゼ社では時差の関係ですでに終業時刻を過ぎ、ほとんどの従業員が家や店で一杯ひっかけている。
だがペドロは社長室で一人、腕を組んで座っていた。
目を閉じ、身じろぎ一つせず、じっと待っていた。その顔にはいつもの軽薄そうな雰囲気はない。
やがて待ちわびていた電話が鳴り、しかし男は手に取ることを躊躇った。
5回目のコールで手を伸ばし、ミラーキャッスル攻略作戦が成功に終わったことを知った。
「……ああ。わかっているよ。ライセンサーの皆をよく労ってやってほしい。話はそれからだ」
電話を切り、一息つく。それから気持ちを整え、ペドロは各所に通達した。
北米インソムニアの攻略はジョゼ社にとっても他人事ではない。
メガコーポとしては当然の貢献とはいえ、ペドロは私財をつぎ込んでまで北米の奪還にこだわったのだ。
その為に尽力してくれた社員たちには、こんな時くらい思う存分飲み食いしてほしかった。
『そうですか! 作戦成功、おめでとうございます!』
「ありがとう。と言っても、僕らのしたことは大したことじゃない。真に称賛を得るべきはライセンサーだけどね」
『ですね。それでも喜ばしいことです。社長も飲みにきませんか? いつもの店でやってますんで!』
「それはいいね。でも申し訳ない。これから家族の用事があるんだ」
『そうでしたか。奥様にもよろしくお伝えください』
電話を切り、ペドロは背筋を伸ばす。
普段と違ってテキパキと仕事の処理と指示を残すと、彼は一人で街を出た。
ペドロ・オリヴェイラが家族を失ったのは数年前のことだ。
環境活動家であった娘が南米のアマゾンでナイトメアにより殺害された。死体も残らなかったため、墓には何も納められていない。
そして娘を失ったショックからか、身体を壊した妻は後を追うように病死してしまった。
『私のこと、社員の皆さんには言わないでね』
ジョゼ社の興りは小さなパーツ製造企業から。
社員は皆家族のようなものであり、マリアも代表の妻として様々な手伝いをしていた。
そんな彼女らがナイトメアの手で奪われたことを知ったら、社員たちはどう思うだろうか。
『戦争だもの、命は失われるわ。でもそれにばかり固執していたら、誰も前に進めなくなってしまう。ねぇ、あなた……あなたは変わらないでね。いつもにこにこしていて、みんなを笑顔にしてくれる……素敵なあなたのままでいてね』
難しいお願いだった。
ペドロは一時従軍もした男だ。戦争の現実については理解している。
それでも最愛の女を失う痛みは、理屈で取り繕えるほどぬるくはない。
『ああ……わかったよ。愛する君の願いだもの』
『約束よ。そして戦争が終わったら……きっと、幸せになって』
残念ながらその願いは永遠に叶わない。
ペドロにとっての幸せは、もうこの世界のどこにも存在しないのだから。
北米インソムニア「ミラーキャッスル」が攻略された後も、すぐには平和は訪れない。
残留したナイトメアとの闘いは以前として続いている。だがその上で、ペドロはある場所を訪れていた。
バフィン島シミクの北部、アークティックベイ。彼が取り戻したかった地だ。
もちろん、戦略的な意味などない。個人的なわがままと言っていい。
ペドロは岬に立ち、妻の写真を取り出す。
「随分待たせてしまったね。でも、ほら……ついに取り戻したよ」
ここはペドロが妻に永遠の愛を誓った場所だ。
幸せだった過去の記憶があふれ出し、ペドロはゆっくりと瞼を閉じる。
「この岬でまた君に愛を誓うよ。これから毎年、この命が尽きるまで何度でも」
よくある話だ。この時代、多くの人々が同じような痛みを抱えて生きている。
ならばせめて、もうこれ以上誰も苦しまない世の中になるよう努力しよう。
そしてどんな時でも笑顔でいよう。惚れた女の最後の願いを、叶え続けるために。
●逃げた先
「ま、そりゃそーなるわな。ご自慢のフィールドに欠陥があったし、欠陥がなくとも攻め込まれた時点でもうおせーんだ」
古い木造の日本家屋の室内。ミラーキャッスルの顛末を知ったメイジーが吐き捨てた。
「当然っちゃー当然か。ナイトメアを現地に大量輸送できるおめーの便利能力に利用価値があるから、協力してやってたんだ。ハオヘア? ハオアヘ? だったかもそうだったんだろうぜ。少なくともカリスマとやらに集まったわけじゃねえ。もちろん美貌ってやつにも
な――おっと、ウサギのやろーは美貌様に惹かれたんだっけな」
ケケッと、鼻で笑う。
「まったくババアといいウサギといい、ちょっと人類舐めすぎなんだよな。能力をもっとふんだんに活かせば一方的に蹂躙できたっつーのによ、脳筋すぎんだよ。最初から脳筋能力ならともかく」
そう言って部屋の隅に目を向けると、ベッドの上には両手と首に包帯が巻かれた黒髪の美女が横たわっている。
バレットは腕にぶら下げたカゴからリンゴを一つ取り出すと、ひとかじり。
「で、これからどうするんだ?」
ベッドに横たわっているのはかつて南米インソムニア「Witch's Pot」に君臨したエルゴマンサーのミザリィだ。
彼女は先の戦いで致命傷を負ったところを救われた。だが受けたダメージは大きく、専用の高度治療を受けない限り回復の見込みはない。
満足に動き回ることも出来ず、ほとんど寝たきりとなっていた。
<ミザリィ>
「どうするもこうするもないわ。私の治療はインソムニアでなければ不可能で、既にこの星にインソムニアはない。死ぬのを待つだけね」
退屈そうにつぶやく。実際、死よりも退屈は苦痛だった。
ミザリィの興味関心は強さにあった。育て上げた思いが強さとなって我が身に降り注ぎ、それをも食らい尽くして更なる進化を遂げる。それが彼女の基本方針だ。
この身体ではそのいずれも達成できそうにない。
子供たちの面倒を見ることはもうできないし、敵の強さを感じるだけの余力も、ましてや返り討ちにする強さも……ミザリィには何もない。
「だな。さて、これまでのよしみで面倒見てきたが、いよいよドン詰まりだ。援軍が見込めない以上、ナイトメアの敗北は間違いないだろうぜ。か弱いメイジーちゃんは逃走しま~す」
「逃げるって……どこへ?」
「さぁ? めんどくせーこと極まりねーが、自殺や投降ってのも趣味じゃねーし……死ぬまでは生き続けるさ。人間襲わず大人しくしてりゃ、まだ潜伏できる場所はあるだろうぜ」
その先のことなど考えられない。
そもそもナイトメアとは長期的な思考をしない生物だ。
勝利を疑わず、進化を疑わず、己を疑わない。上位存在からの命令に従う存在である彼らにとって、戦争の終結という自由を持て余すのは当然のことだ。
「まー、ムカつくやつらの命令を受けなくていいってのは、意外と悪くない気分だよな。これが自由ってやつなのかね?」
「フフ……かもしれないわね」
「さすがにおめーを背負って歩く余裕はないんで置いてくけど……介錯してやろうか?」
ミザリィは逡巡し、それから首を横に振る。
「意外だな。生きることに執着するタイプとは思わなかったぜ」
「執着なんてないわ。でも……ね。自分はこれでいいんじゃないかって、そう思ったのよ」
勝てなかった時点で、この身に価値はない。失敗したら死ぬしかない。それがナイトメアという種のさだめ。
この身はただ滅ぶのを待つだけ。ならばこの身をどのように終わらせるのか、それくらいしか自由はない。
「想像するのよ。いつか人間がこの部屋の扉を開いて私を見つけ出す。その時私を見つけるのが、あの子たちだったらいいなってね」
「……ふーん。想像ねぇ……。そうか。変わってるな」
「お互いにね。一応、お礼は言っておこうかしら?」
「要らん。ンなもん、腹の足しにもなりゃしねぇ」
別れの言葉もなくメイジーは去り、静かな部屋にミザリィだけが取り残された。
この隠れ家もいつかは人間に見つかり、そして自分はエルゴマンサーとして処分されるだろう。それはきっと遠い未来ではない。
「戦えなくなった今になって、こんな気持ちになるなんてね。まったく……不思議」
弱いということはなんと心細く。なんと情けない気持ちなのだろう。
生きられるなら、未来を得られるなら……それがどれだけ大きな希望だったのだろう。
不自由であることがこんなにも心を自由にして、死にも等しい退屈がこんなにも未来を思わせる。
他人の気持ちをおもんばかることなどナイトメアにできるはずもない。だからこれは独りよがりの妄想にすぎない。
「ああ……こんなことならば……もっと……」
瞼を閉じ、静寂に身を任せる。
何の音も聞こえない世界には、なぜか懐かしい子供たちの声が響く気がした。
(文責:WTRPG・OMC運営チーム)