●緑のサハラ
「よく来てくれた、グレイ伯爵」
「お初にお目にかかります」
ニジェールインソムニア「フォガラ」を統べる指揮官に、グレイ伯爵は頭を下げる。
「前々からの技術供与により、西アフリカの戦力は確実に向上した。今後も研究に励み、我らに力を貸して欲しい」
指揮官は、豪奢な衣装の幼女であった。
名はトゥタッティーオ。
ふわりとしたソファに身を預ける姿勢はいかにも尊大。
「今はまだ、敗戦の傷も癒えておるまい。まずはよく休むがよい」
しかし敗軍の将にかける言葉は思いの外丁重。
それでいて、浮かべる表情には全体に物憂げなものがあった。
それらのアンバランスさにグレイ伯爵は気づかない。バラバラな個性持つ知性体たちを捕食することで発達していくエルゴマンサーの情操には、彼自身も含めていびつなものがある。よしんば気づいたとしても、その一例と済ませただろう。
ゆえに、言葉の意味だけを愚直に受け取る。
「ありがとうございます」
グレイ伯爵は礼をする。虚礼に終わらぬ尊敬の念が込められている。新たに世話になる主は、悪い相手ではなさそうだ。
「珍しいか?」
外を興味深げに眺めていたグレイ伯爵にトゥタッティーオは訊ねると、外へ連れ出した。
「はい。カイロとはずいぶん趣が違います」
サハラという語自体が「砂漠」を意味する。なのに今や、この世界一広大な――アメリカ合衆国にも等しい面積を持つ――砂漠は、その多くを緑豊かな田園地帯に変えていた。
陽射しは強いが、さわやかな風が吹き、適度に雲が浮かんでいる。
「砂漠は人間が暮らすに不向きな土地なのでな。フォガラの力を用いて環境を変えた」
軽く言うものの、いかなインソムニアとはいえ、どれほどの力を注ぎ込めばこれほどの環境改変が叶うのか。
「ずいぶんと人間を大切になさるようですが、テルミナスの影響ですか?」
「あァん?」
物憂げな顔を崩さぬ幼女は、一瞬、情の機微にまだ疎いグレイ伯爵すらも耳を疑う声を発して目を疑う表情を見せた。
「あの阿呆のことは二度と口に……いや、あの阿呆を阿呆扱いする発言ならいくらしてもよい。しかし、我とアレを混同するような発言は二度とするでない」
「かしこまりました。トゥタッティーオ様とテルミナスは古い知己と伺っておりましたので、思い込みがあったようです」
「あ奴が人間を自称し出すより、よほど前からの付き合いよ」
表情を戻すと話し続ける。
「本来、このインソムニアはあ奴が指揮を執るはずであった。それが人間の名を名乗り自分は人間だと言い出して、おかしな組織を立ち上げ……残されたこちらはいい迷惑だ」
そこへ、とてとてと歩み寄ってきた者がいる。
「トゥタッティーオさまー」
「おお、アンジェリーナ」
十二歳くらいか、小柄な少女がさらに小さなトゥタッティーオに無邪気に抱き着き、抱き上げた。
その背後から、顔立ちのよく似た年上の少女が続く。姉妹だろう。
「アンジェリーナ、失礼でしょう」
「構わぬぞ、マリア。アンジェリーナ、先日のレポートは見事な出来栄えであった。あの時攻め込んできた者たちについては我もしかと覚えたぞ」
妹を叱った姉へ、抱き上げられたトゥタッティーオは鷹揚に言う。と、マリアと呼ばれた姉はグレイ伯爵に向き直った。
「グレイ伯爵ですね。トゥタッティーオ様の傍仕えをさせていただいております、マリア・キディアバと申します」
「……貴様ら、人間か?」
「はい……」
伯爵の声が険を帯びた。そこへトゥタッティーオが声を挟む。
「なかなか優秀で気も利く。あの阿呆なテルミナスに心酔していたカルディエよりよほど良い」
そして付け加えた。
「インソムニアにまで入れてはおらぬ」
次いで、警戒心もなさげにトゥタッティーオを抱きしめているアンジェリーナに言う。
「集まりがある。うぬらはリディア・ドレイクと遊んでおれ」
「はーい」
遠くに現れた赤髪の少女の元にアンジェリーナが向かい、その後ろをマリアが続く。
「エーゲ海にいた赤竜ですか」
「あやつはテルミナスに似たところがあるが、性格的にはあのアンポンタンよりはるかにマシだな」
しばし沈黙が流れ。
「お伺いしたいのですが」
伯爵が、ややためらいがちに口を開いた。
「トゥタッティーオ様にとって、人間とはどのような存在ですか?」
「餌以外の何がある?」
即座に、トゥタッティーオは不思議そうに訊ね返した。
「餌の中に、愛玩する価値のある者も時にいる。気が済んだら喰らうし、繁殖向きとわかれば大切に育てる。特に矛盾はあるまい?」
●人の姉妹と赤い竜
人生というものはよくわからない。
リディア・ドレイクはそっとため息を吐く。
エーゲ海で赤竜のナイトメアに喰われ、その赤竜の身体で意識が目覚め、ライセンサーたちと接触し……アフリカへ流れた今は、ニジェールインソムニアで暮らし、こうして現地住民の女の子と過ごしている。
インソムニアをちらと見た。今日は西アフリカの各地からエルゴマンサーが招集されている。各地から落ち延びてきた者も混じり、今後の西アフリカ支配についてトゥタッティーオから話があるのだろう。リディアは役付きでもないからと除外されているが。
「よそ見しないで」
アンジェリーナ・キディアバに、裾を引かれた。この少女は、ナイトメアに対してまったく物おじしない。
「すみません」
頭を下げるが、アンジェリーナはすでにこちらを無視して端末で何かを読んでいた。自由すぎる。
「何を読んでいるのですか?」
「グスコーブドリという青年のお話を読み返しているわ。わたしの一番好きなお話なの」
「はあ」
他愛ないやり取りをしている二人を、マリア・キディアバが愉快そうに眺めていた。この姉は、病弱な妹を深く愛している。
「ねえ」
「何ですか?」
アンジェリーナはリディア・ドレイクをまっすぐ見つめて言った。
「わたし、トゥタッティーオ様かあなたになら、食べられてもいいわ」
●トゥタッティーオの方針
「我々は、元をただせば一介の寄生虫である」
気だるげに、トゥタッティーオが口を開く。それはいつものことであると、ディミトリアは理解している。
「それが何の間違いでか、喰らった相手の能力や知識を手に入れ、強くなっていった」
話しかけている相手は、ニジェールインソムニア「フォガラ」所属、普段は西アフリカ各地に配置され、支城運営の任に就いているエルゴマンサーたちである。そこにさらに、グレイ伯爵ら、カイロインソムニアの陥落によって落ち延びてきた者たちも混じっている。あるいはさらに遠くのインソムニアからはるばる逃げてきた者も。
「しかし忘れるな、我らは大したものなど産み出せぬ寄生虫である」
このようにエルゴマンサーを大規模に招集するのは異例。
だが彼女の主張自体は、前々から何ら変わらぬものであった。
「弱者に傲りなど不要。生き延びるために使えるものは何でも使え。手が足りなければ人間でも使えばいい」
ディミトリアら元からの部下たちは、当然のことと肯いている。しかし他から来た者たちは落ち着かなさそうにしている。
「カイロなどとこちらとでは、いささか考え方が異なるかもしれぬ。我は、敵としての人類を侮ってはおらぬ」
ディミトリアは、グレイ伯爵らに目をやる。
グレイ伯爵は神妙に話を聞いている。しかしその周囲の者の中には、納得のいかなそうな顔をしている者もいた。
「この地には、阿呆のテルミナスが組織した人類救済政府の構成員も多数おる。力はないが知恵は働く便利な手駒よ。存分に使え」
カイロインソムニアの陥落は、外的な軍事バランスを大きく乱した。
また、それと同時に、ニジェールインソムニアは内側に多くの新たな要因も抱え込むこととなった。
単純に考えれば戦力の増強ではあるが、果たして彼らは西アフリカの――トゥタッティーオの流儀にどれほど順応することか。
ディミトリアはかすかな不安を感じた。
●戦略の変更
「余勢を駆って一気呵成にアフリカ西部も攻め落としたいところではあるが……」
カイロに設けたSALFの臨時支部で、水月ハルカ(
lz0004)たちライセンサーは今後の方針を検討する。
ハルカらはモーリタニアのハヌーン・ラァーンを威力偵察してきたが、アフリカ東部と同じ感覚で手を出すと火傷しそうであった。
「強さ自体はともかく、援軍が次から次へと現れて……しんどかったわ」
ジュリア・ガッティ(
la0883)は悪夢のような光景を思い出す。
「でも、ただの烏合の衆に、今の私たちならそうそう引けは取らないはずです」
水無瀬 奏(
la0244)は言う。自惚れではなく、確かな自負として。
「私たちはオペレーターの子に会いました。現地住民の女の子です。……支城のコアを放棄してこちらを誘い込み、できる限りのダメージを与えにかかるなんて、普通のナイトメアならできない判断ですよね」
あの子はにこやかに笑いながらも、その感情はこちらに好意的とは言い難かった。
「支城一つ一つにオペレーターが配置されていて、戦力の適切な分配と現場での的確な運用をされるとしたら……厄介極まりないでしょうね」
あのオペレーターの少女――アンジェリーナ・キディアバのことを思い出しながら、ジュリアは評した。
彼女がシャバニ・キディアバの親類であることとか、ライセンサーを喰ってその姿と言動を再現しているエルゴマンサーのリディア・ドレイクもいたこととか、あの偵察で印象に残った出来事は色々あったが、西アフリカの防衛思想を探る場で出す話でもない。
「また、カイロの陥落により、決して少なくないナイトメアが西アフリカ方面へ逃れていった。戦力はかなり増強されていると考えられるだろう」
「グレイ伯爵も逃げ延びたしな」
かのエルゴマンサーと長らく戦い続けているアウィン・ノルデン(
la3388)が、苦々しげに言った。最近の戦いを経て、ライセンサーたちばかりでなく伯爵の側も成長しつつあるのを感じた。再戦の際にはどうなることか。
「諸々考え併せると、警戒網の不備を突いて突破し拠点を設けて確保していくというカイロ攻略の際の速攻的な戦法は、どうも今回は使えそうにない」
ハルカがまとめる。
「もちろん、最終的にはインソムニアを落とさねばどうにもならない。しかしその前段階として、各方向から包囲網を着実に狭めていく戦い方が必要になりそうだ」
「地道な積み上げが要求されそうだね」
アイザック・ケイン(
lz0007)は微笑みの中に、強い決意を滲ませた。
カイロインソムニアは落とした。人類は再びアフリカに手をかけている。しかし油断できない。この手を二度と離さないためにも、慎重に動くべきだろう。
「……アズランから、その参考になるかもしれない情報を提供させてもらいたい」
アイシャ・サイード(
lz0130)が手を挙げた。
「ここへ来て、何者かからアズランへ通信があった。一方方向の通信なのだが、西アフリカ各地についての有益かもしれない情報がかなりの量送られてきている。カイロ出身のエルゴマンサーにより住民との軋轢が生じている村、長年の密告奨励により住民が疲弊しきっている村、ジャングルに潜み独自に活動を続けてきたというゲリラ組織の噂……有効活用できれば、食い入っていく手助けになると思われる」
「信用できるのか?」
「もちろん罠という可能性も大いにあるだろう。しかしそれならそれで、罠を踏み破る……そんなやり方も、今のSALFなら可能ではないだろうか」
ハルカの懸念にアイシャは応じた。
「『折れぬ牙』というこの密告者がもし本物なら、その思いに応えたい」
●偽りの楽園
西アフリカの各地で、今日も人は泣く。
*
「ほれ、手を離せ」
村の若者に叱られようと、少年は母親の手を離せずにいた。
「まだ、七日です」
高熱に陥り、少年の母は七日目を迎えていた。今も昏睡状態にある。
そして村には掟がある。
十日間、床を離れられないほど重い病に罹った者は、「処分」される。
けれど、この三日である程度持ち直せれば、あるいは……
「だからさっきも言ったろ? よそからお越しになったナイトメア様が多くいらっしゃってな。いつもより多めに食事が必要なんだとよ」
「そんな、勝手な……」
「バカ。他の奴の前でそんなこと言うんじゃないぞ」
少年の頭を、若者は軽く小突いた。
家から母が連れ出されていく。
自分もかつて、村の老人や事故で重傷を負った者が「処分」されるのを送り出した身ではある。それでも、親がもうすぐ喰われると思うと耐えがたいものがあった。
膝から力が抜け、へたり込む。
ほんの七日前まで貧しいながらも自分を温かく見守ってくれていた母が、もうすぐこの世から消える。
「これが現実なんだよ、おとなしく受け入れろ」
若者に言われても、そんな気持ちにはなれなかった。
*
「父さん! 母さん! 私たち何も悪いことしてないのに!」
村の治安維持は担当しているエルゴマンサーに一任されている。住民代表と人類救済政府の者たちによる評議会を設けて行政や司法を担うなどという村もあるが、熱帯雨林にほど近いこの村のエルゴマンサーの統治手法は極めてシンプル。管理者にすべてを委ね、罪人は死刑。
そして今、新たな刑が執行されつつあった。
いきなり引っ立てられてナイトメアに喰われる両親を見て、両腕を縛られながらも泣きじゃくる少女に、近所の男が話しかける。半年ほど前に少女に言い寄って拒まれたことのある男だ。支城のオペレーターなどを長く務め、ナイトメアの覚えがめでたい。
「お前のせいだぜ」
そう言う男は、人の死を目の当たりにしながらにやにやと笑みを浮かべていた。
「え?」
「おとなしく俺の第四夫人になってればよかったのによ」
その一言で、少女はすべてを理解できた。
この村の管理者は、昨日病死したという。理非をわきまえた人で、歳は取っていたがまだ元気そうな人だったのに。
そして今日、エルゴマンサーはこの男を新たな管理者に任命すると通達し……
「そんな、いくら何でもそこまで……そんなの許さない!」
「どうやってだ? ナイトメアのために良く尽くしている管理者の俺と、これから殺される罪人のお前。もう勝負はついているんだよ」
村人たちは二人の会話を聞いている。しかし少女に肩入れする者など一人もいない。男の第一~第三夫人は、少女を見てくすくすと嘲る。
男は少女を見下し、唇を歪めて笑う。死にかけている虫の足や羽をもぐ幼児のような嗜虐心が見て取れた。
「ざまぁみろ」
愉快そうに笑う男に、少女はがむしゃらにタックルする。倒れて頭を打った男が一瞬気を失った隙に、捕えようとする者たちの手を逃れ、ジャングルを目指して走っていった。
彼女がどれほど生き長らえるかは、誰も知らない。
(執筆:
茶務夏)
(文責:WTRPG・OMC運営チーム)