「ち ち ち 遅刻だ遅刻だ遅刻だ遅刻だ遅刻だーーーーー!!!」
某日朝、SALFライセンサー女子寮――ひっくり返った声が響いた。
続けてドッタンバッタン駆け回る音と、バンッ! と寮のドアが勢いよく開かれる音。
「もおおおおお! 私のばかばかばかばかばかぁああーーーーーー!!!」
セーラー服のリボンを締めつつ、食パンをくわえ、涙目のまま寮の階段をダッシュで駆け降りる者の名前は三保 カンナ――女子高生とライセンサー、二つの称号を持つ少女である。
さて、お察しの通り彼女は寝坊をしでかして、登校時間がマッハである。
一応、寝坊してしまった理由はある。昨日の夜、ライセンサー任務から帰宅して、ヘトヘトのまま宿題をしようと机に向かって……そのまま机に突っ伏した状態で寝落ちてしまったのだ。
宿題を早めに済ませておけば――目覚まし時計をセットしておけば――あんまり夜遅くになるような任務を受けなければ――後悔はよぎる、よぎりまくる。
だがしかし全てはとうに後の祭り! 今カンナにできることといえば、先生への謝罪の言葉を考えながら、全力で走るのみである。
(今からならっ、ギリギリ電車には間に合ってなんとかなる、かも――!)
ライセンサーの身体能力は、一般人と比較すればずば抜けて高い。それはナイトメアとの戦闘で大いに発揮され、そして……遅刻した時も大いに発揮される。
カンナは朝の町を全力で駆け抜けながら、スマホで時間を確認し――た瞬間、画面が真っ暗になる。そう、寝落ちしたせいで充電をしそびれていて、バッテリー切れになってしまったのだ!
「嘘でしょおーーー!?」
朝からどれだけツイてないんだ、カンナはスマホを持つ手を震えさせた。
そして、歩きスマホならぬ全力ダッシュスマホをしたせいの前方不注意、曲がり角を通り過ぎようとした瞬間――
どんっ。
「きゃあっ!?」
誰かとぶつかって、カンナはしりもちをついてしまった。
食パンをくわえたまま、カンナは慌ててぶつかった相手を見やった。登校中に曲がり角で誰かとぶつかるなんて、まるで少女漫画のような展開だなぁとちょっぴりロマンスを感じつつ。
が。
「ありゃあ、食パンくわえた女子高生とぶつかるなんて、今時あるもんだねぇ」
そこにいたのは少女漫画に出てくるようなイケメン――ではなく、くたびれたオッサンだった。ボサボサの髪に、無精髭に、ラーメンの汁が飛んだクッタクタの白衣。だがその男の顔と名前を知らぬライセンサーはおそらくこの世にいないだろう。
――適合能力を持つ人間“ライセンサー”の想像力を外部に具現化する技術、イマジナリードライブ。
――イマジナリードライブを対ナイトメア用技術として応用した装置および兵器、エクシス(EXIS)。
その研究開発の第一人者。及び、傑作機と謳われるアサルトコア『FF-01』の主要設計をはじめ、ここ数十年の技術発展に大きな貢献をした、文字通り人類の未来を切り拓いた『偉人』。
その名を――シヴァレース・ヘッジ博士。
「はわわわわーーー!!?」
カンナは目玉が飛び出るかと思った。もし今が遅刻中という緊急事態でなければ、握手とサインをお願いしていたに違いない。それほどの有名人、それほどの重要人物だ、このシヴァレース・ヘッジ博士という男は!
「お嬢ちゃんダイジョブ? ケガしてない? 立てる? ほら」
驚くカンナとは対照的に、シヴァレース博士はへらりと笑い、手を差し出した。カンナは呆気にとられたまま、彼の手を取って立ち上がる。すると博士は何かピンときたようで、いっそう笑みを深めてこう続けた。
「お嬢ちゃんも遅刻かい?」
「えっ!? あっ、その、まあ……はい、ッあ、私その急がないとッ――」
「まあまあまあ、おっちゃんもさーー今日は会議でさーー昨日からずっと会議めんどくさいな~~って思って遅くまでパチやって酒飲んでしてたら普通に寝過ごしたんだよねこれが」
「へっ?」
「よっしゃ! もう今日はおっちゃんとバックレちゃおか! どっか遊びにいかない? 水族館とかシャレオツなカッフェとか! おっちゃんと青春しよ!」
「会議には出て下さいシヴァレース博士!」
そして女子高生を普通にナンパしないで下さい! ……とは心の中でだけ付け加えて、そして自分も遅刻した身である上は寝坊のことには言及せず、カンナは走り出すのだった。取り残された歴史的偉人は「ちえーフラれちゃった、ショックだし会議サボろ」と唇を尖らせるのであった。
(シヴァレース博士があんな人だったなんてッ!?)
一方、カンナは走り続ける。博士については、割とフリーダムなのは噂には聞いていたけれども。食べ進めていた食パンの残りを一気に口に頬張り、セーラー服をひるがえし、カンナは先を急ぐ。
(うう、寝違えた首が痛いっ……!)
しかし、だ。机で突っ伏して爆睡という状況、体のあちこちが痛いし、昨日の任務の疲労も取れ切っていない。ぶっちゃけ眠い。あくびが出そうなのをギリギリ噛み殺し――
がんっ。
「ぎゃーっ!」
カンナは疲れからか黒塗りの高級車に追突してしまう。
「いぃ゛った~~~い! あっ、その、ごめんなさい私は大丈夫ですので――」
ライセンサーと言えど、(あまり速度は出てなかったとはいえ)車とぶつかればもちろん痛い。が、幸いちょっと打った程度で済んだので、カンナはそそくさっとその場から去ろうとする。あの車、見るからにヤバイ。なんか変なイチャモン付けられたらマジでヤバイ。
「おい……」
しかしカンナの希望を打ち砕かんばかりに、フィルムが貼られた車の窓がゆっくりと開いた――声の主は眼帯を着けた強面の軍人。
「ヒエッ」
カンナは心臓が止まるかと思った。その軍人、ライセンサーをやっているのならば、顔と名前ぐらいは知っているだろう。
SALF北方軍総統括指揮官ハシモフ・ロンヌス准将――徹底的な実力主義、剛毅な軍人として名を馳せる将軍。つまり一兵卒ライセンサーのカンナからすれば、超上官も超上官、スーパーウルトラレジェンダリーなお偉いさんである。
「ヒエエエエエエごめんなさいごめんなさいゆるしてくださいなんでもしますから!!!」
ハシモフ准将は良くも悪くも軍人気質と聞いている。「上官の車に傷をつけたな!? 軍法会議モノだ!!」と怒鳴られる未来がありありと見えては、カンナは震えながら頭を下げる。すると准将は低く喉で笑った。まるで絶対零度の氷河が軋むような音だとカンナは思った。
「くっくっ……会議があるというのに渋滞に捕まって、更には小娘をはね飛ばしてしまうとはなァ。朝から愉快なこともあるもんだ。おい、そこの小娘!」
「はひっ!?」
「今……なんでもすると言ったな?」
「はひいいいいいい」
冷や汗をダラダラ流しつつ、カンナは土下座でも焼き土下座でもシベリア送りでも承諾する覚悟を決めていた。
「では――」
ハシモフ准将の凍てついた声が告げる。
「――我々が君をはねたことについては黙っているように。こっちも小娘をはねたことで、他所の派閥に揚げ足をとられるのも面倒だからな!!」
ガハハハハ。ハシモフ准将は豪快に笑った。それから「お前も遅刻か? まあ、お互い頑張ろうや」と手をヒラリ、運転手の部下に目線を送る。すると車は窓を閉めながら走り始めた。窓が閉まるまで、准将の「ガッハッハッハッハ」という笑い声が聞こえていた……。
「タスカッタ……」
取り残されたカンナは放心状態でへたりこんだ。
「……ていうか時間! 遅刻!」
ここでハッと我に返る。そう、自分には登校という重大な使命が! スカートを払って急いで立ち上がる。鞄を担ぎ直す……そういえばこの鞄、妙に軽くない?
「っていうか弁当忘れてる!? あ!! 定期券もサイフも家だ!? ああーーーーー!!」
折角、昨日の任務の帰りに「明日のお弁当用~♪」とあれこれ買っておいたのに。いや、百歩譲ってお弁当がないのはまだ、ギリギリ致命傷ではないが、定期券もサイフもないのはクリティカルに致命傷だ。
まずい。どうする? 今から定期券とサイフを取りに寮に引き返す? というか電車に乗れない以上それしかなくない!? 学校まで走る……のも流石に無理じゃない!? 遅刻……これ以上……!?
「どうしよおおおおお~~~……!!」
頭を抱えるカンナ。
と、そんな時だった――ちりんちりん。自転車のベルが、カンナの隣で鳴る。
「はぇ……?」
涙目のカンナが顔を上げれば、そこに自転車に乗ったセーラー服の少女がいた。カンナの学校の制服とは違うようだ。
「あーやっぱりそーだ、お嬢ちゃんライセンサーっしょ。暇潰しに漁ってたSALFデータベースで見たことあるっすわ」
自転車の少女がニッと笑った。「えっ?」とカンナが目を丸くすると、少女は凛とした美貌に反してフランクな物言いで続けた。
「あたし、鈴木ぷりん。SALFライセンサーにして頼れる美少女アンドロイド! 困ってる女の子を放置することは、あたしのAIに反しちゃうんでー」
アンドロイド――すなわち自律し意志を持ち行動する人工知能、ヴァルキュリアだ。ライセンサーということは、ヴァルキュリアの中でもイマジナリードライブを扱える稀有な存在なのだろう。
そんな『希少種』――ぷりんは、自転車の荷台をポンと手で叩いて、こう言った。
「――乗れよ」
しかも物凄いイケボで。
とかく、今のカンナにしてみれば渡りに船、地獄で見つけた蜘蛛の糸。
「いいんですかっ……!?」
「いーっていーって。黒塗りの高級車にかっ飛ばされてた辺りから見てたから状況は把握してるっす。そんでその制服は~、南区の高校の制服だ。でしょ?」
「は、はい! そうです! ……って、ていうか、アレ見てたんですか……」
「うん、この先どうなっちゃうの~!? って固唾を飲んでたよね! まあ飲み込む息もツバもないんすけどワハハ――あ、これヴァルキュリアジョークね、笑うとこ笑うとこ」
ヴァルキュリアを自称するが、ともすればぷりんは人よりも鮮やかに微笑んで。不思議なコだなぁ、とカンナは思いつつも――そしてその朗らかさにちょっと落ち着きを取り戻しつつ――言葉に甘えて荷台に座らせて貰った。
「鉄脚ぷりんちゃんは十万馬力もメじゃねえっすよ、さあーしっかり掴まってて!」
力強く言い放ち、ぷりんは自転車を勢いよく漕ぎ始めた。町の景色が爽快に流れていく――寮から走りっぱなしで、カンナは随分と暑さを感じていたのだ。頬を撫でる風に汗が乾いていって、涼しくって、心地いい。この調子なら間に合うかもしれない。
「あっはっは、ニケツなんて青春っすなぁ」
坂道もスイスイ漕ぎつつ、ぷりんは楽しそうだ。やがて坂を上り切れば、ビューッと下り坂である。
「これが遅刻って状況じゃなかったら、もっと良かったんですけどっ!」
吹き抜ける風に声がかき消されないよう、カンナは声を張る。「そっすなぁ!」とぷりんは笑っていた。
「そういえば、あなたも学校?」
ヴァルキュリアが人工知能の進化・発展の為に、人と同じように学校に通う話も聞いたことがある。ぷりんのセーラー服についてカンナが問うと、ぷりんは「いーや?」と答えて続けた。
「このJK服は博士の趣味っすねー」
「は、博士の趣味……?」
「うん、そう、あたしの製作者“パパ”。シヴァレース博士」
「ええ!? あなたシヴァレース博士の!?」
「はっはっは」
ぷりんは得意気だ。と、「そうそうあのさ」と自転車の前カゴの小さな包みを指差して。
「これね、お弁当。パパが今日は会議だっつーから早起きして作ったんすけど、あのアホ寝坊した挙句に忘れていきやがったんでね、届けに行く最中だったんすよ」
「あ~……」
さっきの博士との邂逅を思い出すカンナ。するとぷりんが、
「このお弁当、アンタにあげるっす」
「え!? でも、」
「いーんだっていーんだって、折角だから可愛いJKに食べて欲しいし? それに~、パパのことだから弁当食っても弁当箱ださずに一週間放置とかガチでやりくさるんで」
「あー……うん、お弁当箱、洗うの大変だもんね……」
「わっかる~。ちょーっとでも放置されたらマジこの世の地獄かってレベルの悪臭が」
「夏場とか特に!」
「四隅が洗い辛い!」
「ヌルヌルが取れない!」
わっかるー。意気投合する二人。ひとしきり笑って、「とまあ、そーゆーわけで」とぷりんは話を戻す。
「お弁当、貰っちゃって下さいよ。博士はサイフ持ってるだろうし、昼飯は会議した人達とテキトーにするだろーし」
ね? とぷりんにそう押されては、ちょっと博士に申し訳ない気もしながらも、カンナは「ありがとう」と好意を受け取ることにしたのだった。
「学校の帰りにうちのラボに寄って下さいよ、お弁当箱と味の感想を受け取るんでー」
ぷりんは自転車を漕ぎ続ける。カンナは「はい!」と頷いた。
「本当に何から何まで……ありがとうございますっ!」
「はっはっは。お嬢ちゃんの素敵な笑顔が見れてニケツできただけで、ボロ儲けっすわー」
自転車は笑顔の少女を二人乗せて、朝の町を通り過ぎて行く。
そして――このあとメチャクチャ遅刻した。
「間に合わんのかいッッ!!!」
「本当に申し訳ない――謝罪システム起動、モード:TEHE-PERO」
「なにその機能!?」
「ゆるしてテヘペロ」
とまあそんなこんなでぷりんと別れ。
校舎内に駆け込んだカンナは結局、先生に大目玉を食らった。先生はライセンサーにもそうでない子にも平等だ……。
(はぁ……朝っぱらから散々だったよ~……)
授業が始まる。濃密すぎた登校時間に、早くもカンナは机でグッタリしていた。
(今日こそは、授業中に寝ないようにしないと……)
学業とライセンサーの兼業はなかなかに大変だけど、どちらも自分に必要なこと、したいこと。キリッとカンナは背筋を伸ばす。シャープペンをカッと握り、キッと黒板を見据えた。
……十分後。
そこには机に突っ伏して、ノートにヨダレの海を作って、爆睡しているカンナの姿が――。
『了』
(執筆:ガンマ)